あの花のまどろみをまだ憶えているか

 またすみません、と言ってしまった。礼ではなく謝罪をしてしまう自分が嫌だ。日本人の性(というせいにはしたくないけれど)なのか、特に私はありがとうございますではなくすみませんと言葉にする方が多い気がする。思い返せば、とくに佐々木さんと会話するたびにすみませんと言っているのだ。佐々木さんと会話する時には、いつも慎重になり、足りない頭で最善を尽くそうとしている。
そうしてしまう原因は、私が佐々木さんに恋をしているからだ。好きな相手だからこそ、粗相のないようにしっかりと会話をしなくてはと思う。

「お気になさらず」
という佐々木さんの言葉にはっとする。私は受け取っていた果物の盛り合わせを抱き締めたまま、慌ててありがとうございますと付け足した。
「あの、上がっていってくださいお茶を」
「結構です」

ピシャリと音がしそうなほど、素早く切り捨てられた言葉に聞こえた。それが熱のいま、余計につらく頭に入ってくる。普段の佐々木さんの言葉なのに、弱っているからだでは、頭にガンガンと響く。

「だいたい立っているのもやっとでしょう、早く布団に戻りなさい」
「でも」

しかし実際立っているのもやっとというのは事実だった。久しぶりに味わう風邪による高熱は思いの外つらく、気を抜くと座り込んでしまいそうな程である。
インターホンが鳴った時は、居留守を使おうと思っていたが、相手が佐々木さんだったので慌てて扉を開けたのだ。寝間着の私をいちべつした佐々木さんは、よかったらどうぞと果物の盛り合わせを渡してきたのである。どうして果物の盛り合わせなのだろう。しかも、とびきり立派なものである。それが、なぜだかとても佐々木さんらしいような気がした。

「すみません…せっかく、来ていただいたのに」
「勝手に来たのはこちらなので、どうぞお構い無く」

佐々木さんはあいもかわらず、感情の読み取れない表情で私を見ている。佐々木さんはどうして風邪の時に来たのだろう。風邪でなかったら、ちゃんとお茶も出せるのに、と思うとやりきれない。玄関先でやり取りをするしか出来ないことに、寂しさを覚えた。

「あの…果物、ありがとうございます。好きなので嬉しいです」

べつだん果物が好きなわけではない。それでも好きな人からお見舞いに来てもらい、なおかつ見舞い品を貰ってしまったというだけで、とても幸せなことだ。それも、この佐々木さんが私に。私のために見舞いの品を買い、家に寄って来てくれたのである。そう考えると、これ以上の幸福は望んではいけないように思う。なにより、風邪の人間と同じ場所に長くいてもらうのは良くない。佐々木さんが断るのも無理はないなという簡単な考えに、うなだれる。

「なまえさん」
「は、はい」

急に名前を呼ばれたので、心臓が驚く。そっと顔色をうかがうが、佐々木さんが何を思っているのかわからない。普段と、同じだ。神経質そうな目が私を捉えている。しかしそう見えるのは熱で頭が働かないせいもあるだろう。

「そんな格好で、むやみに扉を開けない方がいいですよ。不用心すぎる」
「す、すみません」

言われて見ればそうだ。そこまで気心の知れた相手ではないのに、寝間着で応対するのは失礼にも程がある。なにより、はしたないと思われてしまったのではないか。私を縛り付けるのはその一点のみだった。今すぐ着替えて最初からやり直したいという衝動にかられる。しかし重い体を思い出し、また、項垂れた。

「みっともない格好で…本当にすみません。今日は、だめだめな日ですね」

私が笑ってみせると、佐々木さんはため息をつく。やれやれ、といった素振りである。佐々木さんにため息をつかれると、胸が締め付けられてしまう。失望させたのだろうか、と考え出すとキリがない。思わず視線を下げて、自分の足元を見てしまう。

「そんな格好で異性を部屋に誘うものではありませんよ」

という佐々木さんの呆れたような声に、顔を上げる。佐々木さんはやはりというか、本当に表情が読み取れない。眠たげにも見えるし、真剣そうにも見えるし、面倒そうにも見えるし、何も考えていないようにも、見えてしまう。

「期待してしまいますので」

え、という間抜けな声が自分のものだと気づくのに少し時間が掛かった。いま、なんて。
佐々木さんは、先ほどと変わらない表情で私を見つめている。私は落ちそうになる果物を支える事しかできない。

「長居してすみません。お大事になさって下さい」

それでは、と佐々木さんは言うと踵を返してしまう。私は何も言えてないのに。衝動的に佐々木さんの上着の裾を掴んでしまう。
なまえさん?と訝しげな声で振り返り佐々木さんは私を見降ろした。急にすみません、と謝罪する自分の声は少し震えている。慌てて、裾から手を離した。

「風邪が治ったら、ぜひ家に来てください」
とやっとの思いで口にすると、佐々木さんは困ったようにハードルが高いですねと笑った。どういう意味ですかと訊こうとしたが、佐々木さんが笑った事で頭がいっぱいで言葉がついてこない。

「なまえさんは警戒心が足りないですよ」

佐々木さんはそっと私の頬に触れ、優しく撫でる。突然の肌と肌の触れ合いに、顔が熱くなった。佐々木さんの手は冷たく、心地良い。思わずうっとりと目を閉じたくなるが、なんとか抑える。

「佐々木さん…ですから」
「はい?」

佐々木さんはまだ私の頬を触っている。私は、佐々木さんの手に自分の手をあてた。ひんやりとしていて、熱をおびている私には十分すぎるほど、気持ちが良い温度だった。佐々木さんは瞬きをすると、

「風邪が治ったら、なまえさんのお時間を、もらえますか」
「時間…ですか」
「…ご飯でも、食べに行きましょう」

佐々木さんは私の頬から手を離すと、軽く私の頭を撫でていく。思いがけない誘いに、私はただ頷く事しかできなかった。佐々木さんは、本当にこれで失礼します、と踵を返し、

「楽しみにしてますので」

と呟き外へ出ていってしまうものだから、へなへなとその場に座り込んでしまった。
残された私は、かごを抱きしめながら、早く風邪を治そうと、まずは布団へ向かう事にしたのであった。

201302〜20130308
タイトル「彗星03号は落下した」さま
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