甘い呪文で金魚は泳ぐ

※幼馴染
 凛ちゃん、と名前を呼ぶと凛は溜息をつき、イヤそうな顔をして私を見つめている。お前さぁ、と自分の髪の毛を掻き分けながら凛は言いかけ、なんでもねェ、とそっぽを向く。その憮然とした態度が好きだ。凛はとても優しいけど、こうやって壁を立てて人と寄せ付けないようにし出した。おそらく、留学してから。昔はそうじゃなかったよね、って言ってあげたかったけど、言わない。本人があえてしているのだから、私が口を出す事ではないのだ。

「つーか、もうその呼び方やめろ」
「どうして」
「もうあの頃とは違うんだよ」

そんな事もわからねぇのか、と凛はほんとうにほんとうに嫌そうな顔をして言う。そんな風な顔をさせる私の話し方、態度すべてが申し訳なくなった。それでも凛ちゃんと呼ぶことは、幼い頃からの馴染みのようで、すぐに変えることはむつかしい。凛がイヤだと言うのなら、少しずつ直していけたらいいなと考える。よくよく考えてみれば、もう高校生なのだから、そうやって、男の子を呼ぶ事自体失礼なのかもしれなかった。考えを改めなくてはいけない。だけど、時間が過ぎ去っていくようで、あの頃の思い出もすべてなくなってしまうようで、彼をちゃん付けで呼べない事は、少し悲しかった。

「ごめん」

クセなんだ、と謝ると、凛は舌打ちをする。こんなふうに舌打ちをしだしたのも、海外から帰って来てからだった。何かあった事は間違いない。なのにそれを訊けないでいる。
訊いてはいけない気がした。なにより凛がその事を深く閉ざしている。誰にも言わないつもりだ。堂々巡りである。

「あ、水泳部、入ったんだって?コウちゃんから聞いたよ」
「…だったら、なんだよ」
「別に…なんでもないけど…」

凛の顔を少し眺めながら、自分の手先をいじる。しっかり凛の顔を、目を見る事が出来ない。
それから、凛の泳ぎ、好きだから、また大会で見たいなって思ったんだ。と、口にする。驚いた顏をした凛が、ハァ?と呆れたような声を出す。

「お前、そんな事言うためにここまで来たのかよ」
「え、うん」

鮫柄学園の校門前で、私たちはこうして、話し合っていた。全寮制だからか、周辺に人はいない。生徒はみんな寮に戻ったらしく、辺りは静かだ。夕焼けが凛の顔を染めている。彼に似合っている、と少し微笑ましくなった。学校でコウちゃんから凛がこの学校に居るという話を聞き、いてもたってもいられず、凛に電話をしたのが、ちょうど昼の事である。放課後凛の学校の校門に行くとだけ伝えたにも拘らず、凛はしっかり来てくれた。電話口でなに言ってんだと言っていたので、来てくれないと思っていたのである。まともな要件も言わないのに、ちゃんと来てくれたのだから、本当に優しい。
しかし凛は私の話したい内容がそれだけだった事に、なんとなく呆れたふうだった。彼の視線がざくざく刺さる。たしかにそれだけだったらメールや電話でよかったかもしれない、と項垂れた。

「ごめんね、急に呼び出して。迷惑だったよね」
「呼び出すもなにも、ここまで来るのはなまえだろ」

別に迷惑じゃねえ、と凛は眉を上げている。そんなことより、と凛が頭をがしがしと掻きながら、しばし沈黙した。伏せられた凛の目が、きりっと私を捉える。切れ長の目をしっかり見た。

「…家まで送ってく」
「い、いいよ。寮の門限とかあるでしょ」
「遠慮してんのかよ」
「だって」
「いいから。ほら」

凛が手を出している。呆然とする私に、凛は無言で手首を掴んできた。なんだかこれは、連行されているような、あまりロマンチックな図柄ではない。そのまま凛はずかずかと歩き出すので、慌てて私も動く。戸惑ったように彼の名前を呼ぶと、凛は目を細めて、何か思案する素振りを見せる。

「なんか、昔を思い出す」
「むかし?」
「そ。ほら、遅くなった時、お前を家まで送り届けた時とか」

覚えてるか?と凛が語る。私は、そんな事もあったね、と彼に相槌を打ちながら、胸がゆっくり震えていった。彼は、覚えていてくれる。何もかも変わったわけじゃ、なかったのだ。昔の彼を思い出して、頬が緩んだ。

「あの頃の凛は可愛かったな」
「可愛いってなんだよ」
「私を引っ張る凛の背中、よく覚えてる」

なぜか、帰りが遅くなった私は、はやく帰らないと母親に叱られると思い、泣き出してしまったのだった。それを見た凛が、泣くな!と私の頭を撫でて、はやく帰ろうぜ!と笑ったのである。凛はぎゅっと私の手を握ると、一緒に帰ってくれたのだ。なまえのお母さんに、俺からも何か言うから!と凛は安心させてくれたのである。私はウン、と涙を拭いて凛に引かれながら、畦道を歩いた。

「なまえは泣いてたな。泣くことなんて何もねーのに」

凛が懐かしそうに、歯を見せて笑う。そうやって笑う彼が好きで、そんな表情をまた見せてくれる事に嬉しくなった。私の歩く速度に静かに歩みをそろえてくれる、凛の優しさが好きで、いまもこうして、私の合わせてくれる優しさに浸ってしまう。
本当に優しい。

「今だと笑いごとだけど、あの時は凛が一緒に帰ってくれて心強かったんだよ」
「そうかよ」
「うん、ありがとう」

あの後、私はとくに母親に怒られる事はなかった。凛くんと一緒だったの?なら安心だわ、と笑っていて、呆気にとられる私と、凛が居たのである。そのまま凛のお母さんへ連絡をして、一緒に夕食を摂った。あの日は確かシチューだったなぁと、思い出していると、凛の手が手首から、手のひらへうつっていく。思わず驚いて、凛の横顔を見る。
凛は相変わらず前を向いているから、表情が伺えない。私は、自分の頬が熱くなっていないか心配だった。しかし今は陽も落ちているから、よく見えないだろうと少し自信を持つ。
凛の手を握り返す。あの頃よりも、ずいぶん男性らしくなった手に、しばらく彼の手を握ったり離したりしていると、しびれを切らしたのか凛が、何してるんだよ…と呆れたように言う。

「大きくなったね」
「なんだその言い方」

くつくつと凛が笑った。もう高校生なんだ、となんだかいろんな感情がせめぐ。凛がぎゅっと手を握ってくるので、それを受け入れる。そういえば、と隣の凛を見ると、背もとんでもなく高くなっていて、だいぶ身長差があった。あの頃は、大差なかったのに、と彼の肩を見ていると、

「なまえってこんな小さかったっけか」
「凛が大きくなっただけだよ」

同じ事を思っていたので、おかしかった。同じ感覚を共有しているようで、心地よい。

「今度ヒマな時、遊ぼう」
「ヒマじゃねーって。俺は忙しいっつの」

凛が眉を上げる。しかしすぐに、まあヒマになったら連絡する、けど…としおらしく呟くので、それがたまらなく面白かった。

201307−20130907
タイトル「深爪」さま
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