夏の神秘

 この町は海に近く、年がら年中、海のかおりがする。私の家などは、サッシが立てつけわるくなっている、それほど、海の影響は大きい。海に近いからか、風はいつも強く私を脅かす。そんな町は、夏を迎える。私はこの夏が嬉しいけれど、嫌いだった。
日差しが照りつけ、肌はじりじり焼かれてゆく、その感覚が、たまらなく嫌いである。
ああ暑い。ふう、と額に噴き出た汗を、拭う。なんにもない場所だから、コンビニも近くにない。自転車に乗って、二十分。そういう場所。今日もギコギコ自転車を漕いでコンビニへ行こうと、坂を上っていた。けれど、坂を上るのはとてつもない労力を使い、諦めて自転車を押すのはつねだった。
ちょうど、顔を上げると、坂を下ってくる二人組を見かける。
よくよく見れば、見知らぬ男と、あぁ、神尾観鈴さん、が歩いていた。あの男性は誰なんだろう、見掛けない人である。――この町にプライバシーなんてないから、だれだれさんのことなんてなんでも伝わってくる。神尾さんが、学校に来れないことの原因なんてたっくさん囁かれているけれど、どれが本当の理由かは誰にもわからない。そういう、邪な噂ばかりがはびこっている。
だから見知らぬ人に対する、用心深さというのは人一倍、この町は強い。よそ者に対する、視線も目つきも、全部ぜんぶ、容赦がない。
神尾さんと私は同じクラスだった。一度、見かけてそれきり。話しかけたことは、一度ある。彼女は怯えて、私と目をひとたび交わすと、ばっと下を向いて、なんにも言わない、それだけ。
その神尾さんが、あの男とにこにこ笑みを浮かべて話している。その様を見ていると、急に胸が苦しく、そしてドクドクとなっていく。
綺麗な髪をなびかせて、彼女が笑っている。あんな笑顔、見たことない。
神尾さんが笑う。
そのたび、また胸が痛む。苦しい苦しい。という私の感情は、ぎゅうっと自転車を押す事で押しとどめる。けれど、どうにもいかんとも、しがたい。
私には、あんな風に目を合せることも、笑うことも、なんにも、なんにもしてくれなかった。
ぐう、っと唇を噛み締める、二人を見ていられなくて、いま来た道を、私は戻っている。
このどろどろした感情はなんだろう、と深呼吸をして、サドルにまたがる。坂道を下る、その風に前髪をなびかせながら、アッと感じた。
私、あの男性に嫉妬していたんだ。
ざあ、っと町並みが私に押し寄せる。
この、なんにもない町に、私は生きている、そのざまをまざまざと見せつけられたような気がして、悔しくて、悲しくて、どこまでもここで生きていくしかない、その人生の狂おしさを、どうにも出来ないことの、逃げ場のなさ、それに甘んじて受け入れる、自分の進歩の無さ、成長のなさ……なにがなんだかわからないけれど、とにかく本当に、全ての事が悔しくておかしくなりそうだった。
どうして私でなくて、あの人なんだろう。
神尾さんと会話の出来なかった私が、妬ましげにいる。教室にいる姿を夢想する。
学校に居る時はいつも辛そうだった神尾さんを思い出す。
あんなに楽しそうな神尾さんを見るのは、初めてで、それがどうしようもなく、私の感情を揺さぶって、ゆらして、とかして、切って行く。
早く夏が終わればいい。
そんな事を自転車をこぎながら私は考えて、夏休みが明けたら今度こそ、ちゃんと彼女と話をしてみたい。
気付けば泣いている自分が、わけもなく、ばかみたいだった。

(20090529)
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