いま君の動脈が温かいということ

 薄明かりの光に西くんの頬が、ほんのり染まっていた。私は水槽の中にいる魚を見ることを忘れて、ただ西くんの横顔を見ていた。西くんは私を見ずに「あのさァ、言いたいことあンなら言えば」と、呟く。ごめんね、と西くんの手を軽くつつくと、彼は私をじっとりと見る。西くんの手を握ると、振り払いもせず、彼はおもむろに歩き出すので後をついて行く。
「水族館好き?」
「好きッつーか…あんまり来ないからよくわかンね」
「水槽が壊れたらどうなっちゃうのかなって思わない?」
「壊れないような加工がしてあるから平気だッて」

西くんは馬鹿だなという目で私に語る。私は西くんの手を絡ませながら、そっかと気の抜けた返事をした。


 西くんは意地悪だ。私が西くんに惚れている事を知っているから、いちいち惑わしてくる。そのくせ、私と付き合おうとかそういう考えてはないのだった。酷いし、いじわるだと思う。しかし西くんを嫌いにはなれなかった。西くんは目を細めて、いじわるく私を見つめる。私はその視線に弱い。なんでもしてあげたくなる。
西くんは決して自分から私に触れてこない。私が撫でても、手を振り払わず、本当に嫌な場合は体を退く。西くんの白い頬に唇を寄せても、何も言わない。私からキスをして、とねだってもしてくれない。したいならすれば?と西くんは挑発する。私はその挑発に乗り、体を寄せ、くちびるにくちびるを寄せる。西くんはうっすら目を開けて、私を見ている。顔をひくと、西くんは「変態」と私に呟く。意地悪だった。私はそのまま西くんとひとつになりたかったけれど西くんはそれを望んでいなかった。一度西くんの下半身に手を伸ばそうとした時、本気で嫌がられ曰く、怖いらしい。
 だから、やっぱり意地悪だ。私がどんなに好きで好きで好きでいても、西くんは私を好きでいてくれない。いっその事、空気として扱ってくれる方がマシだった。そうやって気がないのに気がある素振りをするのは、残酷だ。私がどんな気持ちで西くんを見ているのか彼は知っている。私の好きは、西くんのすべてが欲しい好きだ。彼はそれをわかっている。なのにそうしてくれない。   

 魚。魚は綺麗だ。どうしてこんな狭い所で人間に鑑賞されなくてはならないのだろう。人間が楽しむために。近くにいるカップルのにぎやかな会話を聞きながら、私たちは静かだった。深海の底のよう。どの魚もこれない、あるのはプランクトンとかそういうものだけ。上から降り注ぐ魚の死骸も追加しておく。静謐だけしかない。あーそういう世界って実はトテモスバラシイのかもしれないね。

「西くんは」言葉を発すると、西くんが少し私を見るのがわかった。私は水槽を見ながら呟く。
「私が死んだら、悲しくなる?」
「くだらねー」
一蹴された。そっか、と悲しくなると、西くんは、「俺が死んだら?」と逆に訊きかえしてきた。
「悲しい事言わないで」
「答えろよ」
「悲しいよ」

なんでそんな事訊くの、と西くんを見る。西くんは、チャント私を見ていて、静かに溜息をついた。
「ホラ、全部観ただろ。出るぞ」
私の返事も待たぬまま、西くんはさっさと出口へ行ってしまう。慌てて後を追いながら、唇をぎゅっと紡ぐ。

水族館を出た私たちは、外の暑さに打ちひしがれていた。暑くて会話がない。歩きながら、人ごみの中をくぐりぬける。暑かった。

「西くん、ご飯どこで食べる?」
「どこでも」
「回る寿司にしようよ」
「なまえッて、結構残酷だな」

西くんが呆れた顔をして言うので、私は楽しかった。でもあの場所に居たら、そういう気分になったのである。人間は残酷だった。
私も残酷だけど、西くんだってじゅうぶん残酷なのに、それをわかっているのだろうか?きっとわかっていない。私に対する態度だとか、そういうので、全部わかる。風にさらわれる砂のように、ぜんぶぜんぶ遠くへ飛ばされてゆくように、私の心は西くんの言葉ひとつで、簡単に崩れてしまうのだ。

「お前さ」
「うん」
「なんでもない」

西くんが珍しく言葉を濁した。どうして濁したのか私はわからないでいる。訊けば理由を教えてくれるだろうか、いやきっと教えてくれないだろう。
西くんとつないだままの手が、悲しい。そして、どうしようもなく愛おしかった。

「西くん」
「なに」
「大好き」

めんどくさそうな顔をして、西くんは私を見つめる。私を見るその顏が好きだ、大好きだ。そうやって、西くんが私をイヤそうに扱うのだって、全部私に関心があるからだとすれば、ぜんぶうれしい。結局のところ、無視されたくないのだった。好きだから、好きでいてほしい。好きだから、何か感情を持ってもらいたい。私を認識してくれれば、それが嫌いだとしたって嬉しいのだ。わかるだろうかその気持ちを、彼はわかってくれるのだろうか。
西くんは、あっそとそっけなく呟く。それでも、そうして返答をくれる事が何よりの優しさで、何もかも私は知っている。西くんはとんでもなく不器用で、生きにくいと言う事に。
西くんは、手を軽く握り返してくれる。それが、ほんとうにほんとうの答えだった。

2013062320130713
タイトル「joy」さま
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