「…行かなくちゃ、」
「まだ大丈夫でィ。」
席を立とうとする神楽の腕を掴む。神楽は戸惑ったが、ちらりと時計を見て再び椅子に座った。
ターミナル前の喫茶店は賑わっている。ざわざわと楽しそうな声が飛び交う。そんな雰囲気の中で俺たちはただ黙って座っていた。
「…行くのかィ。」
「うん。」
何回も訊いている。この疑問文は行くなよ、という意味が含まれているのを、神楽は知っているだろう。そして、"うん"は同意ではなく否定の意味になる。
「手紙、送る。」
「私も。」
これも何度も約束した。でも、こんな約束はいつか薄れていくに決まっている。何度も言っても意味がないのに、すがりつくように言葉が出てくる。
神楽は進まなければいけない。にもかかわらず、俺がとめている。我が儘な俺は神楽を離そうとしない。離したくない。
「…もう、行かなくちゃ。」
船が出る十分前だった。これ以上我が儘は言えない。
「…ああ、そうだな。」
神楽と俺は席を立った。ゆっくりゆっくりたった。机の上には飲み干していないグラスがふたつ微妙な距離で置いてあった。
喫茶店の外に出ると、せかせかと動く人々が溢れていた。
俺たちは手を繋いでゆっくり歩く。幾人の人たちに抜かされた。