if. 秋薔薇の咲く庭へ
どこかの国の小さな小さな港。その桟橋に決して大きいとは言えない船が停まっていた。辺りには他の船も人影すらも見あたらない。
「さあ、お手をどうぞ。姫」
「ありがとう」
姫と呼ばれた黒髪の少女は、差し出された手を取った。
少女はゆらゆらと波に揺れる船から下りると、バランスを崩し、男の胸元に寄りかかった。顔をあげればすぐそこに男の笑顔がある。少女は頬を朱に染めた。
「おおーい、お二人さん! 大丈夫かい?」
船頭から、この船の主がひょっこりと顔を出した。
「はい。ここまで乗せて頂きありがとうございます。助かりました」
「おう! いいってことよ!」
「少ないですが、これはお礼です」
男が幾枚の効果を渡そうとすると、船の主は笑って首を振った。
「いいさ。それは、とっておきな。どうせ、俺もこの辺に用があったんだ」
「ありがとうございます」
船の主はしげしげと物珍しい物を見るように男と少女を眺めた。
「ところで、あんたら、どこの国からやって来たんだい?」
「東の果てから」
男は水平線を指さした。
寄せる波が返るところ、輝きながら昇り来る太陽の方向を。
***
「紗夜」
腕の中に眠る少女の名前を、俺は静かに呼んだ。
「紗夜」
二人は長椅子に深く腰掛け、互いの肩に凭れていた。夜明けの白々とした太陽が、船窓から斜めに差し込んでいる。海は光を浴びて碧く輝き、空には雲ひとつない。彼女のなめらかな白い頬にかかった黒髪を、俺は指先でそっとよけた。
「紗夜。お嬢」
波音が繰り返し、港から遠く離れた小さな船を洗う。
ここへは誰も追って来られない。
時計塔の鐘の音も、死神ですらも。
朝の光が、影を背中の向こうへ押しやった。
「紗夜」
彼女は安らかに眠っていた。世界中で一番美しい寝顔だ。冷えた指先を絡め、強く繋いだ。
「好きだよ」
俺は壊さないようにそっと、そのくちびるにくちづけた。
そしてお姫様は、王子様のキスで目を覚ましました。
二人は手を取り合い、秋薔薇の咲く庭で、
永遠に、幸せに暮らしました。
End.
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