舌は嘘を吐かない。
 嘘を吐くのは時計と昨日の自分だ。過ぎ去る時間と人の心は、ときに真実を嘘に変えてしまう。だから誰もが嘘吐きで、街はぺてん師で溢れている――と、そういう詭弁を弄することが俺の仕事だ。
 他人になりすまし、人生を拝借する。この部屋にある座り心地の良い革張りのソファーも、肌に滑らかなシルクのシャツも奪い取ったわけではない。借り物でいい。
 俺の報酬は、もっと別のものだ。
 携帯端末に届いたメールを開き、俺は小さく微笑んだ。取引の結果を知らせる通知だ。紙面に並んだ数字は、充分に満足のいくものだった。この仕事が終わったら、一度この国を出るつもりでいる。これでしばらくはのんびりと羽根を伸ばせることだろう。
 カーテンの蔭からそっと窓の下を覗くと、自分によく似た赤毛の頭が植木の隙間に潜んでいるのが見えた。彼が様子を窺い出して三日目になるが、随分と隠れ方が上手になったようだ。流石は『日生光』といったところか。
 飛び出した家に戻るタイミングを図っているところで俺の存在を知ったのだろう。感情に任せて飛び込まずに、状況の確認を優先したあたり、彼自身には不本意だろうが実に教育が行き届いている。
「……良い子だ」
 シャッと音高くカーテンを閉め、俺はソファーに深く凭れた。ついでに、テーブルの上に放り出していた見合い写真を手に取る。やっと進んだゲームの手札だ。薄紅色の表紙を開くと、黒髪の美少女が渋々と言った様子で仏頂面をこちらに向けている。
 遠野紗夜。
 教室を訪れた彼女の困惑した顔を思い出して、俺はひとり忍び笑った。彼女のことは、初めて見た時から気に入っていた。滅多にお目にかかれないような類稀な美少女だが、単に美しいだけの女なら他にいくらもいる。彼女は適度に賢く、適度に世間知らずで、ゲームの相手としてはなかなかユニークだ。
 早速デートプランを練る為に、俺は端末に指を走らせた。あまり男慣れしていない彼女には、オーソドックスな方がいいだろう。人の注目を集めるのは苦手だから、ショッピングより博物館や美術館の方がいいかもしれない。或いは映画とか。検索してみると、彼女が好みそうな作品がちょうど週末から公開するようだった。ケルトの民話であるトリスタン物語をベースに描かれた悲恋ものだ。
「愛し合う二人の結末、ね」
 悠長にはしていられないが、ようやくとりつけたデートをせいぜい楽しむことにしよう。
 美しい女優の横顔を一瞥し、俺は端末を切った。


「どうだった? 映画」
「あ、はい。面白かったです」
 三時間にも渡る壮大な叙事詩の余韻に頬を紅潮させながら、彼女はぼんやりと頷いた。
「本当に?」
「ええ。ずっと好きだった作品の映画化でしたし」
 上の空の返答は、まだ心がイングランドの森の中を彷徨っているのだろう。彼女はパンフレットを胸に抱きしめながら、ほうっと溜息をつく。
「原作の雰囲気も壊すことなく、とてもよく描写されていたと思います。特に、愛し合った二人が互いに毒入りワインを飲ませ合うシーンの演出がとても美しくて……」
「ああ、あれね。確かにとてもロマンチシズムに溢れていた」
 女は夫を、男は主君を裏切り、逃亡の果てに追いつめられた二人は互いを奪われまいとして、互いに毒杯を捧げ合うのだ。真実の愛は死をもってしか叶わない――そんな悲劇的な二人の姿に彼女はいたく感銘を受けたようだった。
「それに、普段映画なんて行くことがないのでとても新鮮でした」
「それは良かった」
 ひとしきり語り終えると、彼女はようやくイングランドの森から鳴鐘町のレンガ道へと戻って来てくれた。ふと俺を見上げ、心配そうに小首を傾げる。
「ですが、本当に宜しいのですか? 奢りだなんて……」
「勿論さ。今日は君をエスコートするつもりでいるんだから」
「エスコート、ですか?」
「そう。ようやく念願叶ったデートだし?」
「デート」
 たった今気がついたと言わんばかりに、彼女は目を見開いた。
 鈍感だとは思っていたがここまでとは、まったく恐れ入る。
「酷いな、その反応。僕は優希を出してお嬢を誘ったってのに」
「え? あっ、すみません! いつもと代わらない雰囲気だったのでつい……」
「いつもと変わらないねぇ……。僕はお嬢と二人っきりでこんなにもドキドキしてるんだけどなぁ」
 拗ねてみせると、流石の彼女も悪いと思ったらしく、しきりに恐縮している。俺はひらりと右手を持ち上げて、片目を瞑った。
「……だったら手でも繋ぐ? デートっぽく」
 彼女の手がびくりと止まる。
「……どうしたの?」
「いえ……」
 逡巡の後に伸ばしかけた手を、彼女はそっと引っ込めた。
「あの、やはり良いです」
「そう。残念だな」
 だろうと思った。
 軽く肩を竦め、俺は上げた右手を一旦下ろした。
「次はどこに行こうか。お腹空いてる?」
「……少し」
「そうだね。もう昼の時間は過ぎてるし。どこかに食べに行こうか?」
「はい」
「じゃあ、行こう」
 言いながら、俺はごくさりげなく彼女の手を取った。
「あ……」
「お嬢は何が食べたい?」
 彼女が何か言う前に畳みかける。一度主導権を取ってしまえば、彼女は基本従順なタイプだ。加えて一度手を繋ぐのを断った罪悪感がある。彼女は抵抗を諦めて、肩の力を抜いた。
「……何でも構いませんよ」
「好きなものとかあるよね。ご飯が良いのか麺類が良いのかとか」
 一本向こうの道に出れば、学生向けの定食屋や女性が好きそうな小洒落たパスタ屋なんかが並んでいる。彼女は周囲と俺の顔を交互に見比べた。今度は俺の好みに合わせてくれようとしているみたいだが、デートの経験も相手の情報も足りない彼女には難物だろう。しばらく考えた後、さりげなくこちらに話を差し戻してきた。
「そうですね……。先輩は何が宜しいですか?」
「お嬢。僕はお嬢に聞いてるんだよ。強いて言うなら、お嬢が食べたいと思うものが食べたいな」
「何だか狡い言い方ですね」
「あはっ。狡いも何も本心ですけど?」
 腹のさぐり合いならお手の物。
 俺と君じゃ踏んだ場数が違い過ぎるよ、そう内心で呟きながら、目で彼女を促す。彼女は根負けして自分の希望を口にした。
「……では、私のお気に入りの喫茶店で昼食をとるのはいかがでしょう?」
「了解。じゃ、行こう」
「はい」
 そうして今度は彼女が俺の手を引く形で歩き出した。繋いだ手が気になるようで、なんどもちらちらと目をやる。揶揄いたい衝動が胸に湧いたが、せっかく出てきた恋の芽を摘むわけにも行かない。
 悪戯心を宥めてせいぜいお行儀良くついていくと、目の前に現れたのは風情のある飴色の看板だった。今時珍しい、古いスタイルの喫茶店だ。ステンドグラスの窓の嵌った樫のドアを押し開けると、珈琲と微かな煙草の香りが鼻先を擽った。若いウエイトレスが出てきて、席へ案内してくれる。休日の昼過ぎとあって、あちこちのテーブルで午後のお茶を楽しんでいた。店内にはおちついたピアノクラシックがかかっている。彼女はもう決まっているらしく、くつろいだ風情でメニューをこちらに押しやった。喫茶店らしからぬメニューが目を引いた。チキンライスならともかく、パエリアとは。珍しいので、それを頼む。彼女はドリアを頼んだ。
「どちらもお時間がかかりますが、よろしいですか?」
「かまいません」
 ウエイトレスに頷き、俺たちはしばし雑談に花を咲かせた。といっても、主に先程の映画の感想だ。彼女はよほど気に入ったらしく、パンフレットを何度も眺めている。
「お嬢はああいう悲恋ものが好きなの?」
「そういうわけではないのですが……。やはり、ハッピーエンドの方が幸せな気分になれますし。けれど、悲劇だからこその切なさや純粋さなどに心を打たれるのです」
「成る程」
 悲恋とはマティーニのようなもの、悲劇も恋も人を酔わせる。
 ちょうど料理が運ばれてきて、俺たちは思索から食欲に意識を切り替えた。
「……へえ、このお店初めて入ったんだけど結構美味しいんだな」
 一口頬張って感想を述べると、彼女は嬉しげに微笑んだ。
「はい。ここは珈琲専門店ですが、紅茶もありますし、普通のランチも美味しいのですよ。特にドリアがとても美味しくて、ここに来るといつも同じ物ばかり頼んでしまいます」
「ああ、分かる分かる。自分が一度気に入った物だと飽きるまでそれを追求するよね」
「ええ、そうなのです。あ、けれど、先輩のパエリアも美味しそうですね」
 食べ物にはあまり執着しない彼女には珍しく、その視線が俺のサフランライスの上を横切った。
「食べてみる?」
「宜しいのですか?」
「勿論」
 まだ手をつけていない部分を切り取って、彼女の更に乗せてやる。
「はい、どうぞ」
「あ、では私のドリアも……」
 彼女も俺に倣い、ドリアをスプーンで切り分ける。できればあーんと口に入れて欲しかったが、狭い中庭ならともかく人目のある喫茶店では無理だろう。
「どうも」
 微笑むと、彼女は少し恥ずかしそうに視線をパエリアに落とした。
「では、いただきます」
 鮮やかな黄色いライスを乗せたスプーンを、小さな口に含む。次の瞬間、彼女の表情が固まった。
「どうしたの?」
「か、辛……」
 目の脚に涙が浮かぶ。
 俺は内心ぎくりとした。
「そう?」
 平静を装って首を傾げる。
「う……。舌がぴりぴりします……」
「ほら、水飲んで」
 彼女はまだ涙目だった。グラスを差し出すと、彼女は一息に飲み干した。足りない様子だったので、手を着けていない俺の分も押しやる。二杯飲み干して、小火はようやく収まったようだった。
「落ち着いた?」
「……はい」
「ははっ、そんなに辛かった?」
「はい……。確かに美味しいですけど……。よく平気で食べられますね」
「あはっ。まぁね」
 誤算だった。
 誤魔化すように笑いながら、スプーンの先で黄色いライスを掻き回す。辛いパエリアなど聞いたことがない。米を着色するスパイスはサフランであって、ターメリックではない。いや、ターメリックはサフランの代用とされることもあるが、辛くはない。もしやこれはパエリアではなくドライカレーなのだろうか。そんな馬鹿な。
「お嬢は辛いのは苦手?」
「苦手という程ではないにせよ、得意というわけでは……」
「じゃあ、甘い物の方が好きとか」
 口を押さえながら、彼女はこくんと頷いた。
「ええ、そうですね。日生先輩は甘い物は好きですか?」
「好きだよ、すごくね」
 それが甘いとわかっているなら、演技は容易い。
「……そうですか。は、私と同じですね」
「ああ、君と同じだ」
 俺は彼女と同じ表情を作って見せた。


 食事を終えると、時刻は四時を回っていた。秋の日暮れは早く、あと一時間もすれば夕闇が彼女を迎えにやってくる。
 俺が彼女を連れて最後に向かったのは、俺にも彼女にも馴染みの深い場所だった。
「ここは……」
「ご存知の通り、時計塔」
 この町の象徴とも言うべき塔は、天を貫く槍の如く、白く屹立している。彼女がこの場所を気に入っているのは知っているが、記念すべき初めてのデートで最後に訪れるような場所じゃない。
「だけど、ただここに連れて来たかったわけじゃない」
 俺は時計塔を背にして、ポケットの中からそれを引っ張り出した。
「これ、何だと思う?」
 鈍い金色の鍵が手の中で音を立てる。
「まさか……」
「そのまさか。ついておいで」
 俺は彼女を連れて塔の裏側へ回った。黒い鉄の門扉があり、同じく黒い南京錠がかかっている。俺は鍵を持ち、真っ直ぐ鍵穴へと差し込んだ。ゆっくりと回す。かちり、と小さな音と共に錠が外れた。閂を引き、俺は彼女の手を引くと扉の隙間へするりと滑り込んだ。
 石造りの壁にそって、天まで届きそうな螺旋階段がぐるりと塔の内側を取り囲んでいた。まだ昼間だというのに薄暗く、空気が少しひんやりとしている。
「中、初めて入りました。こうなっているのですね」
 感嘆の溜息が、わんと反響した。谺がすうっと上空へ吸い込まれていく。
「何故、時計塔の鍵を?」
「ちょっとしたツテがあってね」
「そうですか」
「素っ気ない反応だなぁ」
「あら、そんなことありません」
 彼女は見上げるばかりの視線を、つかのま俺に戻す。
「本当はとても胸が騒いでいるのです。私は今、時計塔の中にいる。ずっと外ばかり眺めていた時計塔の中に」
「成る程。落ち着いているように見えるけど、その内は好奇心で満たされているわけだ」
「ええ」
「じゃあ、その期待にお応えして、中をご案内しましょう」
「はい!」
 今日一番の笑顔で彼女は頷いた。
 そういうわけで俺たちは塔を昇り始めたのだが、これがまたなかなかの急勾配だ。次第に息が荒くなり、左右交互に出していた足が、一段、また一段と両足で踏みしめるようになる。
「大丈夫? ほら、掴まりな」
「す、すみません……」
 見かねて引っ張り上げると、彼女は蚊の鳴くような声をあげた。とはいえ、反発する元気はあるようで、むっと口を尖らせる。一段一段引っ張り上げながら、俺はにやにやした。
「さっきの勢いが嘘のようだなぁ」
「……すみません」
「いやいやー? べつにお嬢を責めてるわけじゃありませんよー? ただ、意地悪したいだけで」
「……悪趣味ですよ」
「拗ねた君も素敵だよ」
 含み笑ったら、手の甲に爪痕をつけられてしまった。その小さな痛みですら可笑しくて、俺は喉の奥で笑いを堪えた。
 それから五分ほど昇り続けただろうか。
「おめでとう。ここでひとまずは休憩だ」
 やっと現れた小さなフロアに、彼女はへたり込んだ。
「大丈夫?」
「あ、はい……」
 呼吸が落ち着くと、彼女の好奇心が頭を擡げたようだった。興味深そうに辺りを見回す。大きな歯車が、脇に幾重にも重なっている。階段部より若干明るいが、細部はよく目を凝らしても見えづらい。
「ここは制御室。本当なら結構煩いんだろうけど、今は止まってるからね」
「この奥に歯車が?」
 僅かに光が漏れている方向を指さす。俺が頷くと、彼女はそっと丸めた手を当てて耳を澄ませた。
「本当に止まっているのですね」
「それはそうさ」
「……どうして、止まってしまったのでしょう?」
「さあ? 気になるの?」
「……ええ」
 彼女は塔の上を見上げた。
「ずっと、ずっと……この時計塔を見た時から思っていたのです。どうして、時が進まないのだろうと。色々考えてはみるけれど、ちっとも答えに辿り着けません」
 この上は鐘楼になっている。制御室の歯車は、本来ならばからくり仕掛けになっていて、時計の針が一定の時間をさす毎に塔の天辺の鐘を鳴らすようにできているのだ。
 しかしその鐘はここ十年近くの間、一度も鳴っていないと聞く。
「まあ、確かにずっと止まっているのは気になるけど……」
「案外、誰かが時を止めてるのかもよ?」
「時を? 誰が、何の為に?」
「あはっ。僕が知るわけないでしょう」
「お嬢。こっちへ来てごらん」
 手を差し伸べ、立ち上がらせる。制御室を過ぎてぐるりと回り込み、柱の向こうへ入った瞬間さっと光が俺たちを洗った。
 蒼。
 刳り抜かれた窓の向こうに広がるのは、雲一つ無い空だった。
「綺麗……」
 呟き、彼女は窓に駆け寄った。
 空の蒼の下には海の碧が見える。細波が遙か水平の彼方まで連なり、空の縁に溶ける。恐れげもなく身を乗り出した彼女は、大きな瞳をきらきらと見開いて景色に見入った。
 まるで、初めて外に放たれた小鳥のようだ。
「怖くないの?」
「大丈夫ですよ」
 風に攫われそうになる髪を押さえて彼女は即答した。黒いドレスの裾を靡かせて、興奮に頬を上気させている。
 眼下には色味を抑えたモザイクのような鳴鐘町の町並みが広がっていた。戸建てが並ぶ辺りは純和風家屋もあれば、ヨーロッパ風の建築もあるし、その更に奥にはマンションの一群も見える。まばらに見える人の影は豆粒のように小さく蠢いている。
「丘から眺めた町並みもそれはそれで素敵ですが、ここもまた違った素晴らしさがありますね」
「この町は綺麗だよね」
 俺もよくこんな風に高い場所から町を見た。薄汚れた路地裏は、高みからは隠れて見えない。泥に塗れた糞溜まりも、そこに存在する人間のことすらも。
「はい。私もそう思います」
 汚れを知らない少女は、そう言って笑った。
 日が落ちてしまうと塔の内部が真っ暗になってしまうから、名残惜しみながらも俺たちは塔を降りた。山道と同じで、階段も下りの方が危険だ。黒い鉄の門扉を出て再び施錠した時には、空は鍵と同じ黄金に輝いていた。
「……今日は、色々とありがとうございました」
「満足した?」
「ええ! とても」
 一時脚の疲れを忘れて、彼女は満面の笑みを浮かべた。俺もまた、目の前に開いた掛け値なしに美しい笑顔に目を細める。
「お嬢が喜んでくれて嬉しいですよ」
「本当に何もお礼はいらないのですか?」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
 礼などいらない。彼女の気持ちが俺の目的なのだから。
「そうですか……」
 彼女は残念そうに目を伏せたが、そこではっと何か思いついて顔を上げた。
「あの、少しの間ここで待っていてもらえませんか?」
「良いよ」
「すぐに戻ってきます!」
 彼女はそう叫ぶと、疲れた足でよたよたと走っていった。その背を見送りながら、ポケットに鍵を仕舞う。
 時計と人は嘘をつく。
 止まったままの時計塔は、誰かの嘘を秘めている。気を隠すなら森の中。ぺてんを隠すには、この時計塔はうってつけの代物だ。
 動かない長針を見上げていると、髪を乱しながら彼女が駆け戻ってきた。
「すみません! お待たせしました!」
「そんなに息切らさなくても別にいなくなったりしないって」
「はい……」
 ぜいぜいと肩で息をした後、彼女は何度か深呼吸して姿勢を正した。
「あの、これ」
 後ろ手に持っていたものを、すっと俺の方へ差し出す。
「宜しければどうぞ」
「これは……」
 西日を受け、縁を黄金に輝かせたそれは、燃える一個の炎のようだった。
「薔薇の花です。あ、棘は抜いて貰ったので普通に持てますよ」
 細いリボンを結んだだけの切り花を差し出し、彼女は艶やかに微笑んだ。無垢な少女でありながら、男を惑わす娼婦のように。
「薔薇一輪が今日のお礼になるかは分かりませんが、何もいらないというのならせめてこのくらいはと思いまして……」
 いつまでも受け取らない俺を、彼女は不安そうに見上げた。
「薔薇の花、確かお好きなのですよね?」
「……ああ」
 俺は頷いて、彼女から薔薇を受け取った。
 美しく咲き誇る花の、その花芯に鼻先に近づけ、息を吸い込む。
「良い匂いだ」
 酩酊を誘う香り。
 瑞々しい花弁にくちづけると、やわらかく、冷たかった。伏せた睫毛を僅かに持ち上げると、彼女の瞳の中の俺と視線がぶつかる。
「お嬢」
「はい」
「好きだよ」
 戸惑うように写身の俺が歪んだ。
 だが、消えない。
 彼女の奥深く、刻み込まれたように。
 俺は低く嗤った。
「君が好きだ」
 告白の返事にと与えた三日の猶予など、ないも同然だった。


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