愛戀のきみ


この学園に新米教師として着任した俺と、新入生として入学する名前は所謂幼馴染というやつだ。とはいえ大学入学と同時に始めた一人暮らしの所為で、まともに顔を合わすのは4年ぶり。ちらと見かけた、すっかり幼さのとれたその姿に驚けば、残る面影に馳せる懐かしさと同時に歯痒い関係がスタートすることとなる。


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「っつうことで、お前の幼馴染はド派手にモテてるぞ」
「…知らねェ」

自席から離れた俺の席までやってきて、パーカーの袖を弄びながら得意の笑みを浮かべて話す宇髄が言うには、アイツは今、定番の体育館裏で告白を受けている最中らしい。入学式から1ヶ月ほど経ったある日、わかりきった呼び出しに校内を迷ったアイツに道案内をしたことをきっかけに、宇髄は度にこの手の話を俺に報告してくる。おおよそ3ヶ月、事あるごとに。正直もう聞き飽きた。幼馴染だということは生徒には秘密にしている手前、本人曰く親切な情報共有だというこれらは全て宇髄からのみ知らされるのだが、別に知りたいわけではない。昔から可愛いことは折り紙付きで、齢とともに見事に成長したことは俺だって知っている。会わなかった4年で、女はこうも変わるのかと十分に思い知らされているのだ。

「まあ先生だからなあ、実弥お兄ちゃんは」
「別になんもねェよ」
「そうか?にしちゃあさっきから赤ペンのリズムが悪いけど」
「放っとけェ…」

くつくつと喉を鳴らして「ま、ド派手にがんばれ」などと知った口を叩かれて、ペン先が潰れなかったのは褒めて欲しい。


告白なんぞ、高校生の醍醐味のようなものだろう。生徒間の色恋にさして興味はない。年齢が近いもの同士が惹かれ合うのは自然の摂理みたいなもので、思春期ともなればそういうもんだと理解はある。

が、だ。

指摘された通り右手が慣れたテンポを刻めないくらいには、巫山戯るなとは思っている。どこぞのガキと同じ土俵まで降りていくなんてことはしたくはないが、俺が間違いなく1番可愛がってきたのだ。昨日今日でアイツの全てを受け入れようなんぞ、冗談かと思うくらいに、だ。


4年振りの再会は斜めいく形となってしまったものの、毎日顔を見れるこの環境はこれまでを思えばずっといい。アイツは俺を先生と呼び、俺もアイツを苗字と呼ぶ。教師と生徒とはそういうもので、そうであるべきだ。それ以上もそれ以下も、別になにもない。巫山戯るなと思うのは心内に留められるくらい、俺だって成長している。


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入学式より少し前、地元から少し離れた学園で寮生活をスタートさせるわたしに舞い込んできたのは、揃えた真新しい家具よりも嬉しい知らせだった。

実弥くんが先生を目指しているというのは、4年前の、不死川家で行われた実弥くんの送別会で聞いていた。地元から遠く離れた大学に進学した実弥くんは、昔から頭もよければ面倒見もいい。不死川家は弟妹が多いから、というのもあるだろうけれど、所謂幼馴染として育ったわたしのこともいつも気にかけてくれていた。

そうしてほとんど兄妹みたいに育ったけれど、やっぱりそれはみたいなだけで、わたしの初恋はもれなく実弥くんで、今でもそれは変わらない。その想いこそ伝えてはいないけれど、子供ながらの無遠慮で実弥くんもわたしのことを好きかもしれないなんて、思ったことだってあった。

送別会の日、1番に泣き始めた就也くんの隣で、口では寂しくないなどと言いながらわたしもめちゃくちゃに泣いた。今思えば大袈裟だけど、なんだかもう一生会えないような気がして、それはそれは恥ずかしいほど涙を流したのだ。だけどそんなわたしの背を撫でながら実弥くんは「絶対戻ってくる」と言ってくれた。きっと泣き止ませるために選ばれたその言葉の真意はよくわからないけれど、現にこうして学区内を飛び出したというのに、わたしの目の前に、夢を叶えて戻ってきた。

とはいえ立場はあの頃とは違って、幼馴染ということはなんとなく秘密にしておく方がいいかなと思っていれば、実弥くんもそんな様子で、わたしたちはすっかり先生と生徒になった。4年振りの再会はただ嬉しいだけじゃなく、ちょっぴり難しい関係になってしまったけれど、とにかく毎日実弥くんの姿を見られるんだから、これまでよりずっといい。

当の然、わたしはずっと実弥くんが好きなのだ。

けれどそんなことを誰かに明かすこともできなければ、よく知りもしない人から告白をされることがある。好きだと言われることは嬉しいけれど、だからといってそこにちょっとも気持ちは動かないし、それに、できればこういうことは実弥くんには知られたくないと思う。なんとなく、実弥くん以外の男の子と一緒にいるということを、知られたくもなければ見られたくもないのだ。

最初のうちはよくわからなくて、呼び出された教室も宇髄先生に聞かなければ辿り着けなかったし、それに到着寸前の宇髄先生の冷やかしでああそういうことかと思ったくらいだ。とはいえまだ始まったばかりの学園生活を思えば無視するというのも気が引けて、意を決して出向けば案の定。まだ入学して程無しだというのに、わたしがよく知らないのだから彼もわたしのことを知らないはずなのに、滔々と語られるありがちな台詞に早々に頭を下げれば、友達になって欲しいと言われてしまう。友達ならまあと頷けば、避ける間も無く握られた右手が辛かった。やめてと払ったその数秒でも、わたしが手を繋ぎたいのは実弥くんだけなのに。


それからも何度かこういうことはあって、そうしていれば否が応でも目立ってしまう。これではきっと実弥くんの耳にも届いてしまっているだろう。

どうか、誤解されていませんように。自惚れるほど子供じゃないけど、それでも、実弥くんには勘違いしてほしくない。わたしが好きなのは、昔も今もずっと実弥くんだけだから。


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いくら器用に卒なくこなせていたとしても、所詮は新米教師。人間関係にも、待遇にだって不満はないが、新米ゆえの仕事量はやはり少しだけ堪えるものがある。生徒たちの下校時間を知らせるチャイムが鳴れば、日によっては構内を見回り。それからようやくプリントやら、丸付けやら、担当科目の業務に取り掛かれるというものだ。

「校内に残っている生徒はもういないようだ」
「うむ!では俺たちも早めに片付けて帰宅するとしよう」
「俺は一足先に帰るぜ!」
「これだから副教科担当は…」

同僚の会話を聞きながら提出物に目を通す。知りすぎている名前にふと手を止めて、丁寧にまとめられた文字を見れば、あの頃からそうだったが、成績については今だって申し分ないようだ。したがって、都合良く呼び出す理由にならないことは教師としての一線を考えれば吉と捉えるべきかもしれない。


「不死川、最近実家には帰ったのか?」
「ン?アァ、ちっと顔出したくらいだなァ」
「そうか、せっかく戻ってきたのだから顔を出すといい!俺の父親は不死川の父上とよく酒を、」
「煉獄、学校でその話はやめだァ」
「よもや、すまない!だが、帰れるときに帰っておくべきだぞ」
「アァ、そうだなァ」

今だって、特に玄弥とは頻繁に連絡を取り合うくらいに家族は仲がいいが、それでもなかなかゆっくりと帰れてはいない。促されたからというわけではないが、近々母の手料理も食べたいななどと、息子心にそう決めて、同じく実家を出ている玄弥にメールを打てば、今週末帰ると返事があった。それならばと予定を合わせて、来る週末に乗り遅れぬよう残った仕事を片付けることにした。


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「でね、実弥にいちゃんと玄にいもなのに、名前ちゃんもいなくなっちゃって、もうすっごく寂しいの!」

約束通り玄弥と揃って帰宅すれば、妹弟たちは相も変わらず賑やかに出迎えてくれた。お互いの近況報告だと、夕飯までのあいだを子供達だけでリビングで過ごせば、末っ子の就也はむくれながらそう言う。

「でも、実にいの学校に名前ちゃんいるんでしょう?」
「すごい偶然だよねえ!あ、もしかして実にい狙ってた?」
「ハッ、ンなわけあるかァ。たまたまだァ」
「にいちゃん引きが強えんだなあ」
「引っ越す前に会いにきてくれたんだけど、やっぱり名前ちゃんは可愛いよねぇ」
「ねえ実弥にいちゃん、名前ちゃんは今日はこないの?」
「あァ、そうだなァ…」

思い返せばこうしてみんなが揃った中に名前がいるのはごく自然なことだった。せっかくならと思う反面、寮のルールではこんな時間に突然の外出は出来ないし、そもそも立場上呼び出すことは少々難儀だ。

「俺、連絡してみる?」
「いや、寮だとすぐ出てこれねェだろ」
「あー、そうだな。また集まる時に呼ぼうか」
「やったー!久しぶりに会える!」
「次は絶対だからね!!」

すっかり不死川家の一員のような名前に、この歯痒い今の立場関係はどうすべきか。無論、その立場関係上どうにもできないことは自明のことだが、やはり、知らされる親切な情報共有の度に騒つく胸があるのもまた事実。

「名前ちゃんもうちの子になっちゃえばいいのに」
「なあにー、こと、いいこと言うわね」
「そうねえ…それは、実にいが頑張ればいいんじゃない?」
「なるほど」
「ハァ?何言ってンだァ」

意味ありげな視線を送ってくる寿美と貞子に眉間の皺を寄せてみるが、本人たちは尚も知り顔で頷き合っている。

「実弥にいちゃんががんばれば、名前ちゃんはうちに来てくれるの?なにをがんばるの?」
「うーん、それはなんていうか、えっと…」
「実にいが名前ちゃんにお願いするのよ」
「なにを?就也もお願いしてあげようか?」
「大丈夫よ、実にいは自分でできるから」
「でもきっとモテモテだろうから、のんびりしてちゃ取られちゃうわよー」
「えっ…だめ!実弥にいちゃん、がんばってね!」
「お前らなァ…冗談もほどほどにしとけよ」
「「冗談なんかじゃありませーん!!」」

けらけらと声を上げるすっかりませた妹弟たちにもう呆れるしかなかった。けれど反面、もしやそういう未来を僅か望んでいる俺もいるのだから大概、どうかしている。

「兄貴」
「ン?」
「まあ、その…俺も、応援してるから…」
「ハッ、わかってらァ」

皆が笑い合う中、1人だけ僅か頬を染めるいつまでも初心な玄弥にそう返した肯定は本音だった。


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生徒たちが続々と正門を抜け下校していくのを窓越しの眼下に垣間見ながら、数学準備室での所用を終えて職員室に戻る途中、ふと気配を感じて空き教室を覗けば、差し込む西日を受けて並ぶ陰が2つ。今までは遭遇したことこそなかったその現場に、吐いた溜息は思いの外大きかったようで、うちひとつの影がぐらりと動いた。

「あっ、しなせん…っ」
「お前らァ、下校時間は過ぎてンぞ。早く帰れェ」
「ひっ、!」

気づかれたのなら仕方がないと声を掛ければ、その男子生徒はそそくさと俺の横を通り過ぎ、急ぎ足で廊下を真っ直ぐに進んでいった。真っ只中ではなかったのか、邪魔したなどという気はないが、たかだか教師の声掛けで逃げ帰るようじゃますます巫山戯るなと言いたくなる。

「苗字、お前もだ。…つーか、随分と呼び出しばかりだなァ?」

正しく教師と生徒の立場から、それらしい言葉が口を衝く。久方ぶり過ぎる2人きりの会話で話したいのはこんなことではないはずなのに、責めるような口振りはきっと指導者という立ち所の所為だ。

「別に…そんなこと…。嬉しくないです、し…それに、全部断ってる、から…」
「ヘェ、そうかィ」

安定しない語尾が、あの頃のように絡まぬ視線が、空いた4年は長すぎたことを表しているようだった。どうしようもないとはわかりきっているものの、無性に苛立つ己の器の小ささを噛んでいれば、名前がふと言葉を溢す。

「…不死川先生だって、人気なくせに」
「ハ?」
「なんでもない…失礼します」

小さく呟かれたその言葉の意味するところを問う前に教室を出て行った名前を、俺は追いかけられなかった。


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やっと話せたというのに、口から出たのはこれっぽっちも可愛くない言葉。見られたくなかったのはもちろんだけど、お門違いの嫉妬まで伝えなくたってよかったと思う。


昔から実弥くんはいちばんかっこいい。それは、わたしの目には実弥くんしか映らないようになっていることもあるけれど、そうじゃなくてもかっこいいことは、入学して暫くすれば簡単に証明されてしまった。

少なくとも、わたしが話したことがある女の子の半分以上は実弥くん−−不死川先生のファンだと思う。うちの学園の先生はみんなそれぞれかっこいいけれど、部活の先輩曰く、不死川先生はうちの学園の新しいタイプのイケメンらしい。白墨を握る横顔も、ほんの時々見せる笑顔も、怒った顔だって全部かっこいいけれど、理由はそれだけじゃないらしい。確かに、教師になってまでよりいっそう発揮されるとは思っていなかった服装は、正直あまり見せて欲しくないと勝手な独占欲が湧くくらいには刺激が強いように思う。それになんというか、会わない間に随分と体格も男性らしくなっている。昔は少し見上げるだけでよかった身長も、すごく高くなっているし。

だから、わたしだけがずっと好きだった実弥くんは、もう不死川先生であって、当然ながら他の人だって好きになることはあるのだ。逆も然り。実弥くんが誰かを好きになることだってあるだろう。でも、だからといって他の女の子と同じところに立っていると思いたくないのは、心内で幼馴染だということを武器にしているから。けれどおおっぴらにできないその事実は所詮なんの盾にもなってくれなくて、実際問題こうして呼び出されてしまえば、もしや応える気があると捉えられるのは仕方のないことだと思う。

好きな人がいるからとそもそも応じなかったらいいのだけれど、それができないわたしは本当に情けない。それに見られてしまった今、きっと優しい実弥くんはわたしが誰かと恋愛することをも、笑って応援してくれそうなのだ。そんなの全然、嬉しくない。わたしにとっての恋愛は実弥くんとじゃなきゃ意味がないし、たとえもしそれが叶わなくても、実弥くんに応援なんてしてほしくない。

けれどどのみち実弥くんとは今のこの立場関係では何にもならないことは、わたしだって十分すぎるくらいわかっている。皮肉にも、好きだと明け透けなく伝えてくれる彼らが少しだけ羨ましくなるくらいに。


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「不死川、今週の放課後見回りはお前だ」
「わかりました」

朝礼後、悲鳴嶼さんからの伝達に了解しながら思い返すのは先週のこと。信じても疑ってもいなかったが、実際に行われているその現場への遭遇は、人伝に受けるそれ以上に堪えるものがあった。昔からなんとなく、自分の天職のような気がして就いた教職だというのに、うっかりすれば自らその道を踏み外しそうになるくらい、苛立ちを増すには十分だった。


「ド派手に荒れてんなあ」
「ア?」

またも軽口を叩きにやってきたのか宇髄を睨めば、あやすように両手を翳して嗜めらる。

「気持ちはわからなくもねえが、ド派手に顔が怖えっつーの」
「………」
「いいか?自分のものにしてえんだったら、早いとこそうしちまえ。そりゃ、立場上バラすわけにはいかねえけど、今よりマシだろ」
「ハ…」

何を言い出すのかと思えば、後ろ盾とも取れる発言に思わず開いた口。

「断ってんのにあんだけ呼び出される方もしんどいたあ思うけどな」
「………」
「お前が理由になってやれよ」

「お断りのな」と、叩かれた肩に暫く呆然とする俺を冨岡の竹刀が小突いた。


そうしてどうにか貼り付けた教師としての面の元、放課後を告げるチャイムが鳴れば、伝達通り校内の見回りに。いくつかの教室でまごつく生徒を帰宅へと促し、おおよそ生徒はくることがないであろう旧校舎まで足を伸ばす。どういうわけか働く五感に小さく頭を振ってみるが、微かに聞こえる人声から足速に開けた教室の扉は慮外に大きな音を立てた。

「オイ、若ェっつーのはいいことだか、ンなとこで盛ってんじゃねェぞ」

薄暗い教室で振り向いたのは校内でもわりと有名な三学年の生徒だった。そうしてそいつの両手が掴んでいるのは、紛れもなく名前の手首。眉山に神経が脈打ったのは一瞬で、ともすれば割り込んで引き離したい衝動を残った理性で押し鎮める。

「ああ、しなせんか。なんだよ」
「お前、ここが学舎だっつーこと忘れたわけじゃねェだろうなァ?」

表情は見えぬが俯いたままの名前に、同意も何もあったものではないことは明白だった。どうかその握られた手首にさして力がないことを願う。

「うるせぇなあ、教師が生徒の交友関係に口出すなよ」
「アァ?」
「だからぁ、見りゃわかんね?俺らはこれから友好な関係を築くつってんの」

反抗的な態度は噂に聞く通りで、時に強面と称される俺にでさえ臆することなく突っかかってくる様に、たかだかガキ相手にとは思うものの、上がった血の気は治らなかった。

「…てめェ、誰に向かって口聞いてンだ」
「誰でもいいだろ、邪魔すんなよなあー」
「邪魔だァ?ハッ、笑わせンな。そいつの顔見てみろ、なにが友好関係だ。すっかりお前に辟易してンだろが」
「は?んなことねぇし」
「どうだか」

俺を一瞥した後わかりやすい猫撫で声で名前を覗き込むソイツに、妙な動きがあれば蹴飛ばし兼ねない己の苛立ちはピークだった。

「名前ちゃん、俺ら仲良くできるよなあ?」
「…あ、えっと…」
「ていうかセンコーがいてちゃ気まずいもんな、移動する?」

そうして僅か力が込められたであろう手首に、片脚を持ち上げ掛けた時だった。

「あ、の!っ、先輩のことは別に好きじゃない…っていうか…まず、先生に対してそういう口の聞き方するのとか、ちょっと、その…ごめんなさい」

そう言って掴まれていた手首を振り下ろして解いた名前に一瞬たじろいたもののソイツは、今度は肩をも掴みそうな勢いで距離を詰める。

「え?さっきまで友達からとか言ってたじゃん!」
「うん、と…そうですね。波風を立てたくなかったんですけど…でも、今無理になってしまいました、すみません」

捕まる前に大きく一歩退いて頭を下げた名前に、ソイツの醸す空気が変わったのがわかった。

「は?なんだよそれ。ちょっとかわいいからって、調子乗ってんじゃねえぞ」

「ふざけんな」とあがった片手は予想済みで、下される前に少々力を篭めて掴んでやれば、わかりやすく顔を歪めた。

「フラれた上に手まで出すたァ、みっともねェ男だなお前」
「っ、うるせえ!お前が邪魔したからだろ」
「アァ?どのみちンな態度じゃコイツに好かれるこたねェだろうよ」
「っ…なんだよ!触んな、離せ!」

正直このまま片腕で締め上げることも容易ではあるが、暴れる野郎に構うよりも先ずは名前だ。拘束を解けば悪態を吐いて態とらしく腕を摩りながら出ていった野郎を見送って名前に向き直ると、何故だか少しバツの悪そうな顔で窓の外を見つめていた。

「お前なァ、なんであんなやつの呼び出しにまんまと応じてやってんだ」
「呼ばれた、から…それに、何回断っても教室までくるんだもん」
「ハァ?」
「でも、断るつもりでした」
「そりゃそうかもしれねェが、現に危ねェやつだってこたァわかっただろ」
「そうです、ね…」

依然窓の外を見つめたまま、一向にぶつからぬ視線の理由はなんなのか。先とは意味違う鼓動の速さは、らしくないほど喧しい。

「心配かけんな」
「………」
「なァ…ほんとに、頼むから」

懇願するよう発した声は思った以上に情けない色をしていて、ぴくりと身体を揺らした名前はゆっくりとこちらを向いた。

「…それは、」
「ん?」
「それは、先生だからですか?」
「へ?」
「不死川先生だから?」
「ハ…?何が言いてェ…」
「…すごいと思う…でも、先生になったのは実弥くんだから。先生としてならもう心配しないで」
「ッ…」


そうして漸く合った瞳は、その表情は昔と少しも違わなかった。すっかり成長したことに変わりはないが、その口振りといい無理して強がりを言うのがその証拠。


「先生としてじゃねェよ」

絡んだ視線を剥がさぬように一歩距離を詰めてみると、身長差分から見上げてくる名前は真一文字に噛んだ唇を微かに震わせる。

「昔っから見てきたンだ、誰のもんにもなってもらっちゃ困る…」
「………」
「でも、な」
「今はまずい?」
「ッ…」
「3年も我慢できないって言ったら?」
「お前なァ…」
「やっと毎日顔がみれるのに、なんで先生なの…っ」

歪んだ表情はあっという間に崩れて、決壊した涙腺から溢れる涙を抑えることなく、開いた俺の胸元を叩く名前を4年前は抱きしめてやれたというのに。


数十秒が数時間にでも感じられそうな時間の間尚も虚しく空を切る両腕に、名前は小さく鼻を啜った後離れていった。


「ごめん、ね…先生になったこと嬉しいのは本当だよ。昔から言ってた夢を叶えて、本当にすごい」
「あァ…」
「でも…ちょっと寂しい」


そう言って濡れた頬を甲で拭って、赤い目で笑った名前を抱き寄せるまでに判断はなかった。


頭の隅では警鐘を鳴らす最後の理性を飛ばして、ぶつけるだけの唇を重ねれば驚いたように開かれた瞼も、瞬きの間に瞑られた。煽るだけにしかならぬ揃った睫毛に飲み込まれぬよう、せめてもともう一度強く押し当てたあと、最早意地で引き離す。

「は…さ、ねく…っ」
「…ここまでだ」
「っ、…」

襟元に皺を寄せる名前の手を取って剥がしながら、今度は俺が唇を結ぶ番だった。

「…あ、いや…そ、うだよね…」

本当は、したいことなんて山のようにある。それはもうこの立場とか、齢だって、かなぐり捨てられたらどれほどいいかと思うくらいに。

「…これ以上は、絶対越えねェ」
「うん…」
「今は、だ」
「う、ん?」

疑問符を浮かべた名前の手を握ったまま、片手で赤らむ瞼を擦れば、喉奥を鳴らす気をはらんだその仕草は明らかにもう昔とは違う。

「全部俺のモンにしちまったら、教師としての分別がつけられそうにねェ」
「へ?」
「そうだなァ…お前だけは寝てもサボっても成績はオール5だ」
「な、にそれ…っ、あははっ、実弥くん時々すごいこと言う」
「それくらい好きだっつー話だろうがァ」
「すっ…やっ、やめてよ!急にそういうこと言うの!」

あえて壊した雰囲気に、和んだ空気に僅か息を吐く。飲まれて仕舞えば何かが終わるほど、俺はとっくに絆されているのだ。

「実弥くんて昔から突拍子もないよね…」
「あァ?好いてる女甘やかすのが男の冥利だっつうの」
「なっ…」
「嫌かよ」
「っ、だ、だとしても、成績はそれに入るの?」
「なんだよ、他のモンがいいってか?」

泣いたり笑ったり赤くなったり、ころころと表情を変える名前は、やっぱり昔から俺の1番であることに違いない。

「実弥くん」
「ン?」
「3年、待っててもいいの?」
「あァ…待たせてばっかりだけどなァ」
「っ、もう、ほんとだよー!」

そうして至極嬉しそうに怒った名前に再び伸びそうになる腕を既の所で堪えたところ、突如として響いたノックに2人して飛び上がって振り返る。

「あーのさ、邪魔して悪いんだけど…お前ら、ここが学舎だってことド派手に忘れてねえだろうな?」

「なかなか帰ってこねえからあー」とひらひらと手を振る宇髄の前世は忍者らしいということを何故だか今思い出すくらいにわかりやすく動揺した俺に対して、名前は案外冷静で、ひとつ頭を下げた。

「宇髄先生」
「なんだ?」
「秘密にしてください」
「はっ、可愛い教え子の頼みたあ断れねえな」
「ありがとうございます」
「んで、不死川は理由になれそうか?」
「へ?」

唐突にそう問われた意味がわからない名前は、入り口ドアにもたれ掛かって口端を上げる宇髄と、俺とを交互に見比べる。

「アー…名前」
「なあに?」
「万が一、次呼びされたら絶対に断れ。ンで、ソイツが執拗いようだったら俺に言え」
「え、あ、うん」
「まァ、お前にこれ以上変な輩をあてがうつもりは一切ねェが、一応だ」
「うん、わかった」

こうなれば無論職権を濫用してでも排除するつもりではいるが、我ながら酷い独占欲だとは思う。けれど、どこか安心したように笑う名前を見れば、何も問題ないように思えてしまうのだから、俺はいよいよかもしれない。


ともかくこれで、そういう意味では日々の業務に支障が出ることはないだろうと、微笑む名前の髪を乱した。




「だから、俺のことド派手に忘れてんじゃねえって!」





2021.08.17


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