02


待てど暮らせど届かぬ返信に、執拗に繰り返したメッセージに漸く返ってきたそれは、あまりに明白な嘘だった。とはいえ事情があるのは理解したと、言いようのない感情で滾る心内のまま繕った文面を送れば、戻ってきた繕われていない字面に溜息を吐く。


つい先日の、画面越しでも伝わるほどの笑顔の彼女はどこへいったのか。無理してでも会えた時間を優しさに縋った結果としては相応しいかもしれないが、そもそも、俺に嘘を吐くなど、真っ直ぐな彼女がそんなことをするだろうか。そうしてその理由がもしも、そういうことだとしたらどうだろう。いや、それはやはり信じられない。彼女に限ってそんなこと、あり得ないと断言できる。


一方的に終わらせようと足掻いた痕が残るメッセージに返信こそしないまま、手に持つ白箱の取手は歪んでいた。


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週末、彼女から連絡が来ることはなく、俺もまた連絡することはしなかった。

そうして月曜日、送られた内容を鵜呑みにはしていないが、念のためだと、彼女が勤める会社に伝手を辿って探りを入れれば、やはりあの日彼女は残業などしていなかった。いつもの通り定時ぴったり、軽やかな足取りで退勤したそうだ。

となるとやはり、あれは全てが言い訳で、さらには今は繁忙期でもないからして、忙しくなるというのも嘘だろう。けれど、それならばなぜ。

あの日もふと過ったひとつの思考に行き着くと同時に、あり得ないと思いつつも、けれどもしやそうだとするならば、原因はやはり己の怠った逢瀬のせいかと思えば、後悔が襲った。その差分から、抱きしめればすべてこの腕の中におさまるように、すっかり閉じ込めてしまっていればよかったのだろうか。けれど、そんなことしなくとも、さらには自分でいうのも可笑しな話かもしれないが、時に、惚れているのは俺の方だと張り合いたくなるほどに、彼女は俺に惚れていた。もっとも、今はそれらはすべて自惚だったということにいきつくのだが。

嘘吐きなどと似合わぬことをさせたのも、彼女の優しさなのだとしたら、あまりに酷だ。けれどだからといって語気を荒げ食い下がるようなことはしたくはない。お互いもう大人であるからして、きちんとしたトーンと話し合いを設けるべきだ。となればそのための時間整理を、彼女はあの日捻り出したのかもしれない。


いつも通り動く手と比例しない思考に、皮肉ながら、貼り付けの笑顔だけが味方していた。


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話をするなら週末にしようと、金曜日の就業時刻を狙って短いメッセージを送った。返答がどうであれ彼女の家には行くつもりであるし、それこそもしも最後となるならば、残る自身の形跡は持ち帰った方が良いだろうと思ったのだ。


使い慣れた合鍵はカバンのポケットに仕舞ったまま、エントランスで呼び出し音を鳴らす。そうして響く無機質な音に、既読になっているからして万が一のことはないだろうと、心内で言つ案外気弱な自身に気付けば、待っていた声。

「…はい」
「俺」
「…今開けます」

ぶっきらぼうな自己紹介に返された、機械越しの声色に覇気がないと感じられるのはどちらの意味か。いつもなら自ら開けるその扉が開くと同時に滑り込ませた身体は、柄にもなくぎこちなかった。

そうしてあっという間に玄関扉の前についてしまえば、先の気持ちを持ち合わせたまま、チャイムに手を伸ばす。僅かな間のあと、ガチャリとやけに大きく聞こえたその音と共に開かれた扉の向こう、薄暗い廊下の中見えたのは、会いたくてたまらなかった彼女の姿。

「久しぶり」
「お久しぶり、です…」
「…入っていいか?」
「どうぞ…」

いつもなら、彼女の纏う香りごとそっくり抱きしめてしまうというのに、口を突いて出たのは余所余所しい強がりだった。



変わらぬ部屋にいつもの匂いが満ちていないことに、押しやっていた一抹の不安が過ぎる。気づかれない程度に部屋を見回して、リビングに案内されれば、ダイニングに腰掛けるように促された。上着とカバンを置き座れば、名前は俺の向かいに座って視線を落とす。

「…顔も見たくないってか」

入室から数分、一向に合わない視線に発した声は、無意識のうちに低かった。けれど自分でもどうしたものか、続く言葉は止まらない。

「ハッキリ言ってもらわねえとわからねェ…だから、単刀直入に聞く。男ができたのか?」
「えっ?」

ここでもしそうだと言われたら、俺は潔くこの部屋を出ただろう。けれど、驚き顔を上げた名前と漸く交わった視線は潔白を訴えていた。その瞳に安堵しながらも、気弱になった思考から続ける言葉で確信を探す。

「悪いがちょいと知り合いがいるもんで確かめさせてもらった。残業だと、暫く忙しいと言っていたが、この1週間お前は変わらず定時で帰っていただろう。それから、先週の金曜日もだ」

「なにしてた?」と締め括り、もう一度見つめた瞳は揺れていた。俺の執着に呆れただろうか、撤回する気こそないが早々に詰め寄りすぎたかと、改めて口を開こうとしたときだった。

「…ません」
「うん?」
「いませんよ、男なんて…」
「そうか、じゃあなんで「実弥さんの方こそ」

嘘を吐いたのかと、続けようとした言葉は名前によって遮られる。

「俺の方?」
「…っ実弥さんの方こそ、女の人が、いるんでしょう?」

小さな声でそう呟かれ動揺したのは、どういうわけか名前までもが俺と同じ思考にいたっていたからだ。

「なんでそう思う」
「見たんです…」
「…何を?」

再び現れた旋毛に、どういうことかと問い掛ければ、暫くの沈黙の後、名前は意を決したように話しはじめた。


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頭の片隅で、連絡がなかった理由に最悪の場合を想定していた思考を消し去ると同時に、やはり全ては俺の失着だったと再び後悔の念が襲った。そうしてついにはらはらと涙を流す名前を見てしまえば、やり場のない怒りまで湧き上がるのだから、本当に俺は情けない。

そうして全てを語り終えたあと、目を腫らした名前を前に思わず吐いた息は、紛れもなく自身へのものだった。

「ったく、1人で結論出してんじゃねェよ」
「えっ、」
「俺が悪かった、ごめん」
「実弥さん…?」
「隠すこともねェから言うが、あれは、俺の失着が招いたことだ」

惚れているとか惚れられているだとか、そんなことを言っていられるくらいなら、俺は名前を泣かせることはなかったはずだ。


ひとつひとつ話をすれば、名前は時折り鼻を啜りながら、黙ったまま頷き耳を貸す。

話途中、思い出すだけでまたも湧き上がる怒りは眉間に寄った皺で感じたが、その対象こそ今思い出すべきではないからして、もう一度息を吐けば、涙の跡が残る名前を見る。


「そう、だったんですか…」
「あぁ。でも、理由があるとは言え傷つけたことには変わりねェ。悪かった」
「いえ、わたしも、事情も知らずに…」
「ンなこたァいいんだよ。誰だってそんなところ見ちまったら変な思考にもなるだろォ」

そんな光景を見なくとも、心から信用していようとも、有らぬ考えが過ったくらいなのだ。万が一目の当たりにした日には、早々に割り入ったに違いないそれを思えば、名前の胸中を知る。そうして、自身がいかに名前に甘えていて、その存在がどれほど大きなものであるかを、今更ながらに自覚した。

「名前、もっと欲張ってくれ」
「えっ?」

紛れもない本音だった。俺ばかりがその慕情を募らせたところで、名前の遠慮が変わらないのであればまるで意味がない。色恋ごとにおいては歳の差だとか立場とかそんなものは皆無であり、お互いは対等であるべきなのだ。もちろんそれは自身が向けるのと同じように、その気持ちを感じたいという己のエゴからかもしれないが、そんなもの、今は構っていられなかった。

「俺はこの1ヶ月、そうして仕事を優先したわけだが、名前のことを考えない日はなかった。ありきたりだが、ちゃんと飯食ってるか、とか、風邪引いてねェか、とか。たまの連絡があるだけ大丈夫だとは思ってたが、会えてねェ分余計に心配だった。そうして漸く会えると思ったら、今度は一切の連絡が取れねェ。でも聞くにそんな事情でもない。正直、名前に限ってと考えたくはなかったが、もう愛想尽かされて、捨てられた、と思った」


こんなふうに、心内を曝け出すことは今までだってしたこともなければ、きっとする日が来るとも思ってはいなかったのだが。けれど過ったその思考は、いくら頭を振ろうとも、つい先ほどまで残っていたのもまた事実。


俺の言葉に名前は大きく目を開いて驚いた顔をしているが、そのリアクションから、やっぱり名前も俺と同じ思考だったのだと汲み取れた。

「違います!そんなこと、あり得ません!わたしが1人で勘違いしただけで…っ!」
「そうだァ、結果は勘違いだ。でもな、それくらい俺は、一瞬でもお前を信じられなくなるくらい、この1ヶ月を後悔した」
「そんな…」
「もっと掛けられる言葉はあったんじゃないか、会いに行けたんじゃないか、ってなァ…。それとも、そう思ってンのは俺だけかァ?」


名前の必死な言葉選びに湧き立つ愛おしさから、たまらなくなって椅子を引けば、擬かしかった数歩の距離を漸く埋める。控えめに回された腕から伝わる熱に、懐かしささえ感じながら、もう2度とこの腕の中から離してなるものかと、拗れた独占欲の元、やはりいっそ閉じ込めてしまいたくなった。


暫くすると身を捩って、きっと本人も無自覚の熱を浮かべて俺を見上げた名前。その表情に、その瞳に、煽られたのだからと言い訳をして「飯は食ったか」などと、澄ました声を掛け抱き上げる。

「な、えっ?」
「俺も飯食ってねェんだわァ」
「何か食べますか?」
「あー、そうだなァ」

驚きながらも大人しく抱えられている名前に苦笑しつつ寝室に向かえば、お気に入りだと紹介された間接照明のスイッチを入れて、包まれる暖灯の中、ベッドに降ろした。

「え、っとー…」
「1ヶ月だぞ」
「はい?」

そうして、困惑する様子を構わず寄せた唇はあろうことか阻止された。すっかりそういう雰囲気ではなかったかと舌打ちさえも溢れそうになり見つめれば、つい先の表情から一変、声色とは対照的に真剣な表情をした名前。

「あの、わたしも…わたしも、実弥さんが1番です。かっこよくて、優しくて、仕事ができて、わたしのこともたくさん考えてくれて、それから…全てをうまく言葉にできないのが悔しいけれど、とにかく…わたしの全部が実弥さんを大好きだって言ってます!」

そう言い切って自信に満ちた表情に変わる名前に、思わぬ反撃に面を食らったと、自身の顔中に熱が集まるのがわかった。

「っ、くそっ、見てんじゃねェ…」
「…電気つけたの、実弥さんですもん」
「な…っ、名前、お前なァ…覚悟しとけよ…、抱き潰す」

ばくばくと途端に煩い心音をそのままに、虚勢ともとれる台詞を吐けば、今度こそ受け入れられた唇を合わす。啄むように何度も繰り返していれば、名前が俺の首に腕を回した。いつになく積極的な仕草に新たに早打つ脈を悟られまいと、いつもなら消してほしいと抗議される明るみをそのまま、押し倒す。


そうして仕舞い込んでいた感情も、紛れもない素顔のままお互いの全てを曝け出して迎える夜は、何故だか少し涙が出そうになるくらいに、しあわせだった。


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「あの、実弥さん。ひとつだけ聞いてもいいですか?」

情事の後特有の微睡の中、左隣、シーツを纏った名前が俺の方に向き直り呟いた。まだなにか話していないことがあっただろうかと、聞き返せば、なにやら言いにくそうにちらちらと俺を見ている。

「うん?」
「あの…か、鍵…、どうして使わなかったんですか?」
「ッ…あー…それ、聞くのかァ?」
「えっ、あ…気になっちゃって…」

ここまで曝け出しておいて今更ではあるが、それに限っては打ち明けるつもりがなかった。なんというか、あの時でこそ気弱になっていたと言い訳をしていたが、やはり、男として少々格好がつかないと思うからだ。けれど、真っ直ぐに向けられる視線から逃げることはできず、さらには今でこそ暗転してくれていればと、自らが用意した明るみに文句をつけながら、向けられる瞳に口を濁す。

「…その、なんだァ。アー…誰かいたら、って思ったからよォ…」
「えっ?」
「ッ、だからァ!勝手に入っていってここに他の男でもいたらって考えたンだよ…ッ、!あァ、ックソ、言わせんなァ…!」
「!」

どうしようもない羞恥から語気を荒げれば名前はぱちんと音がしそうな瞬きをひとつして、もう一度俺を見つめた。

「そ、そうでしたか…」
「ンだよ、悪いかよ…」
「いえ、全然…そんな、えっと…」

そうして一瞬伏せられた視線が戻ってくると、名前は小さく微笑んで。

「実弥さんて、やっぱりかわいいですね」
「ハァァ?」

先程だって言われたそれに仕返しこそしたものの、またもそう言われ場に似つかわしくない喫驚をあげる。けれど名前は動じることなく向けられる表情は依然柔らかなままだ。

「わたし、実弥さんのこと大好きです!」
「ッ、なんで急にそうなンだよ!」
「だってそうなんですもん!伝えたいことはぜんぶ言えって、実弥さんが言ったんですよ?」
「ハァ…そうだけどよォ…」

そうして満面の笑みのもと続く言葉にとうとう面を覆って天井を見上げた。対等でいいとは言ったが、どうしたって可愛いのは名前であるからして、やはり釈然としないのだ。

ぐるりと思考をひと回しして、たどり着いたひとつの想い。そうして指の隙間から名前を見れば、視線がぶつかった途端、小さく息を吸う音が聞こえた。

「さ、ねみさん…?」
「俺も言わせてもらうわァ」
「あ、えっと…」

名前が言ったのだからと心内で言い訳をして、俺に向けられるその身体を、捲ったシーツから覗いた華奢な肩を押して再びスプリングに沈める。

「…まだ、足りねェわァ…。それから、」

困惑する名前を真上から捉え、その耳元に唇を寄せて。いつだったか、心臓に悪いと叱られた声色をそっくり真似て、込み上げた感情を吹き込んだ。

「あいしてる」



刹那柔肌を真っ赤に染めた名前は、どんな菓子も敵わないくらいにうまそうで、そうして俺はその甘さの隅々までをまるごと食べ尽くすのだ。




これからは何度だって口にすると決めた慕情を、素顔のままで伝えながら。





2021.05.17


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