昨日の晴天は何処へ、今朝の空に広がるのは薄墨色の曇天だった。そうしていよいよ終業間際という頃に、ついに雫をこぼし始め、あっという間にその足を早める。家に着く頃には土砂降りとなっていた。辛うじて傘は持っていたものの、風も強く吹いていたためその役割はほとんど無く、玄関を開けたわたしは真っ先にバスルームに飛び込んだ。

熱いシャワーを浴びて、部屋着に着替えてリビングに行くと、窓を閉めているにも関わらずどこからか隙間風が吹いているようで、温まったはずの身体が僅かに震えた。

《三寒四温》と、やたら語感だけは良い四字熟語と、《春の嵐》と、一聞すると爽やかそうなそれらの単語が表すこの季節ならではの天候は、実際のところ厄介なものに過ぎない。今夜もこの様子だと冷え込むだろうし、雨風は勢いを増し直に嵐となるだろう。


そうしてわたしは、そういう夜が、正直とっても、すきじゃない。


この家のもう1人の主、恋人である実弥は多忙を極める営業マンだ。その手腕を買われ、全国を飛び回ることも屡々。例の如く一昨日からまた地方への営業出張へ当てられ、今夜帰ってくる予定である。

暖房をつけるほどではないけれど、カタカタと窓を鳴らす風音には薄寒さを感じる。掻き消すように、最近実弥が気に入っているAIアシスタントに呼びかけると、流れてくるJ-Popのメドレー。少し懐かしいその曲に気分を励ますよう鼻歌を交え、あと数時間すれば帰宅するであろう恋人のために夕飯を作ることにした。


----------


解凍していた挽き肉は、肉だねとなり冷蔵庫に戻った。

どうやらこの雨風で搭乗予定だった飛行機が飛ばず、帰宅を断念せざるを得ないとのこと。もしわたしが女学生なら、そんなの嫌だと泣き言を言ったかもしれないけれど、もう社会人としてそれなりに歳もとっているので、仕方ないと諦めることも覚えている。

残念な気持ちと少しの不安を持ちながらも、何より無事であることが1番なので、了解の旨と、身の安全を思慮したメールを短文で返すと、すぐに返ってきた返信には「ありがとう」と「すまねえ」の二文。彼らしい言葉に思わずふふっ、と声が漏れる。実弥はどこまでも優しい人だ。


1人だとわかると途端に自分の食事は疎かになってしまう。良くないことだと思いつつも、もうお風呂も済ませてしまっているので、適当に胃袋を満たし、早めに眠ることにした。

しんと静まった部屋に、轟々と吹き荒れる雨風が窓を鳴らす音が響く。入居したのは2年前だが、新築として紹介されたので、こんなにガタつくとは聞いていない。近頃の耐震構造に些か不満を漏らしつつ布団を頭まで被ってから目を閉じた。


ふと、窓を叩く雨音に目が覚めて、ベットボードにある時計に手を掛けると、0時30分。眠りについてからおおよそ1時間30分が経つ。水を飲もうとベッドから下り着いたフローリングはやけに冷えていた。

人肌が恋しいと言うと、一般的には秋口から冬にかけてを言うようだけれど、わたしはこんな嵐の夜も人肌が、恋人の体温が恋しくなってしまう。それは単にわたしが怖がりだからだろうか。それとも、相も変わらずカタカタと鳴り続ける窓が、より、そう思わせるからだろうか。

すっかり目が冴えてしまって、落ち着くためにも、久方ぶりにアロマでも焚いてみようかしらと思い、テレビボードの下をごそごそと漁っていると、ガチャンと大きな音がした。強風で何かが倒れたのかもしれない。ベランダの物干し竿も、下ろすのを忘れていた。窓が割れても、誰かが怪我をしても恐ろしいので、意を決して片付けに行こうと立ち上がった時、再びガチャンと音がした。

玄関から聞こえたその音に思わず振り向き身を硬くする。見えてはいないが廊下の先で、明らかに回されたドアノブのあとに、ヒタヒタと足音が聞こる。この家はセキュリティも甘いのか?と、一瞬脳裏をよぎるものの、そんな考えはすぐに吹き飛んだ。


泥棒だ。


泥棒は雨風を好むと聞いたことがある。ということは今夜は彼らにとっては吉日中の吉日ということだ。

キッチンまで走っていって包丁を取ってこようか。でも万が一相手を傷つけたら、それは正当防衛になるのかしら。それならとりあえず、掃除ワイパーでも持っていようか。いや、どちらにしたって勝てっこない。

思考はものすごいスピードであれこれ考えるも、身体は強張っていて、結局祈ることしか出来ない。彼がいたら、こんなことになっていなかったのに。なったとしても、彼にこそ勝てる相手はそうそう居ないのに。

リビング扉の先の廊下でゴソゴソと聞こえる音は、鳴り止まない窓の音と重なり、恐怖を煽る。なかなかこちらに入ってこない様子からして、今の隙にと考えるものの、下手に音を立ててしまうと気付かれてしまうかもしれないと思うと動けない。そうしていよいよ近づいてくる足音にぎゅうっと目を瞑った。


がちゃり


「なんだ?起きてたのかァ?」
「はっ、え、なん、で…」

聞き慣れた声がして目を開けると、そこには上半身裸で、スウェットのパンツだけを履き、頭にタオルを当てた実弥が立っていた。

「名前?」

あまりの驚きとそれ以上の安堵、それから恐怖を与えた張本人への僅かな怒り。ぐちゃぐちゃな感情は涙に変わった。

「オイって、ちょ、泣いてンのか?」

突然泣き出したわたしに実弥は驚いたようで、タオルをすっ飛ばしドタドタと走ってくる。

「どうした、何かあったんかァ?」

抱きしめられて背中を擦ってくれる手に落ち着きを取り戻すものの、何故実弥がここにいるのかの疑問は晴れない。

「…飛行機は?」
「あー、飛ばねェから新幹線とタクシー使った」
「そ、う…」
「それよか、何でお前は泣いてンだよ?」
「いや…だって、帰ってこないって言ってたから。それなのに玄関は開くし、雨風は凄いし、窓はカタカタ鳴ってるし、泥棒だと思って…そしたら実弥だった」
「ハァ?何だよ、人を泥棒扱いすんなァ」
「なっ、帰ってくるならそう言ってよ!ほんとに、こわかったんだからっ…」

ぐずぐずと怒りをぶつけるわたしを実弥は笑う。

「あー、ったく、だから帰ってきたんだろォが」
「え?」
「どっかのかわいい女の子がこの嵐をビビってるだろうと思ってよォ」
「なっ…そんな言い方!」
「いいじゃねェか、当たりだろ?」
「っ…そう、だけど…」

尚もクツクツと喉を鳴らす実弥の鍛え上げられた胸板を叩くと、「わりィ、わりィ」と、大して悪びれる様子もなく返事をされる。その言葉にむっとするのも束の間で、結局わたしは、実弥に敵わない。だって、他でもないわたしのためだけに、彼は帰ってきたのだ。

「まァ、怖がらせたのは悪かった。でも起きてると思ってなかったからなァ。起こしても、と思ったから静かにしたんだぜ?」

そうして口角を上げる実弥に、「ありがとう」と伝えてる。そうして、僅かに身体を離すと、その唇に噛み付いた。

「…怖がらせた仕返し」

唇を離して、驚いている実弥にそう言う。

「…そうかィ。じゃあ、これはその詫びだァ」

今度は実弥から唇を寄せられて、ちゅう、っとかわいいリップ音が響いた。

「ふふっ、おかえり」
「ん、ただいまァ」

そうして額を寄せ合って微笑み合ったあと、手を繋いでベットに向かう。



怖かった嵐の音は、誰よりも風が似合う彼を前に、小さくなったようだった。




2021.03.12



|

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -