01

キメツ学園高等部の卒業式は無事に終演し、賑やかだった校舎の人影も殆ど無くなった。暫くすれば西の空が夕焼けに染まるだろう。

数学準備室の窓からぼうっとその様を眺めていると、コンコンと扉を叩く音がした。

「開いてる、入れェ」

呼び出したその人物であることは間違いがないので名前を問うことなく入室を促す。失礼します、と小さく声が響き入ってきたのは、本日目出たく卒業を迎えた生徒が1人。

「悪いなァ、呼び出しちまって」
「いえ、わたしも先生にはたくさんお世話になったので、お話ししたかったんです」

そう含羞むように笑う彼女−−苗字名前は、俺が受け持つクラスの生徒の内の1人で、この1年間は数学係として俺の右腕となっていた。

高校3年生にもなると、男子はさておき、女子は妙に大人っぽく、女らしくなるものだと、教師を勤めていて思う。無論、苗字も例外ではなく、元々端麗な顔立ちは学年を上る毎により艶やかに美しくなった。

教師が生徒に対してこういった邪な気持ちを抱くことが禁忌であることは承知しているがそれにはきちんとした理由がある。

俺と、この端麗な彼女は前世では恋人同士だったのだ。

----------

此処キメツ学園には教師陣含め前世の記憶を持つ人間が多い。元々持っていなくても、在学中に思い出す生徒も居ると聞く。

俺に関しては物心ついたときには既にそれらしき記憶があり、成長と共にはっきりしていったそれらはあの頃と様変わりした平穏な日常がどれだけ有難いことか痛感させた。

暫くして増えていった家族、学生時代に出会った仲間、教師となり受け持つ生徒達それぞれに当時の面影を見る。そしてお互い記憶があると分かると幾度となく歓喜した。勿論彼女のことは他の仲間も周知のうえだが、探す術もなく時間だけが経っていった。会いたい気持ちと裏腹にどこかで生きていてくれたらいいとさえ、あの頃と同じように祈ったりもした。

一貫校とはいえ高等部から編入してくる生徒も中にはいて。教師となり2年目の春、そうして入学してきた苗字を見つけたときは安堵とともに嘆息したのを覚えている。確かに齢まで丸っ切りあの頃と同じという人間は少ないように思っていたが、よりによって生徒とは。だが、会いたいと願った彼女は齢こそ幼いが当時の端麗な容姿そのままに目の前に現れたのだ。

編入してきたということだけでも些か噂にはなるものだか、それに加えて彼女は同学年は勿論、全校の女子生徒と比べてもやはり目立ってしまうほど、端麗な容姿をしていた。男子生徒には些か刺激が強く、女子生徒からは羨望の眼差しを受けるに相応しい。当時の彼女を知る同僚も全く持ってそのままの苗字に驚嘆した。

その上で更には成績優秀。所謂才色兼備であるのだが、彼女はその人柄の良さから他生徒から揶揄されることはなく、あっという間に学園に馴染み、同性の友人はもちろん、惚れ込む輩も多いとよく耳にした。

そうして一貫してのこの3年間、今日まで俺は陰ながら(時に職権濫用を行使しながらも)文字通り苗字を見守り続けてきた。そしてどうか苗字にも記憶が戻ればいいと願った。

が、終にその願いは叶うことがなく今日を迎えてしまう。しかし、だ、教師と生徒という関係は本日を持って終焉を迎える。齢に関しては些か問題が残るかもしれないが、少なくとも禁忌ではない筈だ。

贔屓目に見ていることはすっかり隠して俺の右腕につけて1年、信頼は得ていると自覚がある。それもその筈、こうして呼び出しに応じるのだから少なからず好意はあると思いたい。

「卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
「1年間数学の手伝いもさしちまって、ありがとなァ」
「いいえ、特別に補習までつけてくださって、わたしの方こそ感謝です」

それに関しては勿論、断る理由もない訳で、寧ろ2人きりの時間を過ごしたかったからだと邪な気持ちがバレていなくてよかった。

「苗字に関しちゃなんの心配もしてないが、無理せず頑張れよォ」
「はい、先生もご自愛くださいね」

なんて当たり障りのない会話なのだろうか。こんな筈ではないのだが、いざ対面すると柄にもなく神経がぞわりとしてしまう俺はそこらの男子生徒と何ら変わりない。顔に出さないだけ大人ではあるが。

そしてこうして会話することで思い知らせれるのはやはり苗字は何も覚えていないということ。思い出させるには時に残酷な記憶であることに変わりはないが、せめて俺のことだけでも思い出してほしい。

どうやって話題に出すべきが思索に耽っていると、ふと苗字が口を開いた。

「あの、先生…変なことを聞くようなんですが、」
「なんだァ?」
「その、卒業したらもう生徒じゃなくなりますか?」
「は?」
「いやっ、あ、その…」

まさか。

「まあ此処の生徒じゃあなくなるが、どういう意味だァ?」
「えっと、うーん…」

苗字はうんうんと唸りながら差し込んだ夕陽とは違う赤に耳を染めている。

「そのっ、生徒じゃなくなるってことは、っれ、恋愛対象にもなるのでしょうか?」

尻窄みになったがハッキリそう聞こえた。恋愛対象になるか、と。つまりそれは、そういうことか。記憶は戻らなくとも、こいつは、俺を…

「まあそうだなァ。教師と生徒という関係ではないからして、そうなったとしても問題はねぇだろ」
「っ、ですよ、ね…っ、すみません変なことを聞いて」
「いや、構わねえが。それはつまりそういうことかァ?」
「えっ…」

それ以上突っ込まれないと思っていたのだろう、俺の問いかけにあからさまに身体が跳ねた苗字は年相応に可愛らしい。

「生徒じゃなくなれば恋愛対象になるかってこたァ、何処ぞの教師をお慕いしてるってことかと思ったが?」
「あ、っ、えへへ…そうですよね…」

ふっ、と僅かに距離を詰めてみるが逃げる素振りはないことに口角が緩むところを寸で耐える。

「先生にはお世話になったし、たくさんお話しも聞いていただいたので…隠し事はできないですね」

またも含羞む彼女を今すぐに抱きしめたいところだか、此処まで来たら言ってもらわねば俺の3年間は報われないだろう。

「その、実は好きになってしまって…」
「ほう…?」
「あっ、でも恋人がいらっしゃるかもしれないので、分からないんですが。気持ちだけでも伝えて終わりたいなって…」
「へェ?」

とうとう真っ赤になってしまった苗字の口から次に発せられるだろう言葉を期待して待つ。無論俺に恋人はいないし、言わずもがな答えはイエスだ。

「その、っと、冨岡先生は…」
「ハ?」

間違えたのか?はたまた聞き間違いか?開かれた薄い桃色の唇からは予想だにしない男の名前が発せられた。

「冨岡先生は、恋人とかいらっしゃるんですかね…?」
「っ……」

どういうことだ。冨岡だと?よりによってコイツは、あの冨岡を好きだと言うのか?前世ほど仲違いしてはいないもののそれとこれとは話が別だ。確かに面は良いかもしれないが時にスカしたあの体育教師のことを、コイツは、俺の苗字は好きだと言ったのか?

「冨岡だと…?」
「あっ、はい…」
「冨岡?」
「…っはい」
「本当に…」
「えっと、そ、うです…」

無意識に先程よりも距離を詰めてしまったようで、壁際に追い込まれた苗字は困惑しながら俺を見上げている。

「知らねェ」
「はっ、そうですよね…、すみません」
「っ、なンだよお前、本当に…」
「えっ、不死川先、せ…っ!」

俺が耐え忍び抜いた3年間でコイツは俺じゃない男に惚れたと言うのか。しかも俺と同じ立場の男に。憤りそのままに腕を捻じ上げその唇に齧り付いた。

驚きに目を見張る苗字が何か言おうと口を開いたのを見逃す筈もなく、視線は合わせたまま口内を貪る。閉じてしまえば良いものの、開かれたままの瞼、潤んでいく瞳に僅かな理性が俺を揺すった。

「っん、」

唇を離すとだらしなく繋がり溢れた銀糸そのままに苗字は座り込んでしまった。

「せん、せ、なんで…」

そう呟いた苗字の震えている声と身体に我に返ると同時に今し方自身がした行動に後悔が襲った。

「…こういうこったァ。生徒じゃなくなっても大人の男と小娘じゃあ話になんねェな」
「っ…」

瞬きした瞳から溢れた涙を拭える筈もなく、吐き捨てるようにそう言い放つ。

「あ、はは…そうですか」
「はァ?」

不意にへらりと笑った苗字は立ち上がると俺に近寄る。皮肉なことにこの身長差が懐かしいと思ってしまった。が、

−−パチンッ

乾いた音が響いた後じんわりと熱を持ち始めた左頬に平手を食らったと理解した。

「も、う生徒じゃないのでっ…」

そう言って潤んだ瞳できっと俺を睨んだ苗字は来た時と同じように、違う声色で失礼しますと言い出て行った。

「っざけんなァ…」

叩かれた頬の熱のようにじわりと滲む俺の3年間の慕情は、たった今沸る欲念に変わった。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -