大陸から程遠い大海の上では綺麗な花や美しい華なんてなく、唯青い水平線が広がっているだけ。
未だ目的の地は遠く物陰一つ見当たらない。海にポツンと浮かんでいるこの船は緩やかな風と穏やかな波に揺らされている。
頭上ではカモメの大群が五月蝿いぐらいに鳴いているが、今日は良しとしよう。

甲板では船員たちが酒や踊りなどどんちゃん騒ぎだ。
一緒に新大陸を征服しようとしている者なのかと疑いたくなるレベルである。


言わずもがな、なんとも穏やかな日だ。


最短ルートである為にこの海路に来たのだが、ここまで穏やかだと進みが遅くなってしまうな。

そう思いながらもイドルフリートは口元に笑みを浮かべで甲板から自室に戻った。

だが、それもたまには良いものだ。
巻き込まれ物資や船員に損害がでるより幾分もマシである。


「それにこうゆっくりと読書が出来るのはありがたい」


そう満足げに呟いてイドルフリートはカップに口をつける。口内に程良い甘さが広がった。
けして高級な品ではないが上品で口当たりのよい味に彼は頷いた。


「やはり良いポテンシャルの美人は趣味も良いものだな」

「いや、何言ってんだよ」
誰もいないと思っていた自室で自分以外の声が聞こえイドルフリートは顔をしかめる。嫌悪な雰囲気を隠すことなどせずに声のした方へ振り返った。

しっかりと閉めていたドアの前には呆れ顔のコルテスがおり、イドルフリートを見ていた。彼の手には酒瓶が握られており、真っ昼間から飲むつもりだったのかと悪態をつく。


「人の部屋に入るならノックをしたまえ低能が」

「いや、一応したんだが…」

「私に聞こえなければ意味がない!」


思わず溜め息をついてしまいそうだったがそれを呑み込み、コルテスは苦笑する。いつものやりとりだ。低能だと言われるのも慣れてしまったのが複雑である。


「…それで、なんの用事だ?」


本を閉じ向かい側に腰を下ろしたコルテスに目を合わせると彼は思い出したように“あぁ”と呟く。


「後どの位で次の大陸にたどり着くのかと思ってな」

「…この調子なら予定通り明明後日には着くだろう。あと半日過ぎれば風が吹くから遅れは取り戻せるだろう」

「そうか。ならよかった」


コルテスの言葉にイドルフリートは窓から空を見る。
さっきの呆れた顔は嘘みたいにしっかりとした顔つきで見る彼にコルテスは感心する。



やはりイドは最高の航海士だ。

心だけで呟いてコルテスも窓の外に目を向ける。積乱雲のような雲が所々に流れているだけでやはりよく分からない。

隙間風か何かかイドルフリートの髪がなびき、シルクのように美しい金色が揺れる。碧い瞳は嬉しそうに空を見ていた。


「なぁ、イド」

「なんだい?」

思わず名前を呼んだ後に息を呑む。上機嫌なのか少しだけ頬笑みながら振り向いたイドはあまりにも美しく。


「ー…っ!!」

「…?用がないのに呼ぶのは低能の行動だと思うが?あぁすまん。貴様は低能だったな」

「お前なぁ…」


確かに特に話すことはなかったのだが、今の一瞬だけで決めつけられるのはどうだと思う。それに低能低能と連呼するのも。
ただ見惚れていた、なんて言ってやるものか。

はぁ、とコルテスは深い溜め息をついた。今自分の言葉が出なかった理由が分からないのだから仕方ないのだが。


「……まぁいいだろう」

「…は?」


暫しの沈黙の後、イドルフリートはいきなり呟く。思わず聞き返してしまったコルテスを睨みつけながらイドルフリートは僅かに頬を染めた。


「…………別に君に名前を呼ばれるのは、嫌いという訳ではない…っ!だからと言って好きということではないぞ!勘違いするなよド低能!!」


ガタンッと勢いよく立ち上がったイドルフリートは逃げるように背中を向けて走り出した。
言い切り、顔を真っ赤にして部屋から出て行った彼にコルテスは唖然とする。固まっていた表情は状況が把握できるとどんどん緩んでいった。

にやける口元を抑えて“今他人に見られたら自分は本当に変な奴だ”と思った。


「可愛い奴だなぁ…本当に」


その声は誰に聞こえる訳でもなく部屋に消えていった。

ハッと我に返りイドルフリートを追おうとしたとき手に酒瓶を持っていることを思い出し、机の空いている場所に置く。

持ってきた本来の意味は成さなかったそれを後で2人で飲もうと微笑んだ。











些細なその言葉だけで




私はこんなにも平然を保てない

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