事実と真実と虚構

障子越しに燦々と日中陽の光を贅沢に浴びた畳の薫りが鼻をくすぐる。実家を美化して述べるのもなんだが、何度通ってもこの大廊下は心地良いと思う。
足の裏に感じるひんやりとした感覚を楽しみながら歩みを進める。ひたりひたりと裸の両足が吸い付くようだ。知った場所だとばかりにどかどかと大股で進めば、擦れ違った父の式(母ではないはずだ。彼女は狐を何故か嫌っている)に頭を下げられた。毎度毎度のことだがご苦労である。
広い和風家屋の我が家は神社の奥、辿りつくには鳥居を跨ぎ本堂を横切らなければいけない為、自然と知る人間は少なくなる。
―――職業柄、都合は良いのだが。
ふと障子の外に目を向ければ、緑は庭にも社への道にも繁っている。通り抜ける風も穏やかで、ここが現代日本であることをふと忘れてしまいそうになる。しかし実際のところ、長い石階段を下り少し大きな通りに出ればコンビニも学校もあるような何でもない土地だ。

俺はここで、生まれてから17回目の夏を過ごす。
昨年両儀陰陽寮を卒業した身にとって、この半年は多忙極まりないものだった。皐宮紅系統直系の魔術師ともなれば仕事が多くなるのも当然ではあるのだがいくら能力的に他より恵まれているからと言って実際はまだ青二才も良い所である。先に卒業していった先達の指導を受けながらこなす仕事は多くのことを学べるいい機会ではあったが、逆に言ってしまえば他と自分自身の生まれの差をまざまざと見せつけられることにもなった。

皐宮。

蛇の家系。

そして濃い血の交わる中に産み落とされた自分という稀有な存在。

能力、血統、歴史。全てが雁字搦めに自身を縛っていくあの息苦しい感覚は俺を少しずつ変えて行った。今となっては厄介だとすら思わないそんな鎖だが、他者と比較することで浮き彫りになってしまう部分もある。

「朔夜、ちょっと」
「何?」

かけられた声は鈴の音の様…言いすぎか。そんな歳でもない。聞きなれた気持ち低めの女の声。障子の向こうから呼びかけられて戸を引けば、深緑に銀糸の刺繍で彩った打掛を羽織った女が白い腕を伸ばしこちらを手招きする。女――……座敷で寛ぐ母が、何故自分の足音だと分かったのかなんて聞くべきではない。彼女の行動や察知に説明のつかないことは多くあることに加え、正真正銘の『魔女』に何を言っても無駄だという諦観も入り混じっているのが切ない所である。
『朔夜』というのは俺の名前だ。その命を、その心臓の鼓動を象徴する名前。
今となっては家族と一握りの友人、そして本当に信頼出来る人間にしか呼ばれなくなった名前。真名。
『鵺』の様な怪物ではない。『人間』としての俺の名前だ。
それを軽く唇に乗せた銀髪の彼女はその形の良い口を器用に歪ませ、にんまりと笑い何てことでもないようにそれを口にした。

「あんた、渡英することになったから」
「………は?」

珍しく―――本当に珍しく、俺は口をぽかんと開けた。
開けざるを得なかった。










所謂コーカソイドと呼ばれる人種の俺の母親―サラ・コウノミヤ、旧名サラ・スリザリン・ゴーント―の唇から溢れた言葉は、それまでになかなか衝撃的だった。

「どういうことだよ」
「そういうことよ」
「……………」

会話にならない。Please5W1H。行間を読むことが美徳の日本人でも流石に情報が少なすぎる。
紅い珠の様な目を細めてにこりと笑う、白磁の肌の美貌をもった女は数々の天賦の才の代わりに常識というものを母親の腹の中に遺してきたらしい。今に始まったことではないが彼女の突拍子もない行動・言動にはほとほと苦労させられる。
本人に言ったら包丁が飛んでくるので絶対に言わないが。

白磁と称せば聞こえはいいがいっそ病的に白い肌は、最近いっそうその青さを増している。記憶に残る幼き日の彼女は牡丹の頬をしていたものであるが、過去の彼女が花のうつくしさであるならば今の彼女は月の美しさとでも称するべきだろうか?病に侵されたその体で俺という命を産み落とした。やがて消えゆく俺の母。

無償の愛というものはどうしてこうも、うつくしい。

…とまあ、俺を産んでくれたことはとても有り難いのだけれど、いかんせん体の状況と彼女の性格が一致しているかといえばそれはまた別の話であって。
ため息をついて彼女に静かに問いかける。

「質問変えるわ……イギリスの、何処に」
「ホグワーツ」
「何処だよ、知らねえよ」
「魔法学校だから」

え、何、留学?
……西洋に?魔力の地盤も血の経脈も何もかもが違う、「あちら」に?

「"皐宮"が何かしたのか?」
「いいえ。克哉のつてというよりは私のつてかしら。コウノミヤは関係ないわ」
「じゃあ父さんよりあんたに聞いた方が都合が良いな。話してくれ」

日本は東洋魔術の土地である。当然そこにある魔力地盤は東洋魔術の地盤で、西洋魔術の地盤は無い。
魔力の地盤というものはその地で行使する魔術を補助するものだ。当然使う魔術がその土地に合っているものの方が効果は大きくなる。もともと東洋魔術も西洋魔術も同じ魔力系統のものではあるのだが、進化の過程で性質が大きく違うものになった。それは魔術を行使する場所の問題であり、東洋の地盤の上だからこそ東洋魔術は今の東洋魔術になったのであるし逆もまた然りである。
つまり、東洋魔術の地盤で生活し魔術を学んできた俺が西洋に向かうということは、いくらかの魔術の弱体化を免れないという事だ。日本に帰ってくれば元の魔術の威力に戻るとはいえ、自分の全力を出し切れない状況でいるというのは心もとない。
そんな状況になってまで、西洋に行く必要があるのだろうか。母が地盤についてのことを知らない筈が無い―――彼女は『西洋魔術師』であり、また、この東洋地盤の日本で思うように術が使えない苦労を知っている。その彼女のつてで、俺はイギリスに行くのだ。

とにかく厄介なことらしいのは解ったので、俺は要領を得ない彼女の言葉を必死に解読することにした。

勿論自分のために。








「……………で、意味分かったの?」
「ああ。どうやら俺には西洋魔術に適応する魔力の脈を持っていたらしい」
「うわあ」

午後。

衝撃の事実を告げられつつも持ち前のポジティブシンキン(現実逃避)で華麗にやり過ごし、予定通り友達――幼馴染みである少女、呉葉の家に遊びに来ている。
彼女は俺より四つ年下の西洋魔法使い。で、俺の行くホグワーツに通っている、今現在では唯一の日本人らしい。
日英ハーフである呉葉の母親はなかなか有名な魔法薬学(教科の一種で魔法薬というものを作る学問だ。日本でいう丹薬学の様な学問だろうか)の権威である―――まぁ呉葉自身は凄まじく魔法薬学が苦手らしいが。

………料理の腕の酷さを考えると、成績の予想がつくのがまた悲しい。

「大丈夫だよ朔夜!!」
「何が」

必死にフォローしようとする彼女の気遣いを有難く思いながらも実際はそう簡単じゃないだろうと独り言ちる。西洋魔術に関して、俺が呉葉より無知であるのは確実で。留学に不安はまとわりつく。
そもそも杖って何だ。杖が無いと魔術を使えないってどういうことだ。印は結ばないのか印は。魔力の発動についてはそれ程違いはないらしいが、俺からすれば道具を媒体として利用する形でしか魔術を行使しないという時点で大分意味が分からない。
呉葉がいるということで一人よりは大分マシだが、それでも不安は多分に残る。

そして妙に上機嫌だった母の微笑みがどうしても脳裏に焼き付いて離れない。留学以外にも絶対何か目的が有りやがる、いや、ないはずがない。

「ホグワーツは楽しいとこだよ!去年はハリー・ポッターも入学してきたんだから!」
「………『生き残った男の子』?ヴォルデモートを倒したとかいう」
「そう。…朔夜、その名前はあんまり言わない方が良いと思う。うちは平気だから良いけど」

……あぁ、怖がられてるんだっけ。
「闇の帝王」。ヴォルデモート卿。
あの後衝撃の事実その2を突きつけられた俺は、どうにもそのヴォルなんたら卿を怖がることが難しいんだが。そもそも奴は西洋魔術師である。魔力量、魔術の質に置いて圧倒的に劣悪である西洋魔術の行使者をどうしてそこまで怖がれようか。

「ね、朔夜、これ持ってる?」

彼女が俺に見せたのは茶色い手紙
―――俺が母に見せられたものと同じそれ。頷くと呉葉は嬉しそうに笑った。

「良かった、じゃあ今年はお買い物一緒に行こっ」
「、」
「杖とか買わなきゃね。これからも一緒だよ、朔夜」

にこ、と笑う呉葉に。

「………嬉しい偶然だな」
「だよねぇ」

まぁ、あれだ。
憂鬱の種が、すうっと消えて行くような気がした。

「でさ、朔夜。学用品の買い物なんだけど」
「ああ、それがどうした」

現代日本はあと数日で夏季休暇というところだ。いくら俺達は休みだからといっても、回りも休暇になって、人がいるほうが紛れるのに丁度良い。

「8月の………2日でどう?」
「良い。じゃあ、どうやって行くかは頼んだ」
「頼まれまーす」




  


「おかえり朔夜。でね、ホグワーツは千年前にいた四人の素晴らしい魔法使いが創設した魔法学校で――」
「帰ってきたと同時に玄関で学校の説明をする親がどこにいる!!」
「ここに」
「じゃあもうあんたに言えることは無ぇよ!!」

ツッコミだったはずの言葉に言葉を返されて叫んだ。
いらだちのままに廊下に進んでしまいたかったが体に染みついた癖が靴を脱いで揃える。良いのか悪いのか。
ふと隣を見れば下駄があったので、どうやら父さんが帰って来ている様だった。

「取り敢えず居間に行こう」
「そうね。こんなとこで話してたら夜が明ける」

………そんなに長いのか?
母さんの何気ない一言で少し冷や汗をかいた。

「あ、そういや母さん」
「何?」
「二日に呉葉と学用品の買い出しに行ってくる」
「あぁ、呉葉ちゃんね。解った、あとで金庫の鍵渡すから」
「……金庫?」
「それも今から話す。さ、父さんもう座ってるわよ」
「よう、愚息」

「……ただいま糞親父」
居間に着けば、胡座かきながら札を書いてる父さんがいた。

「ホグワーツ入学おめでとう」
「……ああ、ありがと」
「?乗り気じゃないのか?確か隣の西洋人の娘もホグワーツだろう」
「正直ついてける気しないんだが。さっき聞いたが、年齢的に転入するのは5学年だろ?周り俺より五年近くホグワーツにいるんだぜ?」
「基礎は一緒だから大丈夫だろ。知識は詰め込むしかないがな、夏季休暇中に」
「……俺の夏期休暇……っ」

さようなら俺の休業期間!
畜生やっと学長に解放されたのに!

「たった一ヶ月で一年から五年までの勉強をどうにか出来る頭に生まれたことに感謝したら?」
「誰拝んで感謝すれば良い?」
「多分隔世遺伝で朔矢様か、」
「かのヴォルデモート卿ね。一応どっちにも感謝しといたら?」
「………両親っていう選択肢がないことに悲しみを覚えて良いか」
「俺らが虚しくなる」
「………はぁ」
「大丈夫よ朔夜。なんとかなる」
「………そうだな」

嘆いてたって始まらない。まぁなんとかなるだろう。
この身に流れる西洋の血をきちんと活用するためには、向かわなければならないのだ、ホグワーツ魔法学校に。

「さ、それはひとまず置いといて。説明を再開するよ、朔夜」
「あぁ、頼む」

親父の向かいに胡座をかいて座る。
すると母さんが親父の隣に座った。
二対一かよ。

「東洋魔法と西洋魔法の違いとその歴史については両義陰陽寮で学んだと思うから、端的に朔夜、お前に関係あることだけ説明するよ」
「ああ」

俺の師匠兼父親兼陰陽師兼神主、皐宮克哉が口を開いた。





陰陽生じて両義となり、四象をもって八卦とする
(さよなら夏休み)(そしてさよなら日本)



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