※卒業後



 吐き出した息は白く煙って、夜空に溶け込むように消えていく。ついさっきまで薄紫と濃紺のグラデーションを描いていたはずの街灯越しに見上げた空はいつの間にか黒く染まり、遠くに小さく星が瞬いていた。すぐそこにまで近付いてきた冬の気配に、ここのところ日が落ちるのが早い。吸い込んだ空気が喉と肺の奥に冷たく染みて、隣を歩く彼にそっと身体を寄せた。

「やっぱりここからだと、星はあんまり見えないね」
「そうだな。……まあ、プラネタリウムのあとだから尚更だな」

 そう言って、隣で夜空を仰いだ珪くんの息が白く煙る。すっかり暗くなった人気のない住宅街で、ぽつりぽつりと等間隔に並んだ街灯が彼の頬に落とすまつげの影を見つめた。
 高校の頃から今もこうして変わらず、一緒に過ごした日の帰りには決まってわたしを自宅まで送り届けてくれる。あの頃から変わったことと言えば、デート帰りの寄り道の選択肢に喫茶店が加わったことと、こうして手を繋ぐのに特別な理由が必要なくなったことだった。指の間を絡ませて繋いだ手を、そのまま珪くんの上着のポケットに入れる。こうすると二人の間で手を繋ぐより二人の距離がぐっと近くなることも、手がより暖かくなることも、知ったのはここ最近、高校を卒業してから初めて迎える冬も間近な秋の暮れだった。
 ふと、なんとなく。本当に、なんとなく。特に何も意味はないけれど。不意に今思い付いたことを実行すべく立ち止まると、繋いだ二人分の手が自分の上着のポケットに入っている珪くんもわたしにつられて足を止めた。自分で言うのもなんだけれど、我ながらこういうくだらないことを思い付くのは結構得意だったりする。

「ねえ珪くん、」
「どうした?」
「じゃん、けん、」

 ぽん。急なわたしの掛け声に、ほとんど反射のようにわたしと繋いでいない方の手を差し出してじゃんけんに応じてくれる。わたしはチョキで、珪くんはパー。わたしの勝ちだ。一人で一歩を踏み出そうと、彼の上着のポケットからすっと手をほどく。二人分の体温で暖まっていた手が急に冷えた外の空気に晒される。

「珪くんはそこにいてね」
「……?」

 チョコレイト。一歩踏み出すごとに一つずつ音を乗せて、なるべく大きく歩幅を取る。急にじゃんけんを仕掛けたわたしが何をしようとしているのか理解したらしい珪くんが口を開いた。

「どこまで行くんだ?」
「……じゃあ、そこの公園の入り口まで」
「わかった」

 珪くんは案外ノリが良いところがあって、こういうわたしのくだらない急な思い付きにも嫌な顔をせずに付き合ってくれる。六歩進んだところで立ち止まり、身体ごとくるりと振り返ると今来た道に向き直った。

「……これ、負けたらどうなるんだ?」
「うーん、特に何も決めてなかったけど……。あ、負けた方が今度のデートのお茶代出すってことで」
「ははっ、了解」

 わたしの六歩うしろの位置から少し楽しそうな珪くんの声が返ってくる。ゴールに決めた公園の入り口までは、彼が立っているスタート地点から二十メートルもない。

「じゃあ次いくよ! じゃん、けん、」

 開いた二人の距離に、お互いに手が見えやすいように腕を少し持ち上げる。ぽん、という最後の自分の掛け声と同時に、グーに握っていた手をピースの形に変える。街灯の下に立っている珪くんのことはここからでもよく見えるけれど、彼からこちらは見えずらいらしい。

「……おまえ、何出した?」
「チョキ! パーばっかりじゃ、勝てないよ」
「……」

 またしてもわたしの勝ちだ。チョコレイト。また六歩分、先に一人で歩みを進めたところで振り返り、三回目のじゃんけんの掛け声を上げる。わたしはチョキで、珪くんがグー。今度は珪くんの勝ちだった。

「……」

 グリコ。珪くんの歩みに合わせて声を上げながら、三歩分、元の位置から前に進んだ彼を見てハッとする。

「珪くん脚長いのずるい! フェアじゃないし」
「ははっ、悪いな」

 街灯の下から外れたために暗くて表情まではよく見えないけれど、少しも悪いと思っていない声のトーンで返される。羨ましい。背が高くて脚も長い珪くんとわたしではそもそものコンパスが全然違う。たったの三歩でわたしの六歩分以上の距離を埋めてしまうような勢いだ。チョキやパーなんかで勝たれてしまった日には、わたしに勝ち目はない。
 たった三歩分のはずなのに、さっきよりも随分と近くなった距離で四回目のじゃんけんを繰り返す。今回もわたしがチョキで、珪くんはグー。また三歩、彼が歩みを進めることになる。
 今度こそ、抜かされてしまう。こちらに向かってくる彼の歩数を三歩分、カウントしようと口を開いた、その時だった。

「……おまえこそ、チョキばっかり」

 そう柔らかく笑った声がぐっと近くなったその瞬間、外気に晒されてすっかり冷えていた手が取られ、ふわりと身体が緩やかな熱に包まれた。


「つかまえた」




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