※PS2版の世界線



──王子様とお姫様は結ばれて、二人は永遠に幸せに過ごしましたとさ。めでたしめでたし。

 女の子ならきっと、誰もが一度は憧れる王子様とお姫様のおとぎ話。いつか、わたしにも運命の王子様が……。そんなことを夢見ていた幼い少女の頃がわたしにもあった。
 わたしの"王子様"は絵本の中から飛び出してきたような淡いブラウンの髪にエメラルドの宝石がそのまま嵌め込まれたような美しい瞳、言葉数こそ多くはないけれど繊細で透き通るような感性と心を持っている、それはそれは美しくて格好良い、優しくて素敵な男の人だった。わたしたちの物語は、再会を果たした教会の王子様とお姫様のように紛れもないハッピーエンドだ。いや、終わりじゃない。二人の物語はまだまだこれから続いていくのだから……。

 そんなことを一人でぐるぐる考えていると高鳴る胸の真ん中あたりがぎゅうっと締め付けられる。苦しいのに、どうしようもなく嬉しくて仕方ない。隣を歩く珪くんをそっと小さく見上げると、すぐにわたしの視線に気付いたらしい彼がちらりとこちらを振り返った。

「なんだよ、ニヤニヤして」
「ふふ、なんでも!」
「……"ニコニコって言ってよ"って怒らないんだな」
「今日だけ特別」
「ははっ、……ヘンなやつ」
「いいよ、ヘンで」

 わたしの言葉に珪くんがおかしそうに小さく笑う。口先ではこんなことを言いながらも、その声も眼差しも柔らかくて優しい。こんな軽口も彼なりの照れ隠しで、そんな彼を知っているのは世界中でわたしだけなんだと思うと嬉しくてたまらなくて思わずまた口元が緩む。伊達に三年間、隣で一緒に過ごしてきたわけじゃない。
 春の訪れと言い切るにはまだ少し早い、冷たい芯の残る風がわたしの髪をさらっていく。視界を遮る髪をそっと右手で抑えて、彼の流れる優しい色の髪を見つめた。胸元で制服のスカーフが揺れる。高校三年間、毎日通ったこの通学路もこうして歩くのはこれで最後だ。何度も二人で一緒に帰ったこの道のアスファルトに並んで伸びる二人分の影に今更ながらも胸の奥がくすぐったくて仕方ない。

「……あ」

 突然何かを思い出したように立ち止まった珪くんにつられてわたしも歩みを止め、こちらを見つめる彼を見上げて見つめ返した。

「どうしたの?」
「……おまえ、まだ時間大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
「俺の家……来いよ。見せたいものがあるんだ」


***


 玄関に並んだ、サイズの違う二足のローファー。これまでにも何度か彼の家に遊びに来たことはあるけれど、今思えばこうして制服でお邪魔するのは今日が初めてだった。それでもこの制服を着るのは今日が最後で、家に帰って脱いでしまえばあとはクローゼットの中で眠るだけだ。今日が最初で最後。そう気付いてしまった今、もう二度とない今日のこの日に、今この瞬間に、急に泣き出してしまいたくなるくらいどうしようもなく胸が詰まる。不意に脳裏を掠めたいつかのデート帰りの珪くんの横顔が胸の端をちりちりと焦がす。

「お邪魔します……」

 飲み物を用意するから先に彼の部屋に行っているように言われ、本日二度目のお邪魔しますを呟いて一人でそっと彼の部屋の扉を開けて中に入る。何度か来たことがあるはずなのに一人だとなんとなく座る場所に迷って、ソファーの脚元のフローリングに腰をおろした。すっと小さく息を吸って、やり場に困って持て余した視線を空っぽのデスクの上に投げかける。相変わらず物が少ない、シンプルな部屋だ。夜は眠って朝は起きて、また夜になると眠りにつく。この部屋で彼が毎日を過ごしているんだと考えるとどこか落ち着かなくて、その気持ちを誤魔化すようにそっと手を床に向けて伸ばして薬指に光る指輪を眺めた。
 不意に響いた部屋の扉が開く音に思わず肩を跳ねさせて顔を上げると、ちょうど二人分の飲み物を持った珪くんが戻って来たところだった。

「待たせたな」
「飲み物、ありがとう」

 ふと彼に向けた視線の先、両手にグラスを持った珪くんが抱える大判の、ハードカバーの分厚い本。

「珪くんそれ、ひょっとして……」
「ああ」
「アルバム……」
「……いつだったかおまえ、見たがってただろ」
「覚えててくれたんだ……」
「"そのうち"って言ったろ?」

 そう言って少し困ったように笑った珪くんは、グラスをデスクに置くとわたしの隣に腰をおろして二人の間にアルバムを置いた。彼の視線に促されるようにして、分厚い表紙をそっと開く。
 いつだったか、彼の部屋に遊びに来た時のことだった。「ね、アルバム見せてよ」そう言ったわたしに彼はなぜか"そのうち"と少しはぐらかすようにして、その日は結局見せてはくれなかった。あの日なぜ彼がわたしにこのアルバムを見せることを渋ってはぐらかしたのか、目の前の写真たちに教会の中で聞いた彼の言葉が腑に落ちた。

「不思議……」

 高校三年間、ずっと隣で過ごしてきたのにどうしてついさっきまで思い出さなかったんだろうと不思議なくらい、初めて見るはずなのに幼い頃から何度も繰り返し見てきたような、ずっと知っていたような、それでもどこか懐かしいような、そんな不思議な感覚が胸の中で渦を巻く。

「……初めて見たはずなのに懐かしいような、でも本当は前からずっと知ってたような、そんな感じがする……」
「……ああ。わかる気がする。……懐かしいよな」

 彼の穏やかな声につられるようにそっと視線を上げて、肩の制服同士が触れそうなくらいすぐ近くにある横顔をこっそり眺める。わたしの視線には気付かずアルバムに向けて伏せられた目元が綺麗で、薄く緩んだ口元が可愛くて、思わず息をするのも忘れて見惚れてしまう。好きだ。好きで好きで、たまらない。この穏やかな彼の横顔をずっと眺めていられるこの空間が、時間が、永遠であればいいのに、なんて。そんなことを一人でこっそり考えては鼻の奥が痺れて、また緩みそうになる涙腺を誤魔化すように意識をアルバムに戻した。

「どうしてわたし、ずっと思い出さなかったんだろうね……」
「……おまえがぼんやりしてるからだろ」
「あ、ひどい!」
「ははっ、冗談」
「もう……」

 ゴメン、そう小さく笑う珪くんの声は穏やかで優しい。

「……本当は、もっと早くに、俺が言えてたらよかったんだろうな」

 不意にぽつりと落ちてきた言葉に思わず顔を上げる。アルバムに向けられた横顔は穏やかにも見える反面、柔らかい声とは相反してどこか寂しそうにも見えた。

「……そうしたら、こんなにおまえを待たせることもなかったんだ……」
「そんな……」
「……でもやっぱり、どうしても言えなかった」
「いいよ、そんなの。珪くんは悪くないよ。……それに、わたしだってずっと忘れてたんだもん……。ごめんね……」
「違う、おまえは悪くない」
「でも……」
「……俺がずっとあの日の約束を忘れられずに、拘ってただけだから……」
「……」
「でも、もっと早くにおまえに言ってしまっていたら……それだと、何も知らないままのおまえをなんだか騙してるみたいな気がして……そう思ったらやっぱり、言えなかったんだ」

 なんて繊細で、優しい人なんだろう。彼の言葉に、声に、触れるたびに心臓が震える。

「……でもわたし、今とっても幸せだよ。もしわたしが忘れたまま珪くんと付き合ってて、あとから思い出しても騙された、なんて思わないよ」
「……」
「……それに、わたしが思い出した時にちゃんと約束どおり、あの教会に珪くんが迎えに来てくれた。何も知らないまま結ばれるより、こっちの方がロマンチックでしょ?」

 イタズラっぽい気持ちも少し抱えたまま彼に笑いかけると、今まで伏せられていた彼の瞳がはっとしたように少し丸くなったのち、すっと優しく細められた。ハッピーエンドのおとぎ話は、やっぱりこうでなきゃいけない。

「ああ、そうだな」

 納得したように、少し満足そうに珪くんが笑う。たとえ同じ結末だとしても、物語の途中は少しでもロマンチックな方がいい。

「……!」
「……」

 二人の気持ちを重ね合ったところで次のページへ進もうと、アルバムに伸ばした手がちょうど同じことを考えていたらしい珪くんの手とぶつかった。反射で上げた顔の近さに思わず息を呑む。驚いたのは珪くんも同じだったようで、綺麗な瞳がまた少し丸くなっている。それなのに、思わず引っ込めようとした心臓と一緒に跳ねた手は、少し体温の低い大きな手に掴まれてしまっていた。

「……おまえの手、温かいな」

 冬が訪れる少し前の、高校三年生の秋の日。森林公園で一度だけ、彼と手を繋いだことがあった。「おまえの手、温かそうだから……」そう言って、そっとわたしの手を握った彼の頬がほんのり染まっていたことを思い出す。

「あ、あの、珪くん……」

 わたしの手を包み込んだまま、珪くんは何も言わない。彼の親指が、ゆっくりとわたしの手の甲をすべる。少し悪戯っぽく細められたグリーンの瞳が、伺うようにそっとわたしの瞳を覗き込む。不思議なもので、人はこれまでに経験したことがないことでもこれから何が起きるのか、わかるようにできているらしい。たとえばのそれは、今みたいにキスをする前だとか。
 今この瞬間、二人が吸い込んだのはきっと同じ空気。穏やかな翡翠色の瞳がすっと優しく細められたのを最後に少しだけ見つめて、わたしはそっと瞼をおろした。




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