※卒業後社会人



「あ、もしもし、珪くん?」
「……駅、着いたか?」
「うん、そうなんだけどごめん、外に出たら雨が降ってて。駅まで迎えに来てほしいんだけど……」
「わかった」
「ありがとう、駅横のコンビニにいるね」
「了解」
「じゃあお願い」
「ああ」

 耳から離したケータイの通話終了の表示を確認してバッグにしまうと、一つ息を吐いて雨が降り出す夜空を地下から上がった地上の駅の入り口から見上げた。お店を出て解散した時には降っていなかったから、帰りの電車に揺られている間に降り出したんだろう。家を出る時には雨の気配なんて感じないくらい晴れていたから天気予報は見ていなかった。雨に濡れた道路にヘッドライトを反射させながら駅前の大通りを走り抜けていく車の流れを横目にすぐ隣のコンビニに入った。
 わたしは今日は仕事が休みで、珪くんもオフの日だった。こうして休みの日に出かけた夜に黙って一人で家まで帰るといつも「危ないから連絡しろ。駅まで迎えに行くから」と怒られる。わざわざ悪いし近いから大丈夫だと反論しても「いいから」と眉をひそめて睨まれるのもいつものことだ。それでも結局彼に心配をかけることよりも、わざわざわたしの都合でこんなに近い距離を呼び出して迎えに来てもらうことの方が申し訳なくて、駅から連絡せずに一人で家に帰るのもいつものことだった。
 駅からマンションまで徒歩五分もかからないとはいえ、傘を差さずに帰るのは諦めるくらいには急に降り出した雨は強い。わざわざ迎えに来てもらわずにコンビニでビニール傘を買って一人で帰ろうかとも考えたけれど、そのビニール傘を買うお金で食べたいコンビニアイスやスイーツが買えるとも思ってしまう。それに、珪くんだっていつも「迎えに行くから連絡しろ」と言ってくれている。いくつかの言い訳を自分の中に並べて、結局今日は彼に甘えることにした。
 外の湿気を忘れさせる店内の冷房がワンピースから晒された腕にひんやりと心地いい。料理もドリンクも美味しかったけれど、食後から少し経った今は口の中に残った塩気に喉が渇いていた。シャーベット系のアイスとか冷凍フルーツとか、冷たくてさっぱりしたものが食べたい。家に帰ったらそれとアイスコーヒーでも飲みたい気分だった。
 今日みたいな高校時代の友人たちとの女子会はみんなそれぞれの仕事や生活、恋愛のこと、それと少しの学生時代の思い出話がいつでも話題の中心だ。忙しくしながらもみんな毎日頑張っている。今はそれぞれ環境が違うけれど、一緒に過ごした学生時代の思い出話一つで一瞬であの頃に戻れるのだから幸せだと思う。当時、親友である彼女の好きな人だとは知らずにその彼とわたしが何度か二人で遊びに行ったことからわたしの好きな人を誤解した彼女と一時期ケンカをしていたことも今となっては笑い話だ。誤解させて傷付けてしまったことは申し訳ないけれど、わたしはあの頃から珪くんが好きだった。
 それでもやっぱり一緒に過ごした学生の頃と比べると変わったことも多い。珪くんとわたしの関係だって変わった。"友達"という名の友達以上恋人未満だったあの頃から高校卒業と同時に恋人になり、同じ大学に通った。大学を卒業してお互いに社会人数年目の今ではこうして一緒に暮らしている。今日みたいな女子会だって今までなら一軒目のあとに二軒目、なんてことも多かったけれどここ最近はそんなことも減った。みんなそれぞれ口には出さないだけで次の日の仕事のことや一緒に暮らす恋人のことを気にしている。そんな変化を少し寂しいとは思いつつ、わたしだって一緒に暮らす恋人のことが気がかりなのは同じだった。
 そんなふうに今日のことを思い出しては苦笑いに緩みそうになる口元を引き締めつつ、どれにしようかと冷凍コーナーを物色して今週発売の新作アイスをチェックする。週末夜の駅前のコンビニとはいえお客さんの年齢層もまちまちで、店内の客足はそれなりに入っていた。

「どれにするんだ?」

 不意に頭の上から降ってきた聞き慣れた声にハッとして顔を上げると、部屋着にしているパーカーを着た珪くんがわたしのすぐ後ろから冷凍コーナーを覗き込むようにして立っていた。

「ありがと、来てくれて」
「ああ。で、どれにするんだ? アイス、食べたいんじゃないのか?」
「えっと……この今週出た新作とこの白桃のやつ、あとこれ、苺のやつ」
「……おまえ、ダイエットするって言ってなかったか?」
「……今日はいいの」
「ははっ」

 まさかわたしが三つも選ぶと思っていなかったのか、面を食らっていた珪くんがわたしの言葉にちょっとおかしそうに笑い出した。

「珪くんはどれにする?」
「じゃあ俺はこれ」

 そう言うと珪くんはバニラのカップを冷凍庫から一つ取り出して、さっきわたしが言ったアイスを三種類、コンビニの少し小ぶりの買い物カゴに入れていく。

「珪くん一つでいいの?」
「ああ、今日はもう遅いから」
「……もし欲しくなったらわたしの一つあげるね」
「……今日は遅いからいらない」

 今日はもう遅いからアイスは一つでいい、なんて自制心の効いたことを言われるとアイスを三つも選んだことがなんだか急に恥ずかしくなる。アイスの数を同じにして彼を共犯に誘い込もうとしたものの、彼にも少しの揺れを感じながらも断られてしまった。

「他はいいのか?」
「うん、これでいい」
「そうか」

 わたしの言葉にそう返事をしてカゴを持った珪くんと一緒にレジに向かう。カウンターにカゴを置いて会計を始めた珪くんを横目にレジの周りに並んでいる普段あまり見かけないお菓子に気を取られ、コンビニの戦略にまんまとハマっているとは思いながらもついつい見入ってしまう。

「行くぞ」

 レジのすぐ横に並べられたカステラを美味しそうだと眺めていると声をかけられて、会計を終えた珪くんの背中を追ってコンビニを後にする。お店を出たところの軒下で差して来たビニール傘を広げる珪くんを見て思わず口を開いた。

「珪くん、わたしの傘は?」
「ん?」

 わたしが何を言っているのか分からない、とでも言うような、それでも至って真面目な顔で傘を開けようとしている手を止めてじっと見つめ返される。

「え、傘一本しか持って来てないの?」
「ああ、」

 わたしはてっきり、迎えに来てくれる時に珪くんが差す傘とは別にもう一本、わたしの分の傘を持って来てくれるものだとばかり思っていた。わたしが言いたかったことに合点がいったのか、ちょっと照れたように珪くんが小さく笑った。

「……そんな発想なかった」

 ちょっと困ったように笑う彼に、胸が詰まりそうになる。

「ありがとう」

 なんだか無性に嬉しくなって、珪くんが広げたビニール傘の下に入り込んで彼の隣に並んだ。コンビニ袋を下げた傘を持つ手とは反対側の手をパーカーのポケットに入れて歩き出した珪くんが口を開いた。

「今日、楽しかったか?」
「うん、楽しかったよ。みんな、あの頃から変わってることもあったけど、なんだかんだ変わってなかったんじゃないかな」
「そうか」
「あ、志穂ちゃん今度結婚するんだって」
「へえ」
「時間が経つのって、早いよね。わたしたちもついこの間まで学生だったのに」
「……そうだな」

 珪くんが少しおかしそうに、小さく笑う。高校の頃からずっと、わたしは珪くんのこの小さく笑った顔が大好きだった。
 慌ただしく、それでも何気なく過ぎてゆく毎日は早い。月日の流れに変わってしまうことも多いけれど、珪くんもわたしも、変わらないことだってたくさんある。

「……そういえば高校の頃、デートの帰りに今日みたいに急に雨が降ってきて、雨宿りしたことあったよね」
「あったな、そんなこと」
「あの時、珪くん何て言おうとしてたの?」
「……忘れた」

 あの頃のわたしは、尽がやって来たことで途中で話をやめてしまい頭を冷やしたいからと一人で帰ってしまった珪くんがあの時何を言おうとしていたのか分からなかったけれど、大人になった今となってはなんとなく想像はつく。それに、今珪くんが言った忘れたっていうのも嘘だと今のわたしには分かる。珪くんのことだから本当は覚えているに決まってるのに、そう言って誤魔化しているんだ。それでも彼のこういうところも好きだと思う。

「……そっか」
「……なんだよ、ニヤニヤして」
「べつに?」
「……もうおまえのアイス、三つとも俺がもらうからな」
「うわ、最悪!」
「ハハッ、冗談」

 楽しそうに笑う珪くんにつられて、私も思わず笑ってしまう。少し怒った顔も拗ねた顔も照れた横顔も。あの頃より多くなった柔らかく笑った顔も。これらが全部、わたしが今まで彼の隣で過ごしてきた証でもあるんだと思う。
 あの頃から変わったこともたくさんあるけれど、変わらないことだってたくさんある。こうして珪くんの横顔を隣で見つめて笑っていられるのがこれからもずっと変わらずわたしだけでありますようにと、そんなことをこっそり一人で考えて、家に帰ったらわたしのアイスを一つ彼に分けようと思った。




BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
×
- ナノ -