「じゃあまた明日、16時に駅前広場ね」

 昨日の別れ際、彼女はそう言った。
 足を止めてポケットから取り出したケータイで確認した時刻は17時を回ったところ。視界に入ったヨレた制服に本日何度目かの大きなため息を吐くと肺の奥に軋んだような痛みが走る。ケータイをポケットにしまい、そのままポケットに手を突っ込んでまた歩を進めた。
(あーあ、やっちまった……)
 最低だ。いくら絡まれて自分から手を出さなかったとはいえ、彼女との約束を守れなかった。ケンカのことも、今日の待ち合わせですら、何一つ守れていない。彼女に合わせる顔がない。情けない。自己嫌悪からの自嘲で思わずふっと緩んだ口角に引っ張られて、口の端に鋭い痛みが走る。傷が裂けて血が滲んだのが見なくても分かる。まぁ、そのうち止まる。
 いくら弁明の言葉をつらつらと並べたところで俺の勝手な都合の言い訳にしかならず、彼女からすればそんなもの知ったことではない。待ち合わせ時間に一時間以上も遅れてやって来た、ケンカ帰りの男。自分との約束を何一つ守らなかった男。それ以上でも以下でもない。約束を守れなかった俺が悪いのだ。どちらから手を出したかなんて、今までこんなこととは無縁の世界で生きてきた彼女にとっては意味のないことなのだ。俺のこのヨレた制服と顔の傷がすべてだ。
 一時間以上も遅刻してしまった。もう見放されて、帰ってしまっていても普通だろう。俺が甘えてしまわないようにと断ったこととは言え、お互いに連絡先を知らない。もう二度と会ってもらえないかもしれないし、会えたとしても勉強も見てもらえないかもしれない。俺はそれだけのことをしてしまったのだ。それでも一応、足が向かうのは待ち合わせ場所。こんな状況で、期待なんてできる立場にないことは分かっている。期待しているわけではないけれど、行かないわけにはいかない。待ち合わせをしていたのだ。連絡先が分からないとはいえ、連絡もせずに一時間以上も遅れたのだから、彼女がまだ待ってくれている、もう帰ってしまっている、にかかわらず待ち合わせ場所に向かうのが義理ってものだろう。彼女がもうそこにいないことが確認できればそれでいい。
 そんなことを考えながら辿り着いた待ち合わせ場所で、スッと息を吸い込んで顔を上げる。あたり一帯はもうすっかりオレンジ色に染まっていた。見渡した視界の中に捉えたセーラー服に、思わず息を呑む。何やら本を読んでいるようで、目を凝らした先の手元には英単語帳が握られていた。


***


「もうケンカしないって言ったよね」
「……悪かった」
「……」

 あのあと俺を見るなりすぐに何があったのかを悟ったらしい彼女は何も言わずに怪訝そうに小さく眉を寄せた。ゴメンと謝った俺の言葉に返事はなく、代わりに手首を掴まれる。そのまま何も言わずに引っ張られて行った先は近くにあったベンチ。そのまま並んで座った。
 隣に座った彼女が通学鞄から綺麗な淡い色のハンカチを取り出しながら、今日会ってから初めて口を開いた。取り出したハンカチが何の躊躇いもなく俺の口元にそっと添えられる。汚れを拭っているのだろう、小さく確かめるような動きに慌てた。

「いいっていいって、汚れちまうだろ」
「動かないで」

 ピシャリと言い放たれた言葉に普段の彼女からあまり感じることのない圧を感じ、思わず言われたとおりに大人しく動きを止める。「持ってて」と手を離されたハンカチを俺が抑えている間、彼女が鞄からポーチを取り出した。そのまま見つめていた彼女の手元に、ポーチから取り出された絆創膏を見て思わず遠慮する。

「いいって、こんなのほっときゃ治るから」
「よくない」
 
 目の前から飛ばされる視線の強さに、大人しく従う。ホント、もうされるがままって感じだ。居心地は良くないけれど、心地悪くはない。
 ぺらりと器用に台紙から剥がされた絆創膏を持った指先が、俺の口元にそっと触れる。口の端に張り付いたテープの感覚に貼り終わったとそう思ったのとほぼ同時、たった今まで絆創膏を貼っていた指先が意思を持ってそのまま絆創膏の上からぐっと力を込めて押し込んだ。

「イテッ! なにす、……」

 喉まで出かかった言葉は思わず飲み込んだ。こんな顔をさせたかったわけじゃない。俺はただ、

「心配だよ……」
「……ゴメン。本当にゴメン。もう絶対にしないから」
「……約束だよ」
「おぅ、」

 差し出した右手の小指に彼女のそれが絡まる。もう絶対に、彼女に心配をかけるような、悲しませるようなことはしない、したくない。
 彼女の目尻にきらりと光った夕日を俺はただ見つめて苦く笑うことしかできなかった。




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