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 日が昇ってすぐ、二人は見通しのいい開けた場所を探した。未だ周囲は寂しげな潅木ばかりだったが、川辺から離れると砂地だった地面はしっかりとした土に変わり、背の高い茂みと広葉樹が群生する場所に出る。葉は黄色くなっていたが、まだみっしりと枝を飾っていた。そこを通り過ぎると、太い木が倒れたせいで綺麗に開けている空間に出る。倒木はエリーザベトの背丈ほどの太さがあり、長く風雨にさらされたのか石のように硬くなっていた。メルツはナイフで邪魔な下草を切り落とし、座るのにちょうどいい場所を作る。
「ここで狼煙を上げるの?」
「うん。ここなら座るのも楽そうだし、あそこに登れば見晴らしも良さそうだから」
 メルツは一際背の高い木を指差すと、さっそく準備を始めた。先程と同じように狼煙を上げると、しばらくここで休もうと提案する。
「狼煙に反応がくるか待たないといけないし、このあたりの魔物は夜行性が多いから、かえって昼は安全なんだ。少し眠っても大丈夫だよ」
「本当?」
 疲れていたエリーザベトには願ってもいない話だったが、いくら野外の知識が乏しい彼女でも、火の番をしたり狼煙の反応を見る者がいなければならないのは分かった。
「……でも私が眠ったら、メルは困らない?」
「僕はまだ眠くないから大丈夫。それに、もう少し香を練っておきたいから」
 話によると、地形によって魔物の種類が変わるので、それにともなって香も成分を調整しなければならないのだと言う。メルツが見せてくれたのは様々な香草を練り合わせた粘土のような物体で、更に二種類の匂い粉を混ぜ、十分に練っておきたいとの事だった。
「ありがとう。じゃあ、少し眠らせてね」
 エリーザベトは礼をいい、眩しくないよう倒木の影に移動すると、つま先が痛くなった靴を脱ぐ。幸いマメは出来ていなかったが、白い靴は泥で黒ずんでしまっていた。お気に入りの靴なので残念だったが、仕方がない。
 エリーザベトは靴を脇に揃えると、体を横にして寝転がった。地べたで寝るのは初めてなので落ち着かなかったが、歩き疲れているせいもあって、すぐに気にならなくなる。
 むしろ、手入れもせずに乾いてしまった翼が背中でごわごわと強張っている事の方が、気になって仕方ない。
(羽繕い、したいな……)
 一度そう思うと、いてもたってもいられなくなった。メルツの様子を伺ってみれば、彼は倒木の向こうでこちらに背を向けて調香している最中である。今ならば気付かれずに済むだろう。
 エリーザベトはケープを外し、軽く身震いしながら翼を広げた。開放感に満たされて、自然と口元が緩む。凝った筋肉を労わるように全体を伸ばし、ゆっくりと翼の畳み具合や角度を変えながら、状態を確認していく。
 崖から飛び降りる際に酷使したせいか、付け根の部分が微かに赤くなっていた。血は出ていないが、軽く熱を持っているらしい。それ以外は単に毛羽立って固まっているだけのようだったので、エリーザベトは丁寧に羽を撫で付け、暖かい朝の光を当てた。
 気持ちがほぐれてうっとりしていると、徐々に眠たくなってくる。倒木に上半身をもたれさせ、翼を広げたままくつろいでいると、不意にメルツが声をかけてきた。
「エリーザベト、まだ起きてる?」
 ひょいと倒木の上から顔を出し、彼がこちらを覗き込む。エリーザべトは驚きと羞恥で自分の羽毛が一斉に逆立つのを感じ、きゃ、と小さく声を上げた。ばたた、と勝手に翼が羽ばたくような動作をする。
「僕、ちょっと川に戻って水を汲んでくるから、良かったら狼煙を見ていて欲しいんけど――どうかした?」
「あっ……い、いいえ!」
 エリーザベトは咄嗟に首を振った。鳥の間では裸を見られるのと同じくらいに恥ずかしい事なのだが、猫は普段から耳も尾も丸出しの種族なのだ。全く気にしていないに違いない。自分さえ平気なふりをしていれば、何事もなくやり過ごせるのだ。
 しかしそう考えて落ち着こうとしても、風切羽根どころか、柔毛や、小翼羽の折れ曲がった部分まで見られているのだと思うと、平静ではいられない。緊張と羞恥で力が入りすぎ、翼がぶわりと広がった。メルツは怪訝な顔でエリーザベトを見下ろすと、軽く耳を伏せる。
「……それは威嚇なの?」
「まさか!違うわ、ちょっと驚いただけなの!何でもないわ!」
 必死に否定するが、身内にしか見せた事がない翼の全容をしげしげと見つめられているのだ。いっそケープを被せて隠してしまいたかったが、こんな状態で上手く折り畳めるはずもない。エリーザベトが真っ赤になって取り乱している様子をメルツは不思議そうに眺めていたが、先程の用件を思い出したようで、川に行ってくるから狼煙を見ていて欲しいともう一度言った。
「頼めるかな?」
「だっ、大丈夫、勿論よ!」
 とにかく早く彼に立ち去って欲しくて、エリーザベトは早口に答える。だが残念な事に声は裏返っていた。
「翼、綺麗だね。前から思っていたけど、どうして鳥って、わざわざ布で隠しちゃうのかな」
 メルツはそう言い残すと、何事もなかったかのように倒木の向こうに戻っていく。エリーザベトは両手で頬を押さえ、そう言えば崖から飛んだ時にもう翼を見られているのだから今更なんだわ、と思い至ったが、それとこれとは別だ。心臓がばくばくして止まらない。
 ああ、本当に、本当に、恥ずかしかった!



******



 狼煙の反応を待つ間、二人は簡単な食事を取った。メルツが外套の下から――一体どれだけ物が入っているのか不思議だが――乾燥した杏に蜜を絡めて板状に固めた携帯食をくれたのである。杏は野生のものらしく、エリーザベトの知っている味とは違ったが、それなりに美味しく食べられた。
「今度はメルが休んで。私、火の番をしているわ」
 翼を見られた動揺は残っていたものの、メルツにばかり頼ってしまっている事が申し訳なくなり、エリーザベトは思い切って提案した。メルツは意外そうに耳を立てたが、彼も彼で疲れているのだろう。いくら丈夫な猫とは言え、親と離されて緊張と不安の中を進んできたのだ。メルツは少し考えた素振りをした後、じゃあ、と頷いた。
「香を炊きなおしたから魔物はこないとは思うけど、何か変な事があったら起こしてね。それから、空に他の狼煙が見えた時もお願い」
 そう念を押してから、メルツは倒木を背に、くるんと丸くなって横たわる。外套を体の上に広げて尾を腰に巻き付けると、落ち着く位置を探すように軽く身じろいだが、しばらくすると動かなくなり、程なくして寝息が聞こえ始めた。野営に慣れているだけあって寝入りも早い。
 エリーザベトは自分の役目を果たそうと、懸命に周囲へ注意を払っていた。立ち木が邪魔で空の全貌は見渡せないが、重なり合った枝を避けるように顔の位置をずらすと、交互に四方の様子を見張る事が出来る。魔物が近づいた時の対処法はよく分からなかったが、鳥は目がいいし、物音がするはずだから気付かないと言う事はないだろう。何より香を炊いてあるのだから、滅多な事は起こらないはずだった。
 そうして何事もなく時間が過ぎ、気負いも徐々に緩んでくる頃、エリーザベトは眠っているメルツの尾の先が、ぴくぴくと小刻みに動いている事に気付いた。
(痙攣?)
 まさか、急に具合が悪くなったのでは。
 そう思って覗き込むが、メルツは口元まで外套に顔を埋めているものの、しごく平和そうに寝入っている。体の不調と言う訳ではないらしい。エリーザベトは困り果てた。その間も尾の先は揺れ続けている。
 いっそ、起こしてしまおうか。
 しかし気持ち良さそうな寝顔を見ると、もっと休ませてあげたいと思う気持ちも沸き起こる。試しに、そっと尾の先を指でつついてみると、今度はぴくんと大きく跳ねる。慌てて指を引っ込めた。
 実は、単に夢の内容に合わせて揺れているだけだったのだが、寝ている間ほとんど身動きをしない鳥のエリーザベトには原因がさっぱり分からない。もう一度つついてみると、尾は更に大きく持ち上がった後、ぽふりとエリーザベトの手の甲へ落ちた。柔らかく、ビロードのような手触りの毛並みである。エリーザベトは指を引っ込めながらも感動を覚えていた。猫の毛は、こんなに柔らかいのか。
(耳も同じなのかしら?)
 好奇心はあったが、さすがにそこまで不躾な事は出来ない。やがてメルツの尾も動かなくなり、何でもなかったのだと胸を撫で下ろした頃、エリーザベトは視界の隅で違和感を覚え、ぱっと顔を上げた。
 身を起こし、木立の隙間から空を仰ぐ。太陽は既に真上に近いところまで昇っていた。その右手を、釣り糸のように垂れている細い線が――。
「メル!あっちに煙が立ってるわ!」
 叫ぶと、先程まで寝こけていたのが嘘のようにメルツが飛び起きた。彼は素早く木に足を掛け、跳ねるように上へ登ると、見てきた事を報告する。
「母上の狼煙じゃないけれど、誰かいるのは間違いないみたいだ。東の方角だよ。もしかしたら夜盗に襲われた時、驚いた魔物に引きずられて、ずっと遠くまで行ってしまったのかもしれない」
 結構な距離があると分かったので、二人はすぐに身支度を整えると、東に向けて出発した。







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