鍋は喜劇を好まれる.6









 指揮棒が振られ、登場人物は童話の中へと戻り、時間は僅かに巻き戻る。
 弾むような曲調、不釣合いなほど陽気な前奏。そこでは既に絞首台から戻ってきた娘が、黒狐亭の扉を拳で叩き、中へと入り込んでいる。
 悲鳴が響き渡る厨房。包丁を持った田舎娘の右腕が弧を描き、ひゅん、と空気が鳴った。
「ひっ」
 女将が尻餅をつき、慌てて腕で顔をかばう。襲い掛かってきた影が視界を覆い、あわや恐怖で心臓が止まる――と思った時。
「肝臓、返してもらっただ」
 包丁は女将を素通りし、背後に置いてあった大皿を捕らえた。それは深さのある木製の器で、普段は洗ったばかりの野菜を入れておく為のもの。しかし今、そこには艶々と光る赤黒い塊が乗ってあった。娘は包丁を皿の淵に突き立て、ずるずると自分の方まで引き寄せたのである。
「〜〜ちょっとォ!殺さないなら殺さないって言いなさいよ!寿命が縮んだじゃないのよッ!」
「ふん、女将さんに言われたくないだ。おらにばっか罪押し付けた癖に。店で何を出してたか世間様に知られたら、これどころじゃ済まないべよ」
 娘は鼻を鳴らしたが、大皿に乗った自分の臓物を見て、悲しげに目を細めた。
「でも取り戻したところで、おらが生き返るわけじゃねぇし……どうすっぺなぁ、これ。おらの墓にでも持ってくかなぁ」
「いっそ一緒に食べて、最後の晩餐にしましょうか。大丈夫、美味しくしてあげるわよゥ!」
「やんた!」
 そんなこんなをしていると宿に客がやってきた。どうした訳か子羊に心臓があるか否かと言う話題で口論している、不思議な男二人連れである。本来なら店終いの時間だが、厨房での騒ぎを目敏く聞きつけ、彼らはひょっこりと中を覗き込んできた。
「もうッ、この立て込んでる時に……お客さん、勝手に入っちゃ困りますよ!宿屋も閉めちゃったんですからね!」
「まあまあ、そう言わずに泊めてくれよ。今日は川を渡ってきてさ、すっかりくたびれてるんだ。それに耳寄りな話があるよ。俺の連れなら、そこの死んだ娘さんを生き返らせてやれると思うんだ」
 陽気な男はさらりと言った。事情を聞いてみると、何でもこの不思議な二人連れ、ここに来る前も某国の死せる姫君を甦らせてきたらしい。術を使うのは片方の無口な男だけのようで、某国では姫を甦らせた褒美にたくさんの金をもらってきたと言う。
「本当だか!それならぜひ頼みたいっぺよ!」
 娘は喜んだ。女将は半信半疑だったが、下手に反論して再び包丁を振りかざされても堪らない。男は心臓が動いていない事を確かめると了承し、残りの二人に厨房から出て行く事、これから起こる事は決して見ないようにする事を約束させた。
 二人きりになると、男はまず娘の手足をばらばらに切った。元から死んでいるので、娘は痛がる素振りもなくばらばらになった。男はそれを水の中に入れ、鍋の下に火を起こし、娘の手足を煮立てた。それから肉がすっかり骨から落ちてしまうと、綺麗な白い骨をテーブルの上に取り出して、元通りの順に組み立てた。そしてすっかり並べ終えると、前へ進んで三度唱えた。
「尊き三位一体の御名によりて、死人よ、起て!」
 すると三度目に、娘は生き生きと元気よく、以前よりも美しくなって生き返ったのである。不思議な術を使ったこの男、実は正体を隠して旅をしていた聖ペートルという神様なのだった。
「あンらまぁ!ばらばらになった時は驚いちまったが、本当に生き返っただ!そばかすもなくなったし、えれぇ綺麗になっただよー!」
 娘はぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んだ。女将も驚き慌て、この男を仲間にすれば新しい金儲けができるのではないかと考えたが、男達は宿に一泊した後、やはり子羊に心臓があるか否かと言う話題で口論しながら、すぐに旅立ってしまったのである。金になる獲物を逃し、女将はしきりに残念がった。
 しかし金儲けどころではない。翌日、絞首台から消えた死人が黒狐亭で甦ったと噂になり始めたのだ。そればかりか、もしや女将は魔女なのではと騒動になり、慌てて町を離れる事になったのである。
「どういう事なのよ、結局は貧乏に逆戻りじゃないの!お金はどこ!?愛はどこーォ!?」
「しゃーないべ。こうなったらしっかり荷物まとめて、さっさと逃げ出すだ」
 二人は荷車を押し、川に沿って夜道を駆け、離れた町に落ち着いた。
 しかし世の中、まだまだ不景気。新しい店を出す金も揃っていない。そうこうしているうちに食べる物が何もなくなってしまった。
「絞首台ならこの町にもあるわよねェ……?」
「毎度そりゃないべ。おら、何か探してくるだよ」
 そこで娘は森に出かけていって、三人の妖精に出会った。妖精達は子供の姿をしており、彼らは娘が貧乏で困っているのを知ると、小さな深鍋をくれた。
 妖精達が言うところでは、なんとその深鍋に向かって「深鍋さん、煮ておくれ」と唱えると、上等の美味しいキビ粥を煮てくれて、「深鍋さん、おしまい」と唱えると煮るのを止めるのである。
「ね、とっても便利でしょ!」
「粥しか出ないのが難点だけど、これで腹も膨れるし」
「俺達は食い飽きたからさ、良かったら持ってきなよ!」
 妖精達の勧めをありがたく頂戴し、娘はその深鍋をおみやげに持って帰った。女将は最初それを見て「安っぽそうな鍋ねぇ」と文句をつけたが、美味しい粥を延々と湧き上がらせる魔法の鍋だと知ると、両手を叩いて喜んだ。その夜、二人はその鍋で久々にお腹一杯になる事ができたのである。
 さて翌朝。娘が出かけている間に、女将は自分でも鍋を試してみたくなり「深鍋さん、煮ておくれ」と見よう見まねで唱えた。深鍋はぐつぐつと粥を出し、女将は腹一杯に食べて、さて、止めてもらおうと思ったが、娘からお終いの呪文を聞き忘れてしまっていたので何と言うのか分からない。
 深鍋はいつまでもいつまでも煮え続け、粥が鍋の縁からこぼれても留まる所を知らず、台所も家の中もみんないっぱいになり、隣の家も街道もいっぱいになって、まるで世界中腹いっぱいにさせようとしているようになった。
 町は大騒ぎになったが、居合わせた者は誰もどうしたらいいのか分からない。川に運んで流してしまおうとしても、荷車の車輪は粥に取られて進まないし、作業はちっとも捗らない。最初はたくさんの餌に大喜びしていた町の鼠たちも、食べきれずに粥の底に埋まってしまった。
 とうとう一軒しか家が残っていなくなった時、ようやく娘が帰ってきた。慌てて娘が「深鍋さん、おしまい」と言うと、途端に鍋は煮るのを止めて静かになった。
「何やってるべ!もう、女将さんには困ったもんだ!」
「あんたが止める呪文を教えてくれないからよーぅ……」
 憎まれ口を叩いたが、粥でべろべろになった女将はそこでふと思いついた。
「いや、逆に考えましょう、これだけ町中にあふれたんだもの、これで粥の宣伝になったはず……この鍋を使って新しい商売を始めるチャンスじゃないッ」
「商売ぃ?」
「そうよそうよ、美味しいし、何より元手でかからずに始められるわ。夜逃げに使った荷車に鍋を積んで歩けば、すぐに屋台に早変わりよッ」
「まァた楽に儲けようとして……」
「あ〜ら、今度は楽じゃないわよ。この細腕でえっちらおっちら荷車を押していくんだもの。そもそも二人だけで魔法の鍋を使うのは勿体ないわ、妖精のくれた幸せはお裾分けしないと!それが人助けってもんだわ!」
「だども、お粥屋だなんて流行るべか?」
「色々な薬味を用意すれば一発だわよ!客が自分で好きな盛り付けを選べるの!うふふ、こうしちゃいられないわ、そうと決まったら研究しましょ!」
 現金なもので女将は息巻くと、さっそくレシピの作成に取り掛かったのである。
「あーあ、分かったべ。妖精に助けてもらったのはちょっとズルっこいけど、今度こそ自分達で工夫して、しっかり真面目に働くだよ」
 娘も仕方なく賛成する事にした。しかし町中にあふれた粥をすっかり川へ流して綺麗に掃除するまで、お粥屋を始めるのはお預けである。果たして彼女たちが商売を成功させて大金持ちになる事ができるのか、それが縁で素敵な伴侶をもらえるのか……それはこれからの働きぶり次第だろう。







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