携帯を開けばディスプレイの光を得る事もできたが、中途半端に明るいと、かえって照らしきれない暗闇を作る。それは視力を僅かな明かりに縛りつけ、他の感覚をおざなりにする事にも繋がる。
 また、いつまで充電が持つかのも分からない。電話もネットもできないが、いざと言う時の為に極力使わない方がいいと結論付け、二人は携帯を閉じると手の届くところに置いたままにした。
 闇に目が慣れると、ぼんやりと物の輪郭が浮かび上がってくる。
 レオンは先程と同じ場所に座っていた。立てた膝の上に腕を置き、頬杖をついて口元を覆っている。何かを考え込む姿勢だ。それを確認し、エレフは背中を壁に預けたまま両足を投げ出すと、じっと正面の闇を見据えた。
(いい加減、何か見えてこないか?)
 自分の両目に語りかける。
 この怪異が二人に何をしたいのか、目的がさっぱり分からない。怖がらせるにしては中途半端だ。肌に刺ささってくるような悪意も感じない。エレフからしてみれば、もっと凄惨で、もっと確実な方法もあるだろうと忠告したくなる。ただ閉じ込めて何が楽しい?
(何がしたいんだ)
 しかし闇の中に目を凝らしても、一向に何も浮かんでこなかった。不自然な黒い影も、ぼろを纏った白骨も、肉の落ちかけた腐った死体も、濡れた着物の女も、悲しげな敗残兵も、訴えかけてくるようなものは何も。
 ただ電気が切れた暗い室内があり、その闇の中を、ただ兄と下降し続けているだけである。
 ――考えなければ。
 エレフはめまぐるしく今までの経験を振り返った。レオンやオリオンがいたとは言え、だてに霊感少年をしてきた訳ではない。何か参考になる経験があるはずだ。
 ふと、挑発はどうだろう、と思いつく。
 煽って煽って、喧嘩を吹っかけて、反応を引き出して、目的を教えてもらった方が早いのでは。
 そうでなくとも『怖い話をすれば霊が寄ってくる』とはよく聞く話だ。だが、ただ闇雲に心霊話をしても効果は薄いように思える。エレフは考えた末、舞台を揃える事にした。
「……こういう映画を見た事がある」
 おもむろに話し出すと、レオンが顔をこちらに向ける気配がする。
「題名は忘れた。短編映画だ。本編特典についてくるような、そういう奴だった気がする。主人公達がエレベーターに乗っていると、服を血で汚した男が駆け込んできて『外に恐ろしい怪物がいる。絶対にここを出てはいけない』って叫ぶんだ。最初は誰も半信半疑で、この男が何か罪を犯して逃げてきたのに、言い訳をしているんじゃいかと思うんだ。騙されないぞ、こいつは嘘つき野郎に違いない、って。だから途中で降りる奴も出てくる。でもその後、不自然にエレベーターが揺れたり……何だっけ、何人か死んだような気もするな。それで、本当に怪物が外にいるんだと信じる人間と、信じない人間が対立する。怪物よりも、その人間同士のいざこざの方が怖かったな」
 口調の端々に、この程度の怪奇現象など面白くもないのだ、と匂わせる。しかし記憶がおぼろげなせいで詳しい粗筋が思い出せない。
 まあ、いい。重要なのは内容よりも話すという行為そのものなのだ。構わずに続ける。
「B級ホラーにもエレベーターの話があった気がする。単純なんだ。人食いエレベーター。乗り込む瞬間に動き出して、人を隙間に挟み込み、ガンガン潰して殺す」
「……小説でも読んだ事があるな」
 釣られたようにレオンも話し始めた。
「何だったろう。あまり作風が合わなくて一度読んだきりの本だったが、延々と上昇するエレベーターの話だった。ちょうど今の私達のように」
「ふうん?」
「閉じ込められるのは見知らぬ男女なんだ。昼も夜も分からない、時間の感覚もない。だが不思議と腹も減らないし、トイレにいく必要もない。だから特に困りはしないんだが、何もない場所に閉じ込められて平気でいられるほど、人間は強くない。二人は発狂しそうなる自我をどうにか保つ為に、愛し合うようになる。そしてお互いの過去を話し始めるんだ。できるだけ長く、途切れないように」
 確かに状況は一番似ているように思える。上昇か下降か、男女か兄弟かの違いだ。
「それで?」
 エレフが先を促すと、レオンは少しの間、記憶を辿るように沈黙した。
「それで……あまりにも長く一緒に居すぎたせいで、二人の愛は次第に冷めていく。話せば話すほど相手の嫌なところばかりが見えてくる。しかし、それすらも話の種にするんだ。狂ってしまわないように。自分達がどうして愛し合ったか、そしてどうして憎しみあっているのか、それすら変化のひとつとして話題にせずにはいられない。そして全ての言葉が尽き、もう何の話も思いつかないと思った時、エレベーターが止まり、扉が開く。二人は押し合うようにして外に出る。すると――」
 レオンは一度言葉を切った。
「また、そこは違うエレベーターの中なんだ。扉が閉まる。そして今度は、長い長い下降が始まる。それで終わり」
「…………」
 嫌な結末に顔をしかめながら、エレフは百物語を連想していた。
 怪談を順番に話していって、蝋燭を吹き消す。百本目の火が消えた時に恐ろしい事が起きる。この状況は、まさにそれではないのか。
 だが、これでいい。エレフは今、恐ろしいものでなんであれ変化が起こる事を待ち侘びていた。レオンの体質が利かずにこうなった以上、今回は自分が、相手の尻尾を引きずり出してやる。
「エレベーターの話、案外あるもんだな。都市伝説でも定番だし」
「だね。こういう時、笑い声と泣き声と、どちらが聞こえてくると怖いだろうな……」
 レオンが何気なく呟くと、その疑問に答えるように、外で密やかな物音がした。ほんの小さな音だった。
 二人はぱっと口を閉じ、耳を澄ます。音はエレベーターの後方から聞こえていた。
 にぃ、にぃ、にぃ……。
「……猫だな」
「笑い声とも泣き声とも言えないね」
 駐車場にいた猫を思い出す。だが間もなく、よくよく聞けば、それが人間の声だと気付いた。女の、押し殺したような細い嗚咽である。
「……泣き声だな」
「……結局はそっちだったな」
 女の声はおぼろげで、二人に向かって泣いているというより、たまたま風に乗って地の底から飛んできたもののように聞こえた。エレフは目を凝らしたが、やはりエレベーター内には変化がない。外側で泣き声がしているだけだった。
 三分ほど続いただろうか。やがて、ぴたりと声が止んだ。
 静寂が戻り、再びモーター音だけが室内に響く。何だったんだろうかと怪訝に耳を澄ませていると、今度は床が揺れた。座っていたせいで実際よりも大きな振動に思えたが、それは懐かしい、エレベーターとしては一般的な動きだった。減速し、ふわりと停止した後、今度は上昇し始めたのである。
 表示盤は消えたままだったが、中にいても分かるほど、エレベーターはぐんぐん速度を上げて上昇していた。まるでアトラクションの始まりのようだ。エレフは立ち上がり、壁に耳を当てる。バランスを崩すほどではないが、外で巻き起こっている空気の摩擦音が強くなっているのが分かった。携帯を開いて時刻を確認すると、閉じ込められてから約一時間が経過している。
「……まさか、さっきレオンが話した小説みたいにはならないよな」
「外に出たら、また違うエレベーターがあったり?」
 笑うしかないと言いたげにレオンが肩をすくめながら立ち上がった。
「そうして話す事が全部なくなったら、今度はしりとりでもしようか」






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