亡き王の祭壇.5









「私達がここに来たと、見張り兵から聞いたのか?」
「ええ」
「ならば話は分かっているのだな?」
「陛下が神殿に留まったと聞きましたので、私をお待ちなのだと」
「では犬を送り込んだのは、私達の反応を確かめる為に?」
「聖域で人の血は流せません。お命を狙うつもりはありませんでした」
「貴方がアルカディアを案じてくれたのだと分かっている。だが、やり方は感心しないな」
「勿論そうでございましょう」
 老人の態度は終始、静かだった。罪を暴かれた人間の醜い焦りや卑屈さもない。
 落ち着いた、賢そうな男だった。どこか神経質そうな鋭い眉に反し、眠たげな目をしているのが印象的で、あまり大それた事をする人間には見えない。豊かに蓄えられた白い髭が、アメティストスに懐かしい恩人を思い起こさせた。
 顔見知りなのだろう。レオンティウスも取り立てて声を張るではなく、両者の間には何かしらの信頼か、あるいは共感があるように見えた。
「神官達の中でも、貴方ほど堅実でアルカディアに忠実な人はいない。ゼウス神殿で立て続けに事件が起こったと聞いてから、少し妙だとは思っていた。そんな手抜かりを貴方がするだろうかと」
 そう前置きし、レオンティウスは答えを求めるように目の前の人物を見た。先程までうなっていた猟犬も飼い主の足元に行儀よく座り、舌を垂らして大人しくしている。老人がその頭を撫でるたびに、ぶんぶんと尻尾が振られていた。
「神殿には見張りがいる。余所者が儀式を出来たはずがない。だが実際に祭壇には血が残っている――となれば単純に、神殿の関係者が結託して事を偽装しているのでは、と思った。よく考えれば血こそ残っているものの、神殿にしろ狼騒ぎにしろ、実際に被害に遭った者はいない。これらは全て狂言ではないかと考えて、貴方と繋がったのだ」
 レオンティウスは言う。告発とは思えない水のような声。音と音の合間から、鼓膜の中にもぐりこむような声。
「鶏か何かを捌いて祭壇を血で汚し、儀式があったように装う。見張りの兵も神殿の手の者だ。そして訓練した猟犬を使い、協力者の家畜小屋に細工を施して、狼が里に出てきたように見せかける。簡単な事だろう。だが……こうしてリュカオーンの狼が出たと騒ぎが起こった場合、貴方は得をするのだろうか?」
 彼はそこで言葉を切り、左右に首を振る。
「いや、そんなものはない。むしろ対処が甘いと非難されるだけだ。そして城下では、リュカオーンの狼を不吉な予兆だと人々が怯えるだけだろう」
「しかし、それが重要でした」
「目的はアメティストスか?」
「ええ」
「……何?」
 急に名前を出され、半ば他人事と耳を傾けていたアメティストスが怪訝に顔を上げる。神官はとつとつと語り始めた。
「呪われた神話の狼が出る。どんなに見張りを増やしても神殿は暴かれ、儀式は止まない。こうして不可解な状況になればなるほど市民は非凡な、運命に守られた人物へ疑いと恐怖の目を向けます。神の眷属である王族達ならば事は容易いのではないか――あるいは近年アルカディア王宮に入った紫眼の狼が災厄を引き寄せたのではないか、と」
「……疎まれたものだな」
 ここまで知れば真相も見通せる。
「疑いを集め、王都から追放できればと?」
「幸い、私は神官。ゼウスの神託ならば捏造も出来ますから、いざとなればアメティストス殿のせいだと告げる事も考えておりました」
「また神託か」
「神の声は全ての事象を凌ぎます」
 苦々しげなアメティストスにも構わず、老人は事も無げに述べる。臆さない口調は、あらかじめ誰かに聞かせる為に準備された台詞のようにも聞こえた。
「悲しい事に百年以上もの間、アルカディアでは肉親での王位簒奪が耐えませんでした。陛下が即位なされた時も、兄上であるスコルピオス殿下の謀反があった。ようやく陛下の治世が始まると言う時に、再び弟など出てこられては困るのです。それも一度はバルバロイに加担した弟君など。しかし陛下は和睦を結び、アメティストス殿を受け入れなさった。神々もそれを罰しない」
「……彼は先立って、アルカディアの為に共闘してくれたろうに」
 ぽつりとレオンティウスが口を挟む。神官は力なく、怒りとも笑みとも取れる奇妙な微笑を浮かべた。
「無論、その功績を忘れた訳ではありません。しかしあの王位争いを知っているだけに不安は根強く、恐ろしいのです。いずれ時を経て貴方がた兄弟が再び玉座を奪い合い――国を乱すのではないかと。そのような悲劇を、私はもう見たくなかったのです」
「……そうか」
 レオンティウスも軽く目を伏せる。神官は言い逃れもせず、眼前に立つ若き王の裁きを待っているように見えた。雷神の前に頭を垂れる罪人、そのままに。
 アメティストスはアルカディアで起きた内乱の実情を知らない。二人の間に落ちる共通の影を、ただ黙って見つめていた。
(面倒な奴らだ)
 そう思う。けれど彼がかつて妹の復讐に心の在り処を求めたように、誰もが取り戻せない過去の価値を、現在の中に探しているのかもしれない。レオンティウスの場合はそれが不意に見せる殺伐さに、この神官の場合はリュカオーンの狼という狂言に繋がっただけで、それらは全て同じ過去の遺産なのかもしれなかった。後悔と言う名の、返すあてのない遺産だ。
 やがて老人の肩の力が抜ける。足元に擦り寄る犬の背を撫で、疲れたように彼は言った。
「しかし今宵この子が飛び掛った時、アメティストス殿は声を掛け、陛下を気遣う素振りをお見せになった。それで納得がいったのです。どうやら全て、私の取り越し苦労だったようだと」
「……奴の代わりに王になるなんて、それこそ死んでも御免だからな。お前のような男を臣下に持つのもぞっとしない」
 アメティストスの素っ気ない言葉に、神官は失笑した。
「ええ、そのようですね。安心いたしました。神の名を騙り、要らぬ審判を下そうとした私の方こそ、国に仇なす畜生だったようです」
 罰を受けると、老人はうなだれる。レオンティウスは槍を片手にぶら下げたまま、しばらく思案に暮れているようだった。だが真剣みを帯びた彼の口元が、やがてゆるゆると弧を描く。
「分かっていないな、神官殿――私は貴方の弱みを握ったのだぞ?」
 レオンティウスは微笑んだ。状況に不似合いな、いやに晴れやかな笑顔だった。
「今回の事は表沙汰にはしない。リュカオーンの狼はいる事にしてもらう」
「……は?」
「あぁ?」
「リュカオーンの狼はいるのだ。そして討伐隊を出し、アメティストスの手柄にする。濡れ衣も晴れ、アルカディアの平和に一肌脱いだと彼の評判も上がるし、私は愛国心ある神官をわざわざ罰せずに済んだ上、恩も売れる。一石四鳥ではないか」
 神官はぽかんとし、アメティストスは盛大に顔をしかめていた。にこにこしながら指を折って列挙するレオンティウスの姿を、呆気に取られて見守るしかない。
「神官殿。私は貴方を知っている。知っているから、今回は見逃すのだ。それを忘れないで欲しい」
 次はないのだと、柔らかに釘を刺す。両者の間に漂っていた同じ影が薄らぐのを、アメティストスは感じた。探るような沈黙の後、根負けした老人が零す。
「――ご聖断に感謝を」
 告発劇は閉じられた。







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