亡き王の祭壇.4










 子供の頃、アルカディアの山奥で平穏に暮らしていた時代。奥深い山野を慕って木々の間を駆け回っていた頃も、滅多に狼の姿を見る事はなかった。ぬかるんだ小道で足跡を見かける事は珍しくなかったし、夜になると歌うような甲高い遠吠えを夢うつつで聞く事はあったが、その存在を身近に感じる事はなかったのである。
「犬とは違うからね。そう仲良くはなれないよ」
 育て親はそう言って、野生の獣に興味を抱く双子をたしなめた。一人旅をするようになり、やがてその名を冠して軍を率いるようになってからも、用心深い彼らを相手にした事はない。その姿を森の狭間から見る事はあっても、木漏れ日を浴びて毛並みを輝かせている狼の群れはひっそりと、息をするのも憚られるような威厳に満ちていた。
(――犬とは違う、か)
 アメティストスは記憶をなぞりながら、祭壇の後ろに身を潜め、耳を済ませる。
 しゅ、と爪が床を擦る音。生々しい息遣いが、確かにした。
「……来た」
 祭壇に立てかけてあった剣を取る。気配を窺いつつ外に身を躍らせると、隣に腰掛けていたレオンティウスも同様に立ち上がっていた。
 ひたひたと足音がする。闇に目を慣らしたとは言っても、灯りを落とした神殿内の闇は色濃い。それでも外の星々が照らし出す逆光で、影絵のようにくっきりと獣の体躯が浮かび上がっていた。
 話の通り、一頭だけ。
 滑るようにその獣は神殿の中に入り込むと、こちらに考える暇を与えず一気に駆け出した。ひとつふたつ吠え、力を蓄えた後ろ足が床を蹴る音。
 黒い塊は吸い寄せられるようにして、レオンティウスの喉元へ跳躍した。
「レオン!」
 死ぬ訳はないと思ったが一応、声を掛けておく。レオンティウスも慌てる素振りなく、目の前に迫った獣を軽く横殴りにし、再び飛び掛ってくる牙へ槍の柄をかざして食いつかせると、ぶんと大きく薙ぎ払った。勢いで吹き飛ばされた黒い塊が床の上で小さく吠える。
「――違う」
 加勢しようと剣を構えたアメティストスは、ふと呟いた。育て親の声が耳に蘇る。見た目が似ているからと言って、野生の狼と家畜化した犬は別物だ、と。
 ――狼ではない。
 走りながら吠える素振りから妙だとは思っていた。狼が走るのは狩りの時だ。その間、獲物に自分の居場所を悟らせるような真似はしない。
 ましてや、わんわんと吠え猛るなんて。あの鳴き方は、家畜化した犬が人間と会話する為に取得した声だ。
 獣は床に身構えたまま少しの間うなっていたが、急にぱっと身を翻し、神殿の出口の方へ戻っていく。逃げ出すのかと思ったが、その尾が激しく左右に振られているのを見て確信が深くなった――狼は尻尾を決して振らない。
「こいつ、猟犬か?」
「そのようだ」
 レオンティウスが槍を構えたまま応じる。
「街を騒がせていたのはこの子だろう。お前の飼い主は誰だ?」
「――私ですよ」
 声が響く。神殿の出入り口には既に見張りが消えていた。代わりに星空を背にして立っていたのは、見覚えのない年老いた男。
「……やはり貴方か、神官殿」
 囁くように言い、レオンティウスは穂先を下ろす。
 告発劇が始まった。






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