年下のオトコノコ

今週末は珍しく、本当に珍しく残業がゼロで、数ヶ月ぶりの華金を楽しもうと試みたもののーー後輩とジョッキ2杯程煽ったところで睡眠欲が勝りまだ薄明るい繁華街を離脱した。麗しの我が家、専ら寝るだけの床と化しているベッドに寝転がり、帰り道コンビニで調達した缶酎ハイを煽る。外の飲み会だと親しい相手程眠くて眠くて気だるいくなるのに、家だと途端に目が冴えてお腹が減るのは何故だろう?どうせ明日から週末で予定もないし、久しぶりにイカでも塗るか、と放り投げたコントローラーを拾い上げたのと同時にーー久々に聞いた玄関チャイムが狭いワンルームに響いた。
モニターに映る人影をチラリと確認してから再配達が来る予定を思い出し、Tシャツはまずいと上からジャージを羽織りつつノブに手をかけたところで2度目のチャイムがピンポン、今出ます!

「すみません、遅くなりました〜!」

慌てて開いたドアの向こうに居たのはーー学生さんだろうか?薄暗い玄関先でも解る、日焼けした肌が眩しい仏頂面のーー若い、男の子。

「みょうじなまえさんのお宅で間違いはないですか?」
「………え、ええ。みょうじは私ですけど」
「邪魔するぞ」
「はい???」

私に紙切れを一枚押し付け、男の子は靴を脱ぎずんずんと不躾に部屋に上がる。普通なら即刻警察案件だけれどもーー背の高さと整った顔に思わず見惚れてしまった自分が情けない。男日照りの非リア女は顔の良さには勝てません…じゃなくて!手渡された紙に慌てて目を通すと、パンフレットのようで『添い寝サービス』と全く身に覚えのない文言がデカデカと印刷されていた。

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『センパイ〜!びっくりしました??そろそろオトコノコがついたころかなぁって思ってLINEしました(o^^o)いつも仕事でフォローしてもらってるお礼したいなーってずっと思ってたので、サプライズで呼んじゃいました!人気の添い寝サービス(*゚▽゚)ノエッチなこと以外はなんでもしてくれるらしいですよ〜!部屋の掃除でもさせたらどうですか(笑)』

(笑)じゃないよ!とスマホをぶん投げそうになりながら、後輩からのメッセージとパンフレットで大体状況は把握できた。定食屋で見る昼番組でチラッと特集していた、添い寝男子だか添い寝サービスだか。興味が無いわけではないけれど、何となくホスト紛いじゃないかと嫌遠していて……しかしこうなっては仕方ない。
ぐるぐる目を回しながら、広くはない8畳ワンルームで上下高校ジャージの喪女っぷりを見ず知らずの若者に見られている事実に小さく唸りながら相手の様子を伺う。当の本人はこちらに構わず悠々とデスク近くに置いたポットから勝手にお茶を煎れていた。……借りてきた猫でも見習ってくれなかなぁ。かろうじて化粧を落としてなかった自分を褒めたい気持ちを抑えて、サイドボードに置いたお酒の残りをぐいっと煽って決意を固めた。

「……お名前、聞いてもいい?」
「鯉登音乃進じゃ」
「学生さん?いくつ?」
「学生だが、酒は飲める歳だから安心しろ」
「当たり前です!」

未成年じゃこちらが犯罪になってしまう!慌てる私に淡々と、寝るまでの快適な状況を作るーー具体的に料理や掃除等のオプションも今日はついていて、支払いは依頼主が全て済ませてあるとシステムを説明してくれた。添い寝の後、鯉登くんは起こさないように帰ってくれると言ってーーそれまでの機械的な態度はどこへやら、少し恥ずかしそうに、長身をちぢ込ませて「今日がはじめての仕事だ」と薄い唇がぎこちなく告げた。

「至らぬ点も多いと思うが、よろしく」

艶やかに細められた目元と、スッと通った鼻筋に見惚れてしまいーー染まる頬と台詞も相まった異様な雰囲気にーー付き合いはじめの挨拶かよ、と突っ込むのを忘れてしまった。

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誓って私はお金で男の子とキャッキャする趣味は無い。後輩のありがた迷惑を逆に鯉登くんに説明した上で、すぐに寝るからどうか帰って欲しい、と格好つけた所にグゥゥとお腹が鳴ってしまった。

「何か作りますから、お待ちください」

ーー仏頂面だけど口調は優しい。
キッチンに消えた背中に文句は言えず、熱くなった頬を叩く。いくつ年下だと思ってるんだ!学生さんって言ってたじゃない!そういえば喋り方、訛りがあるのかな?さっきから接客モードだったりタメ口だったりぎこちないなぁ、どこの出身なのかしら、そもそも料理得意なの?等々次々考えているうちにーーキッチンから漂うコゲ臭さに慌てて立ち上がる。
案の定シンクで葉物を千切りつつ首を傾げる鯉登くんの興味は、何かを炒めていただろう鍋からはすっかり逸らされていた。

「お鍋から目をはなさないでー!」

大きい図体を押しのけて鍋を掴み取り、火を消すと同時にコゲついた底面にため息を付いた。

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結局無事なものを使って私が簡単な丼物を手早く作り、付け合せのサラダまで用意してーーこれじゃ私が奉仕してるみたいじゃない。同じことを考えていたのか、先ほどの失態からショボくれて固まっていた鯉登くんに冷めるよ、と食べるように促してから、冷やしていたビールを注いでやる。

「………いただきます」

きちんと両手を合わせて食べ始め、箸の持ち方は綺麗で、台所の様子を見るにお育ちが良すぎる感じなのかしら?とグラスを傾ける。いつもの自分の部屋の洒落っ気も無いこたつを囲んでいるだけなのに、1人じゃない食事は嬉しい。
向かう男の子の上品に一口ずつゆっくりと噛みしめる様子は小動物か何かのようだ。

「ん、美味か」
「よかった」
「なまえさんは、良か嫁御になっことじゃ」
「は………?」

さりげなく爆弾級の発言に思考停止する私を他所に、美味い美味いと繰り返す鯉登くんに他意はないのはよく解る。本当は解ってやっているのか、天然なのかーー天然だとしたら、相当これは天職なのでは?と苦笑いしつつ次のロング缶を開けて頭を冷やそうと今度は1人で一気に煽った。

「飲み過ぎだ」
「あ、ごめんね。鯉登くんのぶんも冷蔵庫にあるよ」
「そうじゃなか」

不意に真剣になったアーモンド形の瞳に胸が高鳴ると指先から飲みかけの缶を奪われ、乗り出し近づいた顔が少年のように綻んだ。

「ーー酔くろう前に話がしよごた」

鯉登くんの頬も紅く、そして悲しきかな彼が何を言っているかサッパリ解らなかった。

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食器を2人で片付けてから、余り物で適当におつまみを作ってあげるとーーというか私が何かする度に鯉登くんは目を丸くして驚いていた。着ているものもさり気なくハイブランドだし、相当お育ちがいいんじゃないかしら。
仕事が仕事なので当たり障り無く事情を聞いていくと、彼は院進が決まった4回生で、憧れの教授に世間知らずを咎められてしまい社会勉強のために紹介された単発バイトでーー今に至るとのこと。ありがち!実家が鹿児島だというので戸棚から黒霧を出してあげると、芋焼酎がすぐ出る女の家は良くない、と神妙に呟かれたので小突いてやった。
整った無表情と見上げる背の高さは少し怖い印象だけれども、話してみるとそうでも無く、受け答えは誠実さが垣間見えて幼ささえ感じる。この外見にこのギャップ、きっと実家はお金持ち。さぞかしおモテるんだろうなぁ。仕事ばかりの毎日に思いがけず訪れた課金制の幸運に、神様仏様後輩ちゃんどうもありがとうございましたと手を合わせた。

「鯉登くん、もう遅いし帰りなよ。久しぶりに仕事以外でお酒飲めて楽しかったし」
「………嫌だ」
「え?」

思いがけない展開に、目をぱちくりしていると両手をとられぎゅっと握られる。

「私はまだ何もしちょらん。なまえさんを喜ばせっのが仕事じゃ」

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「あ、電気は消してね」
「何も見えん」
「見られたくないんだってば!」
「……難儀なものだな」

暗がりの豆電を頼りに、何時ものクレンジングを鯉登くんに渡した。ーー勿論色っぽい展開になる訳もなく、何か私の役に立ちたいと子犬のように縋る彼に化粧を落としてもらうことにしたのだ。本当は掃除機でもかけてもらって適当に返そうと思ったけど、時間が時間だしそういうわけにもいかない。
化粧品を触るのは慣れないようでモタモタしていたので、蓋を開けてこぼれないようにコットンにしみこませてこれで顔を拭いて、擦らないでクルクルしてね、とーーこれじゃあまた私が働いてるみたいだと思ったけど、また面倒臭くなりそうだから黙っておこう。
辿々しい手つきで、長く硬い指が柔らかな綿越しに私の頬に触れる。少し震える様子がくすぐったく、また気持ち良い。

「ふふ、もう少し強くていいよ」

む、と声を上げて支えるように顎を持ち、コツを掴んだのか優しく穏やかに頬を撫でられた。

「適当でいいからね」
「何を言ってる、やるからには……」
「はいはい」

円を描くように滑るコットンが気持ち良く、今更酔いが回ってきてうとうと眠気が意識を染めて行く。鯉登くん、入り口オートロックだから帰りはそのまま出てってね、終電気をつけてね、小さい子をあやすような言葉が聞こえてたのか解らないけどーーそのまま寝落ちする私を抱きとめる腕にお礼を言い忘れたな、と夢の縁で考えた。



「…………よか夢見やんせ」


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日時は過ぎて月曜日の昼下がり、外回りのついでに普段は降りない駅前にいた。

週末のトンチキな出来事は、朝方カーペットに落ちていた定期入れが夢じゃないと翌朝即座に教えてくれた。運良く中に連絡先が入っていて繋がったのでーー鯉登くんの大学が会社から遠くはないため、仕事のついでに届けにきたというわけだ。
流石都内屈指の名門私大の最寄駅、行き交うのは若々しく眩しい学生ばかりだ。私だって数年前は負けてない……なんて不毛な対抗心を燃やして眺めながら、訪ね人は見つからない。電話でもかけてみようかとベンチに腰掛けると、トンと後ろから肩を叩かれた。

「なまえさん」
「あ、鯉登くん」

予定通り預かりものの黒革の定期入れを渡し、先日のことを思い出した気恥ずかしさに慌てて立ち上がる。気を付けてね、また何時か、と駅に向かう私の腕を一回り大きな手のひらが掴み、ぐいと胸元に引き寄せられた。

「……あのバイトは辞める」
「うん。その方がいいと思うよ。もっとカフェとか簡単なのにした方が……」

スーツ姿の私と学生の鯉登くんの組合せは目立つようで、注がれる好奇の視線のせいか、はたまた思いがけない異性との距離の近さのせいか、ドキドキと心臓と顔から火が出そう。
何処吹く風ぞと言わんばかりの澄ました様子で、鯉登くんは少し屈んで私の耳元へ悪戯っぽ囁いた。


「これを忘れたのは、わざとだ」


ーーー夢の続きなのか何なのか、突然出会った年下の男の子にからかわれるのも悪くはないかもな、と思った。



fin.

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title:年下のオトコノコ
write:塚田

7/10
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