プルルルル…という電話のコール音が鳴る。
スマホを耳にあてたまま、なまえは机に突っ伏していた。
なまえはもうなにもかも嫌だった。
人が苦労して作成した資料の手柄を全て攫っていく同僚の女も、見合いしろ彼氏を作れ結婚しろとしつこく連絡してくる母親も。
ぐるぐると考えている間に、
コール音が途切れ人の声がする。
ーーはい、こちら添い寝サービス「カムイ」です。
当店をご利用されるのは初めてですか?
「は、はい。はじめてです…」
ーーかしこまりました。当店は添い寝を専門とするサービスを提供しています。
ご存知かと思いますが、性的なサービスは行なっておりません。よろしいでしょうか?
「はい。…ではお泊り睡眠コースで。
…はい。はい。よろしくお願いします。」
なまえはスタッフからの質問や説明に答えながらやや緊張していた。こんなサービス使った事がない。
以前なまえは友人から添い寝サービスの話を聞いていた。そのためか、疲れが溜まっていたなまえは無意識のうちに添い寝サービスの店を探していた。自分の住所圏内で。
ーーでは、初回サービスとしましてお客様の添い寝パートナーで、
何かご要望はありますか?
「………えっと、じゃあなるべく落ち着いた雰囲気の方で、声の低い男性でお願いします。」
ーーでは本日の22:00に、ご要望に沿ったスタッフを向かわせますので。
ブツ、と電話が切れた。
あっさりと添い寝サービスに申し込んでしまった。どんな人が来るだろう。なまえは少しワクワクしている自分に驚いたが、汗臭い自分に気がつきシャワーを浴びに浴室に急いだ。
22:00、ぴったりの時間にチャイムが鳴る。
玄関を開けると、そこには目が特徴的でに縫合跡のようなものがある男性が立っていた。
男性は今風の所謂「イケメン」といった顔つきとは違う男前で、なにより黒く光を通さない瞳は吸い込まれそうだった。
玄関から見える月夜にほんのりと照らされた彼は、夜の似合う人だな、となまえは思った。
彼はゆっくり口を開く。
「添い寝サービスカムイの、尾形です。今日はよろしくお願いします。」
心地よく地に沈むような低い声だった。
なまえは中へと通した。
「あっ、あの、っ、私こういうの初めてで、よくわからないんですが、……ベッドもシングルで狭いので…」
尾形と名乗る彼は一瞬鳩が豆鉄砲喰らったような顔をした後、
自分の髪を撫で着けながら笑った。
「ははっ、お客様、大丈夫ですよ。
べつにナニをするわけじゃあない。添い寝するってだけなんですから。」
なまえは尾形に自分の言葉をどのようにとらえられたか理解して、顔を真っ赤にしてあたふたした。
「はっ?!えっ!ちが、違いますってば!そんな意味で言ったんじゃないんです」
「はははっ!お客様は面白いですね」
尾形はどこか影のある少し歪んだ笑みを浮かべていたが、
それは表面的な印象で、 なまえは彼が楽しんでいる事がわかった。
「さて、お客様」
「あっ、あの、なまえでいいです…」
「そうですか?では、なまえさん。
大体のお客様は添い寝のみですが、一緒にゲームしたり、お話したりする方もいらっしゃるので、
ご要望があれば是非おっしゃってください。」
なまえは考える。
ちらりとカレンダーを見ると、今日は金曜日。明日は休みだ。少しくらい入眠に時間がかかっても朝寝できる。
ではゲームか?いや、そんな気分ではない。なまえは癒されたいのだ。
その刹那、尾形の低く心地よい声を思い出す。そうだ、あれだ。
「あ、あの、良かったら本を読み聞かせていただけないでしょうか。」
なまえは一冊の絵本を取り出した。
幼い頃母に買ってもらった、お気に入りだ。これだけは手放せなかった。
黒猫の騎士と白猫のお姫様が、
金色のカブト虫を捕まえるために冒険する話だ。
「………かしこまりました。さあ、ベッドへ。」
尾形はなまえの肩に手を添え、ベッドの方向を指し示す。その時に耳に口を近付けられたため、耳元で囁く形になり、なまえはどきりとした。
サラサラとシーツの擦れる音が聞こえる。
今日会ったばかりの男性と寝床を共にするというのは、やはり緊張する。
尾形は腕枕をごく自然にしてくれ、なまえより逞しい腕は少し硬かった。
男性だからなのか、頭の下敷きになっている腕から力強い脈拍の振動がかすかに伝わってくるようで、ああ、生きているのだなあと感じる。
至近距離で顔を見る。やはり、男前である。尾形はなまえより色が白かった。まつげも長く、大きな黒目に自分が写り込んでいる。
息がかかりそうなくらいの距離で、なまえはしばし尾形の顔をぼんやりと見てしまっていた。
「…俺の顔に何かついてます?」
いじわるな笑みを浮かべながから、尾形は言う。
「いやあ、やっぱり尾形さんは男前だなあと…」
あたふたとしながら答えると尾形は髪をかきあげながら、
「よく言われます」
ドヤ顔をした。こんな顔もするのかこの人は。となまえは思った。
尾形は絵本を手に取ると、低く響く声で静かに、ゆっくりと、丁寧に文章を読み上げていく。なまえはその声が酷く優しげで、少し切なさを感じた。
なまえはいつのまにか眠りについていた。尾形の声は、甘く柔らかな闇のようにじんわりと心を満たすような音色だと思った。
…なまえは自分が夢を見てるのがわかった。なぜか尾形は軍衣を着ていて、銃を持っている。
絵本の展開を反映しているのか、尾形には猫の耳が生えていた。
『おい、何してる。早くしないとカブト虫が誰かに捕まえられちまうぜ。』
そう言いながらなまえの手を引いて山の中を走る尾形。
どう言うわけか、タメ口がしっくりくるような、不思議な感覚をなまえは感じていた。
なまえはとても中途半端なところで、目が覚めた。
「いびき、かいてましたよ」
朝、開口一番に尾形が女子にとっての死刑宣告をする。
「やっ!やだ!うそ!恥ずかしい!」
「そりゃあもう、怪獣のようないびきでした」
帰り支度をした尾形が一枚の紙を渡す。
「生々しくて申し訳ありませんが、こちらの口座に入金お願いします。……では、またご指名くださいね。」
「あ、あのちょっと待ってください!」
「なんでしょう?」
「なんか、尾形さんって敬語似合わない。最後くらいタメ口で話してくださいよ」
尾形はニヤリと笑い、少し考える素振りを見せると口を開いた。
「ははっ、あんた、やっぱり楽しい人だな。ま、俺をまた指名してくれりゃ、今度は遠慮なくタメ口で話してやるよ。」
「なんだかしっくり来ますね。その話し方」
なまえがクスクスと笑うと玄関のドアを開けながら尾形は
「どんなもんだい」
と笑った。
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title:詠じる猫とハッピーエンド
write:もち
5/10