ひょうひょうと麻薬
「苦しくないか?」
「…あ、はい」
「身体が固いな……少しマッサージをしてやろうか?」
「えっま、マッサージ!?」
「ああ、誤解しないでくれ。変な意味じゃない、肩を揉んだり背中のつぼを押す位だよ。もちろん、嫌ならしない。」
「…じゃあ、せっかくだからお願いしてもいいですか?」

私がそう言えば目の前のナイスミドルはにこりと微笑んで体を起き上がらせた。私は指示通りうつぶせに眠ると、髪を束ねて邪魔にならないように前へと寄せた。施術前にどうぞと言われて差し出されたカモミールティーを飲み込めば、簡素なビジネスホテルがあっという間に癒しのスパにでも変わってしまったかのように思えて何だか可笑しかった。

「、」
「痛くないか。」
「はい、気持ちがいいです。…あの、これって…」
「追加料金は取らないよ。あくまで『添い寝』がメインだからね」
「…すみません」
「気にしないでくれ。これは私が勝手にやっていることだ。」

そう言って優しい手つきで背中をほぐしてくれる。添い寝をしてくれる上にこんなマッサージまでしてくれるなんてと驚きを隠せなかった。ベッドサイドテーブルのほんのりとした橙色のランプの光が自分の頬や肌を照らす。傍の鏡を覗けば私の背中を労わりながら癒す真剣な目をした男性こと「鶴見さん」のお顔が見えて思わず視線を釘付けにしたまま瞬きさえできなかった。

「痛いところがあったかな?」
「いい、え」

鏡越しにばちりと目が合って、思わずぶんぶん首を振れば、鶴見さんはにこりと笑って背中を撫でた。だんだんと漸く眠くなってきて瞼を数日前のことをぼんやり思いだしていた。添い寝サービスというものがあること自体は何となく知っていたが、まさか自分が利用してみようだなんて考えもしなかった。今回利用したもの気まぐれに近い。たまたま華金で終電を逃しそのままぶらぶら歩いていたが、結局眠いしシャワー浴びたいしでビジネスホテルを予約したのが事の発端だった。タクシーで帰るのと泊まるのと料金的には然程変わらなかったし、どうせ明日はなにもないからいいかと思って泊ったはいいが、何もすることがない。お風呂に入って暫くテレビを眺めていたがそれも暇になって寝ようかなあなんて思ってもなかなかアルコールのせいで逆に寝付けなくなって眼が冴えていた。どうしたものかと思った矢先、思いだしたのがこのサービスだった。

会社で面白おかしなビジネスという話題でこれも上がっていた。最も、あまりよろしくない噂ばかりだったが。本当に、興味本位だった。面白かったら友人間でネタにしようと思っていたくらいだから。変なおじさんが来たら、それこそチェンジじゃないけどお断りしようと思っていたのに。まさか、こんな素敵な男性が、しかも私のドタイプのナイスミドルが来るだなんて…。そう思って彼を部屋に通した際は開いた口が塞がらなくて恥ずかしい思いをした。最初に自己紹介とともに名前の書かれたカードを渡されたので、テンパっていた私も反射的に名刺を渡してしまった。しかしながらそこはプロで、こういう反応も慣れているのか入室の許可を得たと同時にずかずかと部屋に入るとそのままお風呂を借りて着替えてベッドにいそいそ入りこんできたのだ。まるでこれが普通とでもいうかのように。しかもいきなり下の名前で呼んでくれた。

「…あの、素朴な質問してもいいですか?」
「ん?ああ。規定で聞かれても答えられないこと以外、何でも答えるよ。」
「ありがとうございます。…このサービスって、どんな女性がよく利用するんですか?」
「…そうだなあ、結構幅広いな。」
「ふーん年齢がですか?」
「20代から、最近は70代までかな。」
「へえ…皆ひと肌恋しいのね…」
「ふふ。目的もそれぞれだけれどな。」
「例えば?」
「そうだな…最近あった面白いのは、本当にあった怖い話を見てしまってひとりじゃ眠れないから来てくれというのがあったな…」
「なにそれ、可愛い」

くすくす笑えば後ろで鶴見さんもふっと優しく笑った。そして今度は肩をマッサージしてくれるのか、私を起き上がらせると座る様に指示した。大人しく指示通りに座ると、これまた程よい力で肩を揉んでくれるので思わずああ、と声が漏れてしまって恥ずかしかったが、彼は全然気にしていない様子だった。

「後はそうだな…。あまり大きい声で言えないけれど、病院からのお願いもあったよ。」
「病院?」
「ああ。身寄りのない女性の添い寝だった。重い御病気の寝たきりで、痴呆症も悪化して、亡くなった旦那さんに会いたい会いたいと嘆いていた女性の添い寝をしたんだよ。その夜は凄く嬉しそうに見えたと、看護師さんは言ってくれたよ。」
「…そうですか。良かったですねえ、その女の人…」
「ああ。数日後に亡くなってしまったようだが」
「…でも、きっと救われたはずですよ。」
「そうだといいんだがな」
「きっとそうですよ。なんとなく、そう信じたい。」
「ふふ。あとはそうだな、たまーに、ちょっと勘違いしてくるお客さんもいるけれどね。」

そう言って鏡越しにウィンクをする彼に思わずどきりとして視線を逸らした。やっぱり、こんなかっこいい人に勘違いする女性も出てくるのは、ある意味当然かもしれないと変なところで納得しつつ言葉にはしなかった。気持ちが良くてだんだんとうとうとしてくれば、それを見た鶴見さんがゆっくりと私の体を支えてベットに横たわらせてくれた。

「…すみません」
「いいや。これも私の仕事だからね」
「…仕事熱心ですね」

そう言えば鶴見さんが口角を上げたのでふああ、と欠伸をした。時計を見ればもう午前3時。眠いはずだ。彼はいそいそとブランケットを私の肩まで羽織らせると、私の頭にするりと自分の腕を差し入れて、いわゆる「腕枕」というものをやってくれた。サービス満点ですねと寝ぼけてそう言えば再び彼が笑った気がした。電気が消えて、瞼の裏も完全に闇が支配すると、自分の息と、男性の低く規則正しい吐息だけが聞こえてきた。思わず彼の方に頬を寄せれば受け入れるように彼もまた私を胸に抱き寄せた。ぽんぽんと子供をあやすように肩を優しくたたかれるともうこのまま本当に意識を失いそうになる。いいにおいがするし温かいしでなんだかここは天国みたいだ。こんな素敵なサービスなら早く利用すればよかった。そう漏らせば彼が口を開いた。

「なまえは今日はどうして利用しようと思ったんだ?」
「…なんだろう…興味本位…?」
「ふうん」
「っていうのはたぶん嘘です…」
「嘘?」
「…うん。本当はね、私も結局、寂しかったんだよ、きっと」
「………」
「だからね、今日、鶴見さんに勘違いしちゃった人の話を聴いたけれど、」
「ああ」
「何となくわかる気もするの…」
「わかる?」
「うん、だって、あなたはとても素敵すぎるんだもの。」

そう言って笑えばくつくつと喉を鳴らされたので、嘘じゃないわと付け足せばますます鶴見さんは笑ってしまうのでもうとりあえず諦めた。眠いし今はこの微睡に身を任せて居たかったし、もう頭も働かなかった。色恋営業って怖いわ、と呟けばもっと可笑しそうに笑われた。

「でも安心してね、変なことは絶対しませんから。」
「ふふ、なまえは優しい子だな」
「だって、そんなことして二度と鶴見さんに会えなくなるなんて嫌だもの。」
「………」
「だからね、また…こんども…」
「………」
「今度は、貴方の理由も、教えてくださいね…」

だんだん霞んでいく視界に抗うことなく沈んでいく。お腹の中がふわふわした酷く心地の良い感覚がして、麻薬に溺れる人はきっとこんな感じのかなあ、とぼんやり可笑しな想像をした。カモミールティーのいい香りに紛れて、男性の首筋のいい香りが香ってそこに顔をうずめれば、微睡の中で確かに額に柔らかくて暖かいものが触れた気がして、そこでぷつんと意識を手放した。





『なまえ、今日この後飲める?』
「ごめん、今日夜にヨガ予約しちゃってて。また今度でいいかな?」
『うん、分かった。でも、金曜日に入れるなんて珍しいわね』
「まあね、此処しか最近開いてなくてさあ…。本当にごめんね!私からも空いたら連絡するわ。」
『うん。じゃあね』

ぷつんと友人の声が途切れ、スマホが切れるのを確認すると思わずため息を吐いた。視線を上げれば鏡の前で疲れた顔をした見慣れた顔が見えて慌ててファンデーションを塗り直した。添い寝サービスを利用してからちょうど一週間が経つ。あのサービスの特徴はもう一つあって、起きたときにはもう「添い寝」をしてくれた男性はいない、ということだ。寂しいがこれがルールだし、それが余計にこのサービスの中毒性を助長させるのであろう。例に漏れず私と一緒に添い寝をしてくれた「鶴見さん」も、私があの日目覚めたときにはもういなくなっていた。と言っても、目覚めたのはお昼ごろだったので、当然かもしれないが。

あれから何度かまた利用しようかなと思ってあのサイトを開いたのだが、なんと指名のページに既に彼の名前が無くなっていたので、思わず何度も何度も探したのだが、やっぱりいなかった。すごく迷ったのだが電話で問い合わせてみれば、本当か嘘か分からないが彼は私と添い寝をした数日後、このサービスを止めてしまったという。もともと不特定多数の色々な業種や年齢の男性が在籍してお小遣い稼ぎのような副業として利用する人や、暇つぶしで利用する人が多いサイトなので、珍しいことではないと説明されたが、なんだか納得いかなくて、思わず電話の後に泣きたくなってしまった。

「(…結局色恋営業にかかって勝手に苦しんでるんだもの、我ながら本当に単純で困っちゃうわ。)」

はあ、とため息交じりに笑うと、一人しかいなかった会社のお手洗いから漸く出ていく。今日はヨガではなくて、そのまま恵比寿で開催される街コンにでも参加しようと思っていたのだ。会場は恵比寿の良く分からないイタリアンの入ったビルで、あと2,30分で始まってしまう。気が付けばもう会社にはほぼ人はいなかったので慌てて準備をするとそのまま出口へと向かって行く。

警備員さんに会釈をしてそのまま出口を出たらタクシーを呼ぼうと道路に出た矢先、ぶおおおと目の前に黒光りする高級車が停まったかと思えば、運転席に見たことのあるお顔が見えて思わず息を吸いこんで目を見開いたまま、動けなくなった。そして見たことのあるそのお顔の人物はいそいそと車から降りると、そのまま私の目の前まで来てにこりと笑ったかと思えば徐に名刺を差し出してきたので思わずぎょっとして後ずさってしまった。

「みょうじさんでお間違いないですか。」
「つ…鶴見さん?」
「はい。第七商事株式会社の鶴見と申します。役職は一応営業部長なんですが、如何せん部下に面倒ばかりかける名ばかりの部長でしてね。」
「え、ええっ?第七商事株式会社ってあの大手の…ぶ、部長さん!?」
「あなたは網走不動産株式会社営業主任のみょうじなまえさんでお間違いなかったですか?」
「は、はい…あの、鶴見さん、何の真似ですか…?」
「…すまない、怖がらせてしまったかな。だが、どうすればいいか分からなくてね。」
「…え」
「貰った名刺や連絡先は本当は全部捨てなければならなかったのに、出来なかったんだ」

そう言われてふと先日のことを思いだして思わず頬が熱くなった。そう言えば私はあの時ネームカードを貰って反射的に自分も会社の名刺を出してしまったのだっけ。素面で改めてそれに気が付くと顔から火が出てきそうになった。

「あの、それってどういう…」
「君ももう知っているかもしれないが、私はあの活動を止めてしまったんだ」
「…電話で問い合わせたときに聞きました。本当にやめちゃったんですね。」
「ああ。」

そう言えばあの時と同じ様に柔らかな笑みで静かに鶴見さんは頷いた。差し出された名刺を静かに受け取りそれを眺めれば、確かに間違いなく彼のお名刺で本物であると確認できた。この会社の取引先でもあるし、もしばれたら彼の面子も会社も危ないかもしれないのに、なぜわざわざ…とそこまで考えて視線を上げれば、先ほどよりも距離を縮めた鶴見さんと眼があって思わずはっと息を吸いこんだ。

「単刀直入に言おう。君に会いたかったんだ。」
「は、はい?」
「私はどうやら君に恋をしてしまったらしい。」
「!?」
「だからやめたんだ。恋をしてしまえばこの仕事は務まらない。」
「つ、鶴見さん…」
「それに、」
「?」
「君の質問に全部答えていなかったからね。」
「質問?」
「ああ。『何故添い寝サービスをしているのか』聞いただろう。」

言われてようやく思いだしたが、最後に確かに私は彼に問いかけた気がする。

「何でも答えると、約束したからな。」

そう言っていつぞやのようにウィンクする彼に思わずぷっと笑ってしまって、漸くだんだんとぬけていた力が戻ってきた気がした。

「変な人…」
「添い寝サービスを利用する君もなかなかだがな」
「鶴見さんほどでは…だって、こんな立派な社会的地位があるのに、こんなサービスしなくても」
「色々ある。だが、ここで立ち話もなんだからね。良かったら、どこかで美味しいイタリアンでも食べながら話さないか?」
「い、いいんですか…?」
「勿論、料金は発生しない。」
「えっ!」
「…まあ、どうしても外せない約束があるのなら私は構わないが…」
「い、行きます!」

食い気味にそう言えば鶴見さんは口角を上げた。恵比寿の良く分からないイタリアンなんかより、彼と行くイタリアンの方がよっぽどいいに決まっている。そう思って彼を見上げればすっと鶴見さんは私の手を引いた。そしてぐいっと引っ張ったかと思えば、突然顔を近づけて私の耳に自分の唇を寄せた。

「そのあとの『添い寝』ももちろん無料だ。」

思わず彼を見上げれば、あの日見たことのない不敵な笑みとぎらぎらした目つきで私を見つめていて、今夜は彼の本当の『添い寝』が体験できるのかと思うと背中がゾクリと疼いた。あの夜感じた腹の底がふわふわしたような不思議な感覚を覚えて、頭の裏でぼんやり、ああ、これは彼の麻薬なんだ、と酷く納得した。怖いような嬉しいようなごちゃごちゃになった気持ちのまま、握られた手をぎゅっと握りかえした。


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2018.09.01.

title:ひょうひょうと麻薬
配布元:へそ様(https://t.co/ij0rBv6tkJ)
write:ハニワ

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