「あのー、どんなシチュエーションがいいとかあります?」
月が煌々と街を照らす夜。
私は人生で初めて添い寝サービスなるものを利用した。
せっかくの三連休、いざ誰かと予定を組もう!と思い立ったのが遅すぎた。
友人は誰1人として捕まらず、スケジュール帳はぽっかりと白いままだった。
それでヤケになった私は、噂に聞いた「添い寝サービス」を思い出し、勢いと思い付きで予約してしまったのだ。
その添い寝サービスを知ったのは友達と話しているネタの一つに過ぎなかった。
まさかそれを利用することになるとは、思いもしなかった。
ただ話の中で「とにかく新しい世界に入れたって感じするらしいよ」と言われたのがやけに頭の中に残っている。
そこで今夜を迎えて、今回添い寝してくれるのは宇佐美くんという男の子だった。
ある意味年齢不詳。
まるで大学生のようにも見えるけれど、その落ち着いた振る舞いは学生にか醸せないものにも思えた。
しかし部屋に招き入れて最初の言葉が、冒頭のそれだ。
どんなシチュエーション、とは。
「それは、オプション…って事ですか?」
私の質問は、まるでいやらしい大人のお店のソレと同じ。
すると宇佐美さんはその綺麗な顔を綻ばせて笑った。
「オプションっていうか、希望?みたいな感じですよ。」
彼は指折りしながら色々なシチュエーションを語る。
例えば、恋人同士でしょ。あと友達同士に、浮気関係。あと兄妹モノとか。
そういうの、希望する人いますよ。
今夜だけ彼氏になって添い寝してほしいとか。
そう語り終えると宇佐美さんは私の髪を撫でて、
どれか良いなって思うの、ありました?と優しく訊く。
ねえ、なまえさん。どうなんですか?
彼はそう付け加えた。
私は急に照れくさくなってしまって、その手を振り払うかのようにパッと下を向いてしまう。
「普通に、添い寝して貰えれば…」
「はーい。」
私は結局可愛げのない答え方をしてしまった。
それでも彼は全くそんなことは気にする素振りも見せずに、まるで猫のように身軽に布団へと向かった。
「あは、これ、いい枕じゃないですか。」
彼は私の部屋だというのに、やりたい放題に、遠慮もなく寛いでいる。
潜り込んだ布団の中で枕を弄び、あー、女の子の匂いしますね〜だなんて。
むしろ私の方が緊張しているくらいだと思う。
「ねえ、なまえさん寝ないんですか?」
「ね、寝ます!」
「じゃあ早くこっち来てくださいよ。」
まだ心の準備も整わないけれど、体は吸い寄せられるようにめくられた布団の隙間へと入ってゆく。
すっぽりと布団に覆われて、隣の宇佐美さんの体温を感じると不思議とまぶたが重くなってきた。
カチコチに緊張していた私の心も布団の中に入ってしまえばあっという間に絆されてしまった。
人の体温とお布団の力はすごい!なんて感動したけれど、そんな夢見心地な気分は宇佐美さんの声で現実側へと戻ってきた。
「なまえさん、頭上げられます?」
「?はい…」
私は素直に頭だけ軽くあげると、その隙間に宇佐美さんの腕がするりと入ってきた。
「腕枕。安心しません?」
「…すごく。」
「良かった〜。」
宇佐美さんは私の方を向き、前髪を梳くように額を撫でる。
触られたところからじわじわと熱を帯びてゆく。
「眠くなれそう?」
私は素直に頷く。
誰かと眠るってすごくいい。
宇佐美さんはそのまま手を滑らせ、ゆっくりと頭を撫でる。
つい私は夢半分のまま、このまま甘えてしまいたいと思って彼のシャツに縋り付いてしまった。
彼はそれに気付くと、声をもらして笑ってから、私の手を優しく引いた。
「腕、回していいよ。」
私の両手は優しくリードされて宇佐美さんの首元へと運ばれる。
それから彼はぎゅっと私を抱き寄せて、向かい合わせで抱き合うような体制をとった。
「今日はゆっくり寝ましょうね。」
「…はい。」
宇佐美さんのいい香りが鼻をかすめる。
彼の白い素肌と私の頬が触れ合って、そこから溶けそうになる熱い体温が伝わる。
それから暫くして、電気を消す音がした。
宇佐美さんは何か呟いたようだったけれど私は何も聞き取れないまま眠りに落ちる。
◯
「なまえさん、明日は何する日なの?」
宇佐美は照明を落としてから、ほとんど夢の中へと入っているその人へ言葉をかけた。
なまえから予約が入り、扉を開けた時から宇佐美の心は既に傾いていた。
あ、可愛いな。
ただ単純にそう思ったところから始まったものの、そこから先の仕草がどれをとっても宇佐美の心に響いたのだ。
照れて何も話せなくなるいじらしさや、撫でられると素直に安心してしまう純粋さ。
どれをとっても宇佐美の心は動かされっぱなしだった。
この人だ!
そう思った人と仲良くなりたいと思うのは変な感情ではないと確信していた。
宇佐美の目が覚めてからもその気持ちに変わりはなく、
目の前ですやすやと眠るなまえに、また恋をする。
◯
「おはようございます。よく眠れました?」
「宇佐美さん、おはようございます」
時計はまだ朝の7時を指していた。
宇佐美さんが帰るのはあと1時間後。
少しだけ寂しいな、とは思いつつ、約束は約束。
「宇佐美さん、朝はコーヒーとか…その、飲みますか?」
「いいんですか〜?」
「淹れてきますね」
私も緊張がやっと解けて、彼と少しは普通に話せるようになった。
残りはあと1時間しかないけれど、十分過ぎるくらい時間はある。
「あ、でもその前にー」
「はい?」
私がベッドから降りると、彼は後ろから覆いかぶさるようにして、優しく抱き締めた。
それが所謂バックハグだと気付くのに随分と時間がかかった。
「なまえさんって、今日は何する日なんですか?」
「え、」
昨日と同じ、宇佐美さんのいい香りが鼻を掠める。
心拍数が上がってうまく答えられない。
「予定。入ってないんですか?」
「は、はい…」
「なら僕とデートしません?」
「えっ?」
「一緒に眠れる相手って、恋人に向いてると思うんですよね」
振り返ると、宇佐美さんは近い距離でにっこりと笑ってみせた。
「それって、どういう事ですか?」
もしかしてこれは営業をかけられているのかもしれない。
そう心を戒めながら、私は質問をする。
「そのまんまの意味ですよ。
ねえ、どうせ予定が無いなら遊びに行きません?
僕行きたいところがあるんですけど。」
僕たち、きっと相性いいですよ。
ねえ、そう思いませんか?
そう言われてしまうと、うまく答えられなくて。
こういう時、どう返すのが正解なのかを教えてほしいと切に願ったけれど、彼の顔を見る限り、正解などないのかも知れないと思った。
時計はまだ、7時を少し過ぎた頃を指し示している。
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title:君は距離が近い
write:こま
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