ザンザスに取り残されたなまえは、ヴァリアー側で用意された送迎車に押し込められる。隣に座るスクアーロが相変らず口喧しく話しかけてきたが、なまえは呆然としてひとつも脳に届かなかった。
ただ、「帰るか?」という言葉にこくんと頷いた気がする。それから疲労感に包まれてシートに体を預けた。

まったく彼は嫌になるくらいに仕事が速かった。日本への航空チケットが一枚、手渡される。一週間は滞在したであろうヴァリアーの居城、吹き抜けの大広間はがらんどうとしていて妙な寂寥感を覚えた。もともと、わずかなメイドと、ふらりと帰ってくる隊員たちが通るだけにすぎない場所ではあったが……それでも、彼の姿がないことは(当たり前と言えば、当たり前だ)やはり寂しい。
あの時彼は突き放したけれど、最初に拒んでしまったのはわたしだった。マフィアとしてのザンザスに一瞬でも恐怖を感じてしまった。あれだけ、でかい口を叩いていたのに、情けないったら。

「……ふ、」

手が、唇が、震える。今まで堪えてきたような涙が、ここでようやく零れ落ちた。怖かった。でもそれ以上に、ザンザスの関心を失ったことに、別れることにショックを受けている自分がいる。それもおかしな話だ。失恋直後に拐かされた被害者が…、ストックホルム症候群よろしく犯罪者に惹かれるだなんて。あのような場面を見たというのに、どうか一目でもまたザンザスに会いたいと思っている。

所詮は夢だったのだ、となまえは結論付けた。いいではないか、一夜の夢に浮世離れした恋愛体験を得たものだ。おそらくもう二度と彼らとは会えないだろう。

(もう二度と……)

後ろ髪が引かれる思いとはこのことか。空港に着いた途端に、足が竦む。
この選択は無謀かもしれない。一時の気の迷いかもしれない。それでも、なまえはもう恋愛事で後悔はしたくなかった。航空チケットをぐしゃぐしゃに握りしめる。自然と足はバスターミナルに駈け出した。

「運転手さん!ヴァリアーの居城に戻って!」



ザンザスは窓を背にワインを傾けていた。日は傾きかけており、逢魔が時が訪れる。なまえに渡されたであろう航空チケット、日本への出発時間は17時。既に空へ飛び立ち、このイタリアから離れている頃合いである。
ただの気まぐれであったのだ、とザンザスは回顧する。面倒事ばかりに嫌気がさして、ちょうどいい暇つぶしに日本の女を拐かした。それだけ。だというのに、どうしてこうも釈然としないのであろう。

(惜しい、だと……?)

抱いたことのない感情に苛立ちが募る。思うようにならない。惜しいと思うのならば、相手が嫌がってでも、この城の奥深くに閉じ込めてしまえばいいものを。なぜ自分はそれをしないのか。

「……っ!?」

手元のワインが粉々に飛び散った。背後の窓ガラスが突き刺さるように降ってくる。素早くザンザスは態勢をを整えて、襲撃者に備えた。憤怒の炎をその手に宿す。廊下からおなじみの怒号が響いた。

(あのカス…、侵入を許しやがって)

狙撃主はおそらく森に潜んでいる。それは部下に任せておけばいい。問題なのは、城内に侵入した敵をなぜスクアーロは未だに始末出来ていないか、ということだ。

「スーツにワインが飛んだだろうが、どう落とし前をつける気だ?」

とうとう自身の部屋の前に立った男に、ザンザスは告げる。

「それは失礼した。いえね、あなたの忘れ物を見つけまして。こちらで保護したのですが……どれほどのお礼をいただけるでしょうか」

慇懃無礼な男はノックもせずに、ずかずかとザンザスの私室に上がり込む。その背後には、二人の男に両脇を抑えられたなまえが項垂れていた。


(131122)

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