潮風が優しく髪をすり抜けていく。閑静なエーゲ海に臨む住宅街の一角から見下ろせば、イタリアは美しい景色を広げた。そう、失恋の憂鬱も吹っ飛ぶくらいに。
本当ならここに来るのも彼と一緒のはずだった。それが喧嘩別れになるまで拗れ、せっかくだからとわたしは単身イタリアに乗り込んだわけである。当初は息巻いていたが、冷静になったいま虚しいばかりだ。

(あーあ、楽しい旅行になるはずだったのに)

欄干に体重を預けて観光パンフレットを開く。彼が居ないことに寂しさは拭いきれないものの、人間とは現金なもので心は自然とわくわくしてくる。どこへ行こう、あそこへ行きたい。あれこれ考えているうちに暗い影がパンフレットに落ちたことに驚いて顔を上げた。

「Ciao! Cosa stai facendo? こんなところで何しているんだい

からかうような含みのあるトーンでイタリア語を捲くし立てられる。気づけば柄の悪そうな男たちに取り囲まれていた。雰囲気からしてラテン系特有の軟派、というわけではないだろう。
嫌な予感がして後ずさろうにも背中の行き場はない。下卑た男の顔が近づいてくる。女一人だからとなめられているのだろうか。そろりと足を前にだして、狙いを定めていると

「邪魔だ、カス」

別の方向から声がかかった。それも少々言葉が悪いものの、聞きなれた日本語が。全身を黒に包んだ、長身の男がカツカツと艶とステッチの美しい靴を鳴らして男達に迫る。その異様な不機嫌のオーラに圧倒されて、男達は腰が抜けそうなくらいにたじろいだ。
男達は何度か聞き取れないほど乱雑なイタリア語を話したが、男は底冷えするほど低い声で何か言い放つと散り散りになって逃げて行った。
唖然としてその様子を眺めていると、男は次にこちらを見る。

「フン、日本人か」

小馬鹿にしたように鼻で笑い、それきり興味が失ったように背を向けた。相手は助けてくれた恩人とはいえひどくカチンとくる。

「何か文句あるの?」

売り言葉に買い言葉とはこのことだ。ひと睨みでごろつき共を追い返した男だというのに、このときのわたしはすっかり冷静さを失っていた。
ちらりと半身をこちらに向けてやはり赤い瞳で睨む男に負けじと睨み返す。しばらく沈黙の中で鬩(せめ)ぎ会いが続いたが、男は不意にぶはっと吹き出した。

「こいつァ、傑作だ!この俺に喧嘩を売ろうとは馬鹿な女もいたもんだ」

それがわたしなまえと、いずれ知ることになるボンゴレファミリー独立暗殺部隊ヴァリアーのボスであるザンザスとの出会いだった。


(110914)

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