酒樽が次々と運び込まれていき、同時に空になったものがうず高く積まれていった。なんと酒豪の多いことかと、なまえは呆気に取られて見ている。もっとも人数が多いので、それだけ回転率も早いということだがそれにしても飲むわ、飲むわ。

「なまえさん、とおっしゃいましたか?」

雰囲気だけでも酔いそうな状況でなまえは曹操と夏侯惇が飲み比べをしている傍ら、突然声をかけられた。物腰柔らかそうな男がにっこりと微笑み、酒盃を手に立っている。

「初めまして、可愛いお嬢さん。私郭奉孝と申します」
「は、初めまして」
「可憐な花のお隣は空いているかな?」
「…どうぞ」

思わず鳥肌がぞわっと立ちそうなほど、歯が浮くような台詞をすらすらという男だ。郭嘉と言えば、曹操の軍師として活躍し、かつ疫病を得て赤壁前に亡くなったと聞く。彼の死因は疫病であったが……、既に飲み比べをしている二人よりも酒を浴びるように飲んでいることを、隣の空樽が物語っていた。心なしか顔色も悪く見える。これでは体がもたないのも道理だ。

「郭嘉さん」
「ああ、思い描いた通り、君はなんて素敵な声で囁くんだろうね。もっと私の名前を呼んでほしいな」
「わたしもお話しているときはその手を止めていただきたいな〜なんて」
「そうかい?でも、どうだろう…愛らしい君と美酒に酔いしれるのも悪くはないと私は思うんだよ」

にっこりと郭嘉は笑いながら、自分の酒盃からとくとくとなまえの杯に酒をついでゆく。

(え、え?飲めと??でもこれって所謂間接ちゅーってやつでは…)

なまえは混乱しながらも、頬の筋肉を引きつらせながら無理矢理笑顔を作って郭嘉を見る。すると彼もまた表情を崩さずに酒盃を掲げた。完敗…じゃなくて、乾杯です。物言いや仕草といい、油断ならない男だとなまえはしっかり頭に彼の存在を刻み付けた。
ええい、ままよ!と腹を括って(やけっぱちでもあるが)、なまえはぐいっと杯を煽った。

「おや、よい飲みっぷりだね。ふふ、私も負けていられないな」

また並々と彼の酒盃にどっぷりと注がれていく、酒、酒、酒。この細いからだのどこにたまっていくのだろうと疑問に思うほどに。それでいてけろりと涼しい顔のまま。
ちらりとなまえが脇を見やると、既に曹操の顔は真っ赤に染まっていて、夏侯惇も負けないくらいであった。そろそろ勝敗も決するであろう。

「ね?それで君はどこから来たんだい」
「えっ……さあ、どこでしょう?」
「謎語なら私は得意だよ。そうだね、天女のように美しい君だから…仙界はどうかな」
「うーん近いような遠いような」
「そう。でも君は羽衣を失くしてしまったんだね」

どことなく憂いを含んだ笑みをふっと郭嘉に向けられて、なまえは心を見透かされているような気分になった。見えすぎているくらいに、よく気がつく人だ。考えないようにしていたことをずばり言い当てられてしまった。
この世界に来て自分は幸運ではある。曹操に拾われ、こうして食客の身分を与えられて。だけどなまえは帰れないのだ。すくなくとも今は、帰る術を知らない。

「ああ、君を困らせるつもりで言ったのではないんです。むしろ何か困ったことがあればどうぞ私を頼ってください。せっかく花のなかったこの軍に、こうして美しい方がひとときの間でも訪れてくださった。私は嬉しいんですよ」
「……郭嘉さんは優しいんですね」

酒がまわってきたせいか、うっかり涙が落ちそうなくらいに、その優しさに縋ってしまいたくなった。曹操様は優しいけど、私一人に構っていられるほど暇ではない。彼はここにいる全ての人にとってなくてはならない存在だ。だから、こうして気にかけてくれる、わたしがここにいてもいい、その言葉が少しだけ…少しだけ欲しかったのだ。

「そうだ、なまえさんさえよければ明日私の部屋にいらっしゃい。つかの間の退屈しのぎを二人でつぶしましょう」
「えーと…それは、あの、お天気がよければ中庭ででも」
「おや、つれない」

けれどもやっぱり気の抜けない人だわ、となまえは感傷を振り払った。


(120303)

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