泥だらけだった身を清めて、手触りのよい衣に袖を通した。これはもしや絹ではないかしら?改めて曹孟徳という男の財力に驚くばかりだ。当然だろう、治世の能臣、乱世の奸雄と呼ばれ、いずれ魏国の基礎を築く偉人だ。
もっともなまえはまずそのような男と接点を持ったことに驚いていた。

数日前、なまえは気づけば見知らぬ部屋にいた。
よくテレビで見るようなモンゴルの草原に広がるゲル(テント)を思わせるような一室。どうやら夜らしく視界が慣れるまでに随分時間がかかった。男がひとり、寝ている。どうしてこのような場所に?ここはどこなのか?頭はひどく混乱していたが、おそらく相手も起きればそのように思うだろう。立てかけてある剣を見てなまえはあらぬ疑いをかけられる前に外へ出ようと思った。
ところが入り口を塞ぐ布をめくったところで雨がひどく打ちつけていることを知る。これでは野たれ死ぬほうが早いのではないか。おまけに同じように幕舎が乱立しており、巡回者(見張り?)と思わしき男たちが頭が下がることに目を光らせている。すぐになまえは彼等に見つかるよりは先にこの男に事情を聞き、いやむしろ話したほうが懸命であることを悟った。

「そこにいるのは誰だ」

ぎくりとして振り返る。いつの間にか男は体を起こし、刀身を抜いていた。

「あ、あの、怪しい者ではなくて」
「……女か?」
「えと、はい。すみません」
「どうしてそこで謝る」

明らかに挙動不審ななまえが可笑しかったのか、男は笑った。場の雰囲気がいくらかやわらぎ、敵意がないことを理解してくれたらしい。お互いに自身のことを話し、確かめ合った。

「そうか、遠い異国、それも先の時代から。難儀な事になったが、なに心配せずともよい。お主ひとりくらいわしが養おう」
「本当ですか!?」
「その代わりと言ってはなんだが、ぜひ先の世の話を差し障りない程度に話して聞かせてはくれぬか」
「はい、それくらい容易いことです。お世話になります、曹操様!」
「うむ。よき返事だ」

まるで娘に接するかのように曹操は頭を撫でる。それから許チョはおるか、と呼ばいひとつ部屋をなまえに貸し与えた。後日魏の主要な武人の紹介に預かり周囲を驚かせることになる。


これが曹操となまえの事の顛末だった。それにしたって何も戦のさなかにこの時代へ落とすとは神様もひどいことをするものだわ、となまえはひとりごちた。なにしろいくら文明が早くから発達していた中国とはいえ、現代日本人にしたら不便なことがあまりにも多い。その度にホームシックに駆られたが文句を言う相手も見つからず、こうして神の采配にケチをつけるだけで終わっていた。
しかし帰る糸口がまったく見つからない以上、ここの生活に一刻早く慣れて手がかりを探していかねばならない。そのことに関して聡明で読書家の曹操様は快く許可をしてくれた。ただし三国時代(正しくは後漢末期)は戦乱の世、疲弊した国土をまずは回復しなければならない。栄えた洛陽も董卓によって火がつけられ資料も数少ないと先に言われていた。

(帰れる、のかなあ…)

これからのわが身を考えると不安なことばかりだ。
だがそれも普段着る機会のない華服に身を包んで、いくらか気分がよくなった。単純と言われようが、少なからずなまえは未知の経験に対して興奮せずにはいられなかった。なにしろここへ来た理由にも心当たりが無いわけでもない。なまえは三国志がひどく好きだった。中国の文化に対しても憧れがある。自分がまさに物語の主人公のようにタイムスリップもしくはトリップを成したことは夢のようである。

「準備は出来たか」
「はい」
「急ぐぞ、そろそろ宴が始まる」

廊下に出ると曹丕が待ち構えていた。彼が幹事のようで、忙しい合間を縫ってわたしのことまで気にかけて来てくれたらしい。女中や他の者に任せればいいものを律儀な人である。なまえは早くもこの曹丕という男に好感を抱いていた。一見冷たいように見えるが、気配りもでき、配慮も隅々にまで行き渡っている。
さすが文帝、と彼の未来の姿を想像して微笑んだ。

「? 何を笑っている」
「い、いえ、何でもありません」
「……おかしなやつだ」


(111009)

本当はヒロインに設定付けたりするのは抵抗感があったのですが、これを読んでくださる時点で勝手に三国志好きと解釈させていただきました。

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