ある夏の、昼過ぎのセキチクシティ。たくさんの人が集まるサファリゾーンの入り口からは少し離れた茂みの中に、一人の男の子が、片手には体に不釣り合いな大きなスケッチブックを抱え、もう片手には使いすぎて短くなった鉛筆を持って、座り込んでいた。タロという名前のその男の子は、サファリゾーンの中が覗けるその場所が大好きだった。毎年、年に何度か家族でセキチクの親戚の家に遊びに来るタロの、一番の楽しみがそれだった。一週間もない滞在の間、タロは飽きることなく、ほとんど毎日通っていたので、サファリゾーンのお兄さんやお姉さんとも知り合いになっていた。タロの描く絵は、子供の絵にしてはかなりのもので、しかし親が何度言ってもおかしな色でばかり描きたがるのだった。タロは絵に描くことで、世界をいろんな色で見ていた。描いているうちに、頭の中でそれが本物とは違う色に色付いていくのだ。それをそのまま形にするのが、タロは大好きだった。

ガサガサ、という音をタロが聞いたのは、絵を描きはじめて数時間が経ってからだった。集中が途切れたタロは、鉛筆をしまってスケッチブックを抱えると、そっと立ち上がった。少しの感覚をおきつつ聞こえる音に、恐る恐る近寄ってみる。まず最初に、サファリゾーンの破れた金網を見付け、はっとした。タロは7歳で、まだ自分のポケモンを持っていない。もしポケモンと遭遇したら危険だ。しかし好奇心が勝って、タロはそのまま進み、金網の破れたところの草むらを掻き分けた。そこには、いつも眺めているのよりも一回り小さい、一匹の子供のケンタロスがいた。傷だらけで、痛そうに身をよじる度に、草むらがガサガサいっていた。
「…ケンタロス?」
タロが話しかけると、ケンタロスはビクッとタロの方を向いて威嚇したが、動く体力はもう残っていなかった。タロはゆっくりとケンタロスに近付いて、顔を寄せた。
「お前も子供のケンタロスなんだ」
「…近寄るな」
「ひどいケガしてるね。どうしたの?」
「聞いてるのか」
「放っておけないだろ。怖がらなくていいから」
ケンタロスは、睨みつけていた視線をタロから外し、そっぽを向いた。
「…野生のポケモンにやられた」
「あそこの金網を、自分で破って出てきたの?」
「ちがう。前から開いてて、ずっと外の世界に出てみたいと思ってて…今日、やっと勇気を出して出てみたら、…」
また痛そうに顔を歪めたケンタロス。タロは優しくそのなめらかな毛を撫でてやってから、立ち上がった。
「待ってて!」
「え…?」
タロは走って一番近くのフレンドリーショップまで行くと、自分のお小遣ときずぐすりの棚を見比べた。いいきずぐすりを買うには、お金が足りない。タロはきずぐすりを買うと、すぐにまたケンタロスの元に走った。ケンタロスはまだ同じ場所に倒れていた。
「ケンタロス!きずぐすりだぞ!」
ケンタロスは視線だけタロの方に向けたが、動かなかった。タロが急いできずぐすりを取り出し、治療する間も、抵抗しなかった。
「ごめんな、これしかしてやれないよ」
「…ありがとう」
「お前のお母さんやお父さんが心配してないかな」
「父さんも母さんもトレーナーと一緒に行って、もうここにはいないんだ」
「え…」
「ここではそんなの普通だから気にしてない。おれもいつか、トレーナーと旅に行くんだ」
「そっか…」
タロはケンタロスのたっぷりとした毛にもたれ掛かった。ふかふかで不思議な安心感があった。そのまましばらく黙ったまま時間が過ぎ、やがて空が赤く染まってきた頃、ケンタロスがぽつりと呟いた。
「お前は家に帰らないのか」
「だって。そしたら、ケンタロスがここで一匹になっちゃうだろ。置いていけないよ」
「でも、お前には、心配する親がいる」
「でも…でも、」
なんだか悲しくなってきて、タロは泣き出した。ケンタロスは慌てたが、タロの泣き声はどんどん大きくなり、ケンタロスの声は届かなかった。夕陽はどんどん落ちて、辺りは暗くなっていく。しばらくタロの声だけが響いていた中に、ガサガサという足音と、タロを呼ぶ声が聞こえたのは、星や月が昇ってからだった。耳のいいケンタロスが先に気付いて、体を震わせてタロに合図する。
「誰かが呼んでるぞ。お前じゃないのか」
「え…?」
タロが泣き止んで耳を澄ませば、確かにそれはタロの両親の声で、草むらの向こうではキラキラと光が揺れていた。やがて草むらを掻き分けて、タロの父親の相棒であるライチュウが現れた。フラッシュをしていたので、辺りは一気に明るくなり、涙でぐしゃぐしゃの顔のタロと、不器用に治療されたケンタロスがよく見えるようになった。ライチュウの後からすぐに両親とサファリゾーンの従業員がやって来て、タロを見ると安堵の表情を浮かべた。
「タロ…!こんな時間まで帰ってこなくて心配したのよ」
「おれ、このケガしたケンタロスを放っておけなくて…!」
金網と治療の跡を見てすぐに状況を理解した従業員のお兄さんが、ポケモンセンターに連れて行くためにボールを取り出したが、ケンタロスは抵抗して入ろうとしない。弱ってるのに、おかしいな、と首を傾げるお兄さんに、タロがボールを貸して欲しいとせがんだ。
「タロ。お前はまだ7歳だろう。自分のポケモンを持つには早い」
「でも、おれこのケンタロスと仲良くなったんだ。きっとおれなら…」
食い下がるタロに父親が折れて、タロがボールを投げると、ケンタロスはすぐにボールにおさまった。急いでポケモンセンターに向かい、ボールをジョーイさんに預ける。
「ケンタロスは、大丈夫かな」
「もう大丈夫よ。もう遅いから、今日は家に帰りましょう」
「やだ、ケンタロスがよくなるまで、おれここにいたい!」
「タロ…」
「仕方ないな」
タロはポケモンセンターのソファーに、両親に挟まれて座った。両手をぎゅっと握って、不安そうな表情を隠さずに待っていたが、やがて眠くなって、ウトウトとし始めた。両親はタロと一緒に待つことに決めたので、もう何も言わなかった。タロは眠気を覚まそうと何度も首を振ったりしたが、結局最後は睡魔に負けて、母親にもたれ掛かって眠った。

翌朝、タロは起きてすぐの少しの間だけぼうっとしていたが、ケンタロスのことを思い出してはっと目覚めた。
「お母さん、」
「おはようタロ」
「ケンタロスは?」
タロの隣には母親だけがいて、きょろきょろすると、奥から歩いて来る父親とジョーイさんとサファリゾーンのお兄さんが見えた。
「タロ、起きたか」
「お父さん!ねえケンタロスは、」
「ケンタロスは元気になったぞ、良かったなタロ」
ジョーイさんの差し出したボールのスイッチを押すと、すっかり傷も癒えて元気になったケンタロスが飛び出した。タロが抱き着くと、ケンタロスも嬉しそうに体を擦り付けた。そんな様子を見て、従業員のお兄さんは微笑む。
「タロくん、昨日はそのケンタロスを助けてくれてありがとう。ケンタロスも君にすごく懐いているし、もし良かったら、そのケンタロスを貰ってくれないかな」
「え…いいの?」
「きっとケンタロスもそれが一番幸せだろう。そのケンタロスは、好奇心が旺盛で、ずっと旅をするのに憧れてたんだ。タロくんが大きくなったら、そのケンタロスを連れていってあげて欲しい」
「わかった!絶対にそうする!ありがとう、お兄さん」
「良かったな、タロ」
「それならタロ、その子に名前をつけてあげないとね」
「名前?」
嬉しそうに揺れるケンタロスの尻尾にじゃれていたタロが、顔を上げる。
「そう、名前」
「うーん…じゃあ、ウシオ!」
「う…ウシオ?」
「そう、牛の男の子だから!ほら、ウシオも嬉しそう」
ケンタロスはますます尻尾を振っていた。その場にいた大人達は苦笑いだったが、タロとケンタロス、ウシオは幸せそうだった。
「ウシオ、これからは俺が、お前を守ってやるからな!」





「ん、ん…」
「起きたか、タロ」
「ああ…ウシオか。今、すげー懐かしい夢見てたよ…」
「懐かしい夢?」
「ウシオと会った日の、夢」
ここは、カムパネルラの中のリラックスエリア。タロは一度大きく伸びをすると、ベッドに腰掛けてウシオの体を撫でた。
「珍しくグルじゃなくてお前を出してたせいかな」
「さあな」
「あん時はまだウシオも可愛かったよなー!」
「タロこそ、あの時はまだ真っさらでいい子だったのにな」
「俺は今もいい子だっつうの」
「どこが」
ウシオが呆れ顔でぷいっとするのを見て、タロは楽しそうに笑った。
「んー、一眠りしたら元気出た。バトルしたい気分だな!」
「俺も」
「おし!じゃあ、だれか相手してくれる人探しに行くか!誰がいるかな」
「格闘使いは勘弁な」
「贅沢言うなよ!行くぞ!」
タロは、だいぶ古くなったボールを掴むとウシオを戻し、リラックスエリアを後にした。








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