「おーい、静雄。信号変わってるぞ」
「えっ」

 ふと名前を呼ばれて我に返ると、わらわらと行き交う人の流れの中に、上司であるトムさんの姿を見つけた。

「あ――すいません。ボーっとしてて」

 慌てて駆け寄れば、トムさんはふっと優しく笑い、俺の肩に手を置く。

「そんな緊張すんなって。こないだの事はちゃんと話ついてんだからよ」
「……でも、迷惑かけた事には変わりないっすから」
「そう思うなら、これ以上迷惑をかけないようにすりゃあいい」
「そう、っすね」
「前回のはほら、アレだ。あのゆとりトリオが、ちょっと酷かったせいもあるだろ――って、信号もう点滅してんのか!静雄、急げ急げ」

 トムさんは俺の肩から手を離すと、ここ短すぎだろ。と言いながら先に走りだした。俺も急いで追い掛けるが、気持ちは重いままだった。



家族の皆さん、今日も俺は真面目に働いてます。



 俺、平和島静雄の仕事は《借金の取り立て》だ。正確には《借金の取り立てをしているトムさんの用心棒》なのかも知れねぇが、その辺りはどういう契約になっているか忘れた。
 とにかく。
 俺は毎日、トムさんと共に出会い系だか何だかの支払いをしてない奴の所へ行き、必要な金を貰ってくる――という仕事をしてる。
 一般的にはこういうな仕事は、あまりマトモな部類ではないらしい。でも、トムさんはカッコいい男の見本のような人だし、事務所の人たちも皆いい人だし、社長は俺が壊したものの弁償やらトラブルの和解やらを毎回してくれて、散々迷惑をかけているにも関わらず今でも使っていてくれてるし、俺には勿体ないくらいのいい職場だ。
 そのおかげもあって、もう四、五年この仕事を続けている。
 そして今日も、俺は真面目に仕事をするつもりだ。



 今日最初の仕事場はゲームセンターだった。前にこの店で取り立てをした際、色々あって色々壊してしまった為、何があっても我慢しようと決め来た。

「最近のゲーセンってのは綺麗なモンだよなあ」

 店内に入るなり、トムさんはそう言って辺りを見回した。
 俺もなんとなく周囲に目をやれば、UFOキャッチャーのガラスにはっきりと自分の姿が映っている。
 なるほど、確かに綺麗に掃除されてんな。

「俺らがガキの頃なんて、床にガムだの煙草だのわんさか落ちてたよなあ」

 トムさんは懐から紙を出して、回収予定者の名前を確認している。
 喋りながらもしっかりとやるべき事をしている姿は、いつも見習わなくてはと思う。

「俺、あんまゲーセンとか行ったことないんで分かんないっす」
「そうなのか?」
「なんか、親から貰った小遣いをゲーセンで使うのが、もったいないっていうか悪い気がして。だからあいつ追っ掛けて――」

 と、そこまで言って、自分でしまったと思った。
 この世で一番思い出したくない顔を思い出してしまった。思い出した瞬間全身に怒りが溢れてくる。
 だが、ダメだ。たかがノミ蟲のせいでトムさんや会社に迷惑をかけるわけにはいかねぇ。落ち着け、自分。死ね、ノミ蟲。

「? どうした、静雄?」

 俺が急に黙ったためか、トムさんが不思議そうな顔でこちらを見た。
 すると、俺の向こう側に何かを見つけたらしく「おっ」と小さく声を上げる。

「あいつだな」

 振り返ると、たくさん並んだプリクラ機の一つに、男が一人で入ろうとしていた。

「男一人でプリクラ撮るとは、猛者だな」
「そうなんすか?」
「いや、よく分かんねぇけどなんとなく」

 そこから回収までは早かった。男がプリクラ機に入る前にトムさんが声をかけ、いつも通りの簡潔な説明をする。男は拍子抜けするくらいすんなりと金を払った。
 これで、今日一つ目の仕事が無事に終わった。
 はずだった。



「あれ? お前、ココのどうした?」

 ゲーセンを出て間もなく、トムさんが驚いたような顔で自分のネクタイの結び目あたりを指差した。
 何のことはよく分からず自分の首の辺りを触ってみる。

「あ――」

 いつもはある感触がねぇ。目で確認するとやっぱり、蝶ネクタイが無くなっていた。

「横断歩道渡ってた時にはしてたよな」
「ゲーセン入ったばっかん時も、してました」
「となると、店ん中か」

 自分で買った物ならいい。だが、これは弟から貰った大事な服だ。蝶ネクタイ一つといえども無くしたくない。

「すいません。ちょっと探してきていいっすか」
「一緒に探すぞ?」
「いえ、大丈夫っす。そんな店ん中移動してないっすから」

 すぐ戻ります。と言い残し俺はゲーセンへ走った。
 幸いにも、蝶ネクタイはさっき取り立てをしたプリクラ機の近くに落ちていた。
 ホッとしつつ手を伸ばす。
 何故か上手く掴めなかった。

「あれ」

 もう一度手を伸ばす。
 掴みそこねる。

「ぁあ?」

 伸ばす。取れない。伸ばす。取れない。

「………………」

 伸ばす。取れない。伸ばす。取れない。

「ぁああぁああ!うぜぇぇぇぇ!!」

 もう床ごと掴む勢いで手を伸ばそうとしたが、前にここで暴れた事を思い出しハッとなって手が止まる。
 その瞬間、どこからともなく現われた手が俺の腕を掴んだ。

「!」

 そのままグイッと引っ張られ、力を抜いていた身体は簡単に持っていかれた。顔面に何か、硬い布のようなモノかまとわりつく。それが退いたかと思えば、サングラス越しにも眩しすぎる光が目に入った。思わず目を瞑るのと同時に、また身体が引っ張られ、何かの上に座る形で尻餅をついた後やっと目を開けると、

「よーうこそ。おとぎの国へ」

 白すぎる空間の中で、黒すぎる物体が両手を広げていた。

「なんていうのは嘘なんだけどさ。シズちゃん、ここどこだか分かる?」
「てめぇか臨也。さっきから俺がネクタイ拾うの、邪魔してたのはよぉ」
「うんまぁ、そうなんだけど。俺の質問は無視?それとも分かんなかった?まあ、君みたいな化け物と一緒にプリクラ撮ってくれる友達なんていないだろうから、分からなくてもしょうがないか」
「うるせぇっ!!さっさと返しやがれっ!」

 自分が座っていた何か――どうやらソファーだったらしい――でぶん殴ってやろうと手を掛ければ、臨也はポケットから俺の蝶ネクタイを出し、あろうことか上に向かって放り投げた。

「てめっ」

 顔を上げれば強すぎる白い光。
 目が眩み束の間、蝶ネクタイを見失う。
 床に何かが落ちる音して、落としてしまっただと気付き顔を下げれば、柔らかいものが唇に触れた。

「んっ――」

 何だ何だと考えているうちにと胸のあたりを強く押され、混乱と動揺で呆気なくバランスを崩した俺は再びソファーへ尻餅をついてしまった。立ち上がろうと身体を動かす間もなく押さえ付けられ、唇に同じ感触。ぬるりとしたモノが咥内へと入ってきて咄嗟に舌で押し返そうとすると、逆に絡めとられてしまった。

「っん、ふっ――は、ふぁ、ん、ぁっ」

 逃げようすれば臨也はそれを阻止するべくより強く舌を絡めてくる。それでもなんとか離れようと試みるがそれはただ余計に互いの動きを激しくしただけで、キラキラした白い空間に卑猥な水音が響いた。

(くっそ。離れろっ)

 だんだん頭がぼぅとしてきて抵抗しようと臨也の肩を掴んだ。だが投げても突き飛ばしても機械ごと破壊してしまいそうな気がして、次の動作を躊躇ってしまう。
 そうこう迷っているうちに、臨也がやっとのことで身を離した。
 しかしまたすぐに顔を近付けてきたかと思うと、俺の大嫌いな人を見下した薄汚い笑みをつくり、

「そうだよね。俺を突き飛ばしたりしたら、機械まで壊しちゃうよね」

 そう耳元で囁いた。

「まして俺を殺したら器物破損以上の大問題。君の上司や雇い主には、とんでもなく迷惑がかかるだろうね」
「て、めぇ――っ、ふぁっ!」

 ねちゃ――と音を立てて耳の裏を舐められ、自分でも気持ちわるいほどの高い声が出た。手で口を塞ごうとするが、それすらも臨也によって簡単に阻まれる。

「ねぇ、シズちゃん。プリクラ撮った事ないんでしょ。撮り方教えてあげようか?」

 耳元で喋りながら、臨也は執拗に耳のあたりを音を立てて舐め回す。

「い、いいっ、っん――ぁっ、やめ、ろっ」
「知ってる?最近のプリクラってデータ送信できるんだよ。まあ、便利には便利なんだろうけどさ。俺から言わせれば、ただ個人情報晒してるだけだよね」
「ひぅっ、んっ――や、いっ、ざや――はっ、ふぁっ!」

 舌はそのまま首筋を伝ってゆっくりと下りていき、臨也の片手がシャツのボタンに掛かった。

「や、めっろ」
「折角だからさぁ、シズちゃんの個人情報も晒しちゃおっか。とびきり恥ずかしいヤツ」

 ボタンがベストの辺りまで外されると、冷たい手がすっと服の中に入ってきた。あまりの冷たさにまた声を上げそうになる。
 その時。遠くから聞き覚えのある声がした。

「静雄ー」
「!」
「あれれ。もう飼い主登場? これからがいいところなのに――って、ん? シズちゃん? 何で俺の胸ぐら掴んで――ぶふっ!!」

 ドサッと音がしてノミ蟲が床に倒れた。正確には俺が頭突きをしてノミ蟲を倒した。

「今日はこれで勘弁してやる。でも次会ったら、ぜってぇ殺すからなっ!!」

 足元の蝶ネクタイを拾い、ボタンを直し、正しい位置に装着する。
 “折角だから”ノミ蟲の個人情報を晒してやろうかと思ったが、使い方がまったく分からなかったからやめた。プリクラ機の中で男一人で伸びてるのを目撃されるだけでも、十分晒し者だろう。よく分かんねぇけど。
 俺はプリクラ機を出た。




「トムさんっ」
「おー、静雄。どうだ、ネクタイ見つかったか?」

 間もなく、俺はトムさんと合流した。

「はい。機械の間に挟まってたんで、なかなか取れなくて。すいませんでした。すぐ戻るって言ったのに」
「いや、気にすんな。よかったな見つかって。じゃ、次の仕事に行くか」
「はいっ」






家族の皆さん、朝っぱらからノミ蟲に邪魔をされましたが、今日も俺は真面目に働いてます。


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