中学生正臣と高校生静雄
あの日、少年はたぶん恋をした。
「しーずーおーさーん」
「おう、悪いな待たせた」
この河原で。河原の上に少年がいて下に彼がいた。
今とは反対。
彼はしっかりとした足取りで斜面を下りる。あの日の少年のように滑って転がり落ちたりはしない。
「いや、全然待ってないっすよ。静雄さんが来るまでに、昨日出た数学と英語の課題くらいしか出来なかったし」
「お前いつからいたんだ?」
「…えっと、午前中から」
「午前中って。待ち合わせ三時だぞ」
だって家でなんて待ってられなかったから。
そんな事をさらりと言えるほど少年は大人ではなく、でも無邪気に言えたこども時代は少し前に過ぎてしまった。
だから嘘をつく。嘘みたいに真っ青に晴れた空の下で。
「天気のいい休日には外で宿題をする。そんな中学生って爽やかでモテそうじゃないっすか?」
あの日は今日と違って雨だった。
雨は夏の終息をいつまでも寂しがって降り続いているようだったし、まだまだ夏の火照りが抜けない地上を冷ます為に降り続いているようでもあった。
そんな雨の中に、少年は自分よりも少しだけ年上の少年を見つけた。
『おい、そこのお前。今時間あるか?』
その年上の少年は喧嘩が強くて有名だった。
『え…俺?』
荒れている事で有名な高校で一番強いと。
この街でも一番強いと。
化け物。怪物。破壊神。歩く兵器。危険で恐怖や警戒を誘う名ばかりが彼に付けられていた。
『ちょっと下りてきて、一つ頼まれてくれねえか?』
だから少年も彼をとんでもなく怖くてヤバイ奴だと信じ込んでいた。
でも違った。
少年は見た。
ベタな青春漫画みたいな場面を。雨に濡れる捨て犬を拾おうとしている彼を。
『な、なんだよ』
『こいつを貰ってくんねえんか?』
間もなく、少年は水浸しの斜面で少々デンジャラスな天然ウォータースライダーを体験した。今ではいい思い出、に分類するかどうかはまだ考え中。
「――田。おい、紀田」
「え?」
「どうしたぼーっとして」
近付けられた顔。恥ずかしさに思わず顔を背ける。それがまた恥ずかしくて黙る。
「……お、俺そんなぼーっとしてた?」
沈黙に耐えられなくて喋りだす。何故かそれまでもが恥ずかしくなってくる。
「してましたか。年上には敬語使えつっただろ」
「さ、最初会った時は何も言わなかったじゃないっすか」
「んな事いちいち言ってる時間も惜しかったんだよ。ずぶ濡れのやつをなんとかしなきゃいけなかったからな」
それって犬の事?それとももしかして…いやいや、そんな事は。でも…。
悩み深き少年は動物の吠える声によって現実へ引き戻される。
「お、来たぞ」
河原の上にリードに繋がれたあの日の犬が見えた。飛び跳ね元気に吠えている。実に立派なシベリアンハスキー。
「今日も元気そうでなによりだな」
今年の夏最後のウォータースライダーの後、幸いにも無傷だった少年に彼は宣言通り一つ頼み事をした。自分の傘を貰ってくれないか、と。
『なんで、傘を?』
『この馬鹿でけぇ犬運ぶのに邪魔なんだよ。だからってこの辺に捨てるわけにはいかないだろ』
『いらない』
『んな事分かってる。だから頼んでんだよ』
結果として手ぶらだった少年は傘を貰い、タオルまで貰い、その傘を差しそのタオルに包まって帰った。
少年はたぶん、そのあたりで恋に落ちた。
新しい飼い主の手を離れた犬が、斜面を勢い良く駆け下りてくる。彼は突進に近いそれを軽々と受けとめ、まるで赤子をあやすかのように青空に向かって持ち上げた。
そして片手であっさりと馬鹿でけぇ犬を抱き抱えた。
「あの、静雄さんっ」
「ん?」
いつの日か、少年は恋をした。
「す、」
「す?」
「すすっ、す」
「すす?こいつに煤でも付いてんのか?」
その日の雨は、生まれて初めて大事な物を盗まれた少年の涙を隠そうとして降っていたようで、そんな少年が抱いた激しい怒りを冷ます為に降っていたようでもあった。
「好きです!」
この日、少年はたぶん恋に気付いた。
「静雄さんが…、拾ったその犬が!」
本当によく晴れた秋の日だった。
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番長キャラが雨の中大型のシェパードとか拾うのはギャップ萌えになるのか。