「ねえ、幽君。俺を殺さない?」
軽い口調。ありきたりな薄ら笑い。
見た目におかしなところはなく、雰囲気に異変は感ぜられない。
「このナイフで心臓をひと突き。憎い分だけメッタ刺しにしてもいい。勿論、刺殺に拘る必要はない。君の好きなように殺してくれればいい。よく言う、煮るなり焼くなりお好きにどうぞってやつだ」
男はくるくるナイフを回しながら、ぺらぺら言葉を舞わした。テーブルを挟んで向かい合わせ。この距離は近いのか遠いのか。
「俺は、君になら殺されてあげてもいいと思ってる。そして君は、俺だけは殺したいと思っている。需要と供給は綺麗に一致してるんだ。ゴーサインを出すのに迷う要素なんてどこにもない。もしあったとしても、双方が得られる利益の前ではそんなの些細な問題でしかないさ」
特別そういう場所でもないごく普通のバーでこんな話をするのは、保身なのか誘導なのか。
「俺を殺せば君は、大好きな兄に平和で静かな日々をプレゼントする事できる。加えて、自分のせいで弟に殺人を犯させたという負い目を彼に与え、一生涯彼の全てを君に縛り付ける事ができる」
ナイフを回すのを止めた男は、テーブルの真ん中に片手を乗せた。青白く見えるのは照明のせいか、男自身が原因か。ひらりとその手が翻り、掌が上を向く。ナイフの切っ先が一番肉の厚い部分に埋まっていく。
「俺は俺で、シズちゃんが望んだ本当の意味での平和で静かな生活を一生涯送れないようにできて、俺の事を死ぬまで恨んで恨んで一日たりとも忘れられないようにできる」
ぶつ、と皮膚が破れる音がした気がした。
「まあ、君は犯罪者になって、俺は死体になっちゃうけど。大した事じゃないよね?」
「双方の利益の矛盾も、大した事ではないと?」
「そうだね。些細な問題にもならない」
薄ら笑いの口がさらに割けた。
白い手はまだ肉を裂き続ける。
さあ君も一緒に人生棒に振ってみないか?