声が聞こえる。
 ひとつは聞き慣れた男の声。もうひとつはまったく知らない男の声。いや、ひとつ目の声も聞き慣れているとは言えないか。

「ごめんシズちゃん。急に人が来ることになって。ちょっと、上行っててもらってもいいかな?」

 知らない男が来る直前、自分にそう言ったあいつの声と今男と話しているあいつの声は違う。
 別に自惚れてるわけじゃねえ。
 いや、自惚れてるのか。
 上に行け。つまり二階の寝室に行ってろと言われたワケだが、何だかすぐ行く気にはなれなかった。幸い、この事務所は吹き抜けになっている。二階の廊下にしゃがんでいれば、下から俺の姿は見えず、且つ下の会話を聞くことができる。
 盗み聞きなんて悪趣味にもほどがある。バツの悪さを紛らわそうと、持っていたプラスチックのスプーンを咥えて噛んだ。頭を冷やそうと、「これでも食べてて」と渡されたアイスを額にあてた。

「冷てえ」

 気持ち良さに自然と目蓋が降り、視覚が休止をした事で聴覚が澄まされ、下の会話がよく聞こえた。だが盗み聞きするつもりだったそれは、俺には何かの呪文にしか聞こえなかった。
 ただ、流れるようなテノールの声と重みのある低い声が耳に心地いい。気が付けばうつらうつら。

「ん…んぅ」

 意識が遠退いていく。なのに声はやたらと頭の中に響いて――




 人が倒れていた。否、寝ていた。
 事務所の二階の、それも廊下の途中で。人が、シズちゃんが寝ていた。
 横にした身体を折り曲げ、少しだけ握った両の手を顔の前に置き、微妙に開いた口にスプーンを引っ掛け、安らかな顔で健やかな寝息を立てて寝ていた。無意識に外したのか、トレードマークのサングラスが手のすぐ近くに転がっている。そして何故か、顔と手の間に俺が渡したアイスが置かれていた。

「これは…!」

 あまりの不意打ちと絶景に思わず後退。危うく手に持った自分用のアイスを落とすところだった。中々帰らなかった客人に苛ついていた気持ちは一瞬で消失。

「まさか、ずっとここに?」

 音を立てないように近づき、そっとシズちゃんの顔の近くにあるアイスを取る。容器の蓋は開けられておらず、軽く握れば中身は残念なまでにぐにゅぐにゅだった。

「なんで…これシズちゃんが特に好きなアイスなのに…」

 なんで食べなかったの?
 なんで食べずにずっとこんな所にいたの?
 まさか、なんて考えて、すぐに違うと頭を振る。それはさすがに自惚れすぎだ。
 シズちゃんが客に嫉妬した、なんて。

「あり得ないあり得ない」

 なら彼はここで何をしていたんだ?

「……ん、ぅ」
「あ、起きたのかな」
「…ざ、ゃ」
「ん?」

 スプーンを引っ掛けたままうにゃうにゃ動きだした口に、耳を近付けてみた。

「ひざや…の、ほえ…」

 俺の声?
 ちょっと失礼して、口から垂れ下がっているスプーンを外させてもらう。

「俺……の、こえ」

 あれ、俺口に出してたのかな。
 ふと顔を上げてシズちゃんを見やれば、瞬間、シズちゃんがふにゃりと微笑んだ。

「え?」
「俺、だけの…臨也の声、だ…」

 気が付けば俺は、一階の隅で手で口を押さえてしゃがみ込んでいた。




自惚れ日和

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ただのゲロ甘です。
『たぶん偶然だと思う』の副産物。

2010.8.10

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