球型の外のヒトよ、願わくば憐れな私を殺して下さい
「殺しあいをして下さい」
小さな部屋。辛気臭いとしか表現しようがない住居。吹けば飛ぶようなボロい建物。その中で世界が音を立てる。
偽物の世界。表面だけの世界。文房具屋で一万円もあれば買えてしまう世界。
からからからから、音を立てる。
縮められた世界は文字通り、彼によって回されていた。
「――え?」
世界が停止。彼も停止。そしてこちらを凝視。
「今…なんつった?」
恐怖。不安。期待。サングラスなんて余計な壁がないから、瞳の移ろいがよく分かった。二つの瞳は揺れながらも真直ぐにこちらを見ている。
「僕と殺しあいをして下さい。静雄さん」
「ころし、あい…?」
まるで初めて聞いた単語を繰り返すようなぎこちなさで、文字という名の音を絞りだす口を、もう片方の口が塞いで静止。
離れる身体。開け放した窓から入り込んできた風がその間を擦り抜けた。
からからから、世界が鳴った。
「何かあったのか?」
「何もない日なんてないですよ。気が付かないだけで、毎日何かしら起きてるんです」
「何かあったんだな」
「だから、あったって言ってるじゃないですか」
「竜ヶ……帝人、どうした?」
風が吹き抜ける。
二人の間を。世界を鳴らしながら。
引き裂くように。掻き回すように。
彼は思う。
相手の瞳に映る自分の姿は歪で、頭でっかちで、今の自分そのもののよう。
これが彼の中に引き込まれてしまった自分の末路。
その自分が叫んでいる。もう、終わりにしたいと。
あいしている。だからこそ傍にはいられない。
あなたは平穏を求め、僕は変動を求めているから。
あなたの平穏は壊せない。
だけど僕は変動を止めたくない。
哀しい想いは悲しい願いになった。
「一度だけでいいんです。たった一度だけ」
あなたの平穏を僕の変動の為に壊して下さい。
暴力を知らない二つの手が幾度となく暴力を受けた頬に添えられ、撫で、白い首を掴んだ。
暴力しか知らない二つの手がゆっくりと持ち上がり、力が込められた。
「俺は何も壊さねぇぞ」
めりめりと音を立てて、世界が潰れていった。
「消えてなくなっちまいたいと思うなら、そうしてやる。だがな、壊してなくすようなやり方はしねぇ」
ひしゃげた地球儀を再び床に置いた手は、次に、触れれば折れてしまいそうな細い首を掴んだ。
彼は思う。
相手の瞳に映る自分の姿は歪で、伸びた手はまるで自分自身の首を絞めているよう。
これが彼の見ているもの。求めているもの。
彼は、彼自身と殺しあいをしようとしている。
あいしてる。
だから傍にいさせてくれ。
俺はお前を殺さない。
お前にお前を殺させはしない。
俺の目に映る恋人よ、いくら望んだって、その形を壊してなんかやらねえから。
「俺は溶かすだけだ」
「溶かす?」
「ああ。何か気に入らねえ事があるなら、俺が溶かしてやる」
「壊すのと何が違うんですか?」
「壊した物を直しても元と同じ姿に戻るだけだ。それじゃあ、堂々巡りだろ。でも溶けた物はいくらでも好きなように固める事ができる」
相手が喋るたびに手に振動が伝わる。喋っていない時には鼓動が伝わる。
止めて。
震えない喉から掌へ、声が流れた気がした。
「そうすりゃあ、何も壊さずにすむ」
「そんなのただの言葉遊びですよ」
「それでも…お前を救ってやる事くらいはできる」
風が吹き抜ける。
それでも二人は離れない。世界はもう鳴らない。
一粒の水滴をさらって、風はどこかに消えてなくなった。
首を掴む手を離し、首に腕を絡めたのは、どちらが先だったか。
「だったらいっそ、」
世界のすべてを溶かせばいい
(悲しい願いと共に世界を溶かして、またひとのかたちを取り戻して…)
哀願人形様へ提出させていただきました
2010.8.07