※はいにょー注意



「やっべ。忘れてた」

 清らかな晴天の下。
 爽やかな木々の間。
 そこに位置するのはも清らかさとも爽やかさとも無縁の公衆便所で、その中いるのは金髪バーテン服の青年が一人。

「あー、どうすっかな。結構困ったぞ、これは」

 片手で片頬をパシリと叩いたのは、窮地に立たされた自身への気合い注入なのだろうか。
 しかしながら、青年の表情と口調はさして困っている風ではない。寧ろ落ち着き払っているように、見える。
 だが口から出る言葉は、

「困った。ああ、困ったな」

 の一点張りだった。

「どうすっかなぁ。一応トムさんに連絡入れたほうがいいよな」

 青年の目の前――というよりも眼下に広がっている――というよりも散らかっているのは、大小様々の白い陶器の破片。
 有体に言えば、便器の残骸ども。

「困った。この間ここで変な野郎ぶっ飛ばしたのすっかり忘れてた」

 そしてその光景を作ったのは他でもない、青年本人だった。

「どっか近くに便所あったか?くっそ、あの野郎がちょこまか逃げるせいで全部壊しちまったんだよな」

 その時の事を思い出して苛立ちのボルテージが上がったのか、青年はギリリと歯を鳴らすと瓦礫の山を踏み潰さんと片足を上げる。
 が、

「――――ッ!」

 突然身体をぶるりと震わせたかと思うと、片足を上げたまま膝から崩れるという何とも不安定な態勢で、床に倒れていった。

「んっ――や、ば」

 咄嗟に食い縛った歯の隙間から声が洩れる。無意識に両手が身体の前に伸び、床との衝突に気持ちだけでも構えようとして、

「オー、アブナーイ!」

 何かに身体を支えられた。

「え――あ、」
「シズーオ!貧血カ?目眩カ?空腹は目眩起コスヨー!お昼ご飯チャント食ベタカー?」
「サイモン…?」
「空腹ナラ、ウチの店来るとイイヨ!目眩モ貧血モ金欠ト引き替えにオサラバネ!」

 一方的且つ理不尽な宣伝をある意味朗々と語るのは、青年の身体を支える白い割烹着姿の黒人――サイモンであった。

「お前…なんで」
「お得意の上客サマの所、出前行ッテタヨ」
「なんかそれ、間違ってないか…?」
「間違っても、上客サマはカミサマだからダイジョーウブ!」

 いや、何が大丈夫なんだよ。そう言おうと口を開く青年こと平和島静雄。しかし半ば開いた口から出たのは言葉ではなく、呻き声だった。

「――ん、うぁ」

 同時に、未だ中途半端な格好で支えられている身体が大きく震えた。

(やべぇ…!)

 受けとめられる直前に両手を挟んだ股を更にぎゅうと合わせ、下腹部に力を入れる。耐えろ耐えろと己に言い聞かせていると、頭上から先程までとは違う冷静な声が降ってきた。

「シズオ。ヒョットシテ、トイレ行きたいのか?」
「!」
「ヤッパリ、ソウナンダナ?」
「――っるせぇ!便所に…それ以外の用事で、来るかっ」
「トイレ我慢スル、ヨクナイ。空腹我慢スルト同じ位ヨクナイヨ」
「我慢なんざ――って、なにすっ、っんあ!」

 不意に足が床から浮き上がり、全神経を使って耐えてる間に、静雄はいわゆるお姫様抱っこの状態で便所から連れ出された。

「ちょっ、あ…ッ!どこ行く…下ろせ!」
「スグ隣ダカラ、スグ下ロスヨ。問題ナイネー!」
「隣?――お、おいっ、ここ女子トイレだぞ!」
「ヘイキ、ヘイキ!コンナ汚いトイレ、大事な娘には使わせない。誰かが言ってたヨー」

 何が平気なのかまったく分からなかった。そして問題だらけだった。
 だがこの軽い口調といい加減な言葉を放つ男が、上半身を極力揺らさず、それでいて早足で自分を運んでくれている事に静雄は気が付いていた。
 素直に感謝するのと同時に、羨望のような気持ちが頭をもたげる。
 自分も同じだけの力を持っているのに、どうしてこういう使い方をできないのだろうか。いつもいつも何かを壊すばかりで、こんな風に誰かを安心させることも、救うこともできやしない。

(俺も、こんな風に力使いてぇ)

 そうこう考えている内に抱えられたまま女子トイレの個室に連れてこられ、そこで静雄はそっと下ろされた。

「自分デ立てるカー?」
「ん…ちょっと、ムリっぽい…」
「オー、シズオが急にシオラシクナッタヨ!イツノマニ塩ナメタカー?」
「……るせぇ。つーか塩関係ねぇし」

 おどけた事を言いつつも、サイモンは静雄の細い腰をしっかりと支えている。
 静雄は何とか自分の身体を支えようと給水タンクに手を突くが、足に力が入らない以上やはりサイモンの支えに頼るしかない。
 となれば当然、この後の流れはひとつしかなかった。

「………え、と」
「先にアヤマルカラ、後で怒ルノナシヨー」
「あああ!ちょちょっ、待った待った!ストップ!」
「時ハ金ナリ。金ハチカラナリ。安心スルヨ。シズオの大事な服ハ傷ツケナイ」

 いやいや服も大事だけど、他にも色んな大事なもんがあって、例えばプライドとか男のプライドとか大人のプライドあって、このままいくとそれがバッキバッキ傷つくんだけど。
 と、脳内では目まぐるしく言葉が右往左往するがパニックになりすぎてまったく声にできない。

「待っ、サイモンッ…マジたんま!」

 抵抗しようにも、ただでさえ身体が動かせないのに加え、相手はいつも自分と対等にやり合っている男である。何もできないままベルトを外され、ホックを外され、ファスナーまで下ろされ、

「シズオ。少シ足開くネ。ズボン下ガラナイ」
「やっ、むり…だ、て」
「足開カナイト、モット恥ずかしい事にナルヨ」
「…んな事、分かって…る…けど」
「……仕方ナイネー」
「ひゃあ!あ、や…ッ!漏れるッ、」

 ひどい内股に閉じていた足の間にぐっと手を割り入れられ、強制的に足を開かされた。
 一気に押し寄せる排尿感。静雄は最悪の結果を覚悟してぎゅっと目を瞑る。が、そうなるより早くサイモンが下着ごとズボンを下ろし、そして何の躊躇いもなく静雄のモノ掴むと、先っぽを便器の中心へと向けた。

「モウ我慢シナクテ大丈夫ダヨ」
「ふぇ、ぁ、あん―――ッ!」

 静雄の全身からふっと力が抜け、一瞬遅れて黄金色の液体が勢い良く放たれる。
 じょぼじょぼという女子トイレにはあるまじき鈍い音が響き、それが止まると今度は小さな嗚咽が響き始めた。

「ん、ぁっ…はぁ…ひっ、ぐ」
「シズオ、ナカナイデ」
「だっ…て、おれ…」

 恥ずかしくて仕方なかった。でもそれ以上に情けなくて仕方なかった。
 いつもいつも苛立ちをロクに我慢できないのに、我慢すべきでない事を無駄に我慢した挙げ句人の世話になるなんて。

「シズオはヨク我慢シタヨ」
「ち、がっ」

 違う。自分は何も我慢できていない。今だって自業自得でこんな状態になったのに、泣くのを我慢できていない。
 そう後悔している間も、サイモンは宣言どおり服を傷つけないよう優しい手つきでズボンを上げる。身体を支える腕も、ただ持っているのはではなく、包むようにして支えてくれている。
 同じだけの力があるのに、自分はどうして壊す事しかできないんだろう。どうして優しくなれないんだろう。
 また静雄の目から涙が溢れた。
 その涙を、武骨な指が拭った。

「ワタシ見テタヨ」
「え?」
「シズオ、トムが喧嘩に巻き込マレナイヨウニ、囮にナッタ」
「――!」
「囮にナッテ、ズット逃ゲテタ。出前の帰リ、ワタシ偶然見タヨ」

 ベルトまで締め終えると、サイモンは静雄の身体を持ち上げくるりと半回転させる。

「ダカラトイレ、行ケナカッタンデショー?。隣のトイレダッテ、危ナイ男に絡マレタ女の子助ケテ壊シタ。ワタシ知ッテル」
「な…ん、で?」

 助けたと知っている?自分はただ、あの男を殴っただけなのに。

「上客サマはカミサマヨ。カミサマの娘も、カミサマ。カミサマはチャント分カッテクレルから、カミサマネ!」

 ニカッと、いつもの豪快な笑顔でサイモンは笑った。なのに静雄はまた涙を零した。

「ダカラ、泣カナイデ」

 大きく分厚い手が後頭部に触れ、そのまま割烹着の胸に引き寄せられる。

「シズオも、シズオのチカラも、トテモ優しいカラ」

 甘く酸っぱい匂いがした。きっと甘酢の匂いだと、静雄は思っておく事にした。






優しいひと

―――――――――――
何がしたかったのか分からなすぎる初サイシズ。


2010.7.24
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -