雨に濡れるのは嫌いじゃないと彼が言った。狭いアパートの部屋の窓から外を見ながら。
どういう流れのどういう脈絡でその言葉が出てきたのかは、殆ど無意識で会話を続けていた為に不明。
でもどう見ても今の天気は晴天で、雨は嫌いじゃないならまだ分かるけど、雨に濡れるのは嫌いじゃないという発言はどこからやってきたんだろう。
まあ、いいや。取り敢えず分かっていることから片付けよう。
そう思ったから俺は、窓辺にいる彼に水をぶっかけた。
「…………は?」
「水も滴るいい男かーんせーい」
「いったい何のつもりだいざ――っちょ、あぶねっ!」
「雨に濡れるのは嫌いじゃないんでしょ?」
突然大量の水を頭から掛けられた彼は、数秒自分の身体を見下ろした後、文句を言いながら振り返ろうとした。俺は振り返る際の身体の回転を利用してタイミングよく彼の片肩を全力で押し、わずかによろめいた水浸しの長身を窓に押しつけた。
自分の非常識なチカラを自覚している彼は、窓にぶつかった瞬間その端正な顔を不安で歪めた。
いや、そうではないか。恐怖に歪めたのか。また自分のせいで何かか壊れるということを、恐れたんだね。自分ん家の窓なんだからいいじゃない。ひょっとして、割れた時の破片で俺が怪我したらとか考えたのかな。
「臨也てめぇ、これはどういう事だ」
「びっしょびしょに濡れたシズちゃんをなんちゃって青姦したいなと思った。だから実行しようとしてる」
「あおかっ――ふっ、ふざけんな!」
「ふざけてないよ。俺は本気だ」
声のトーンを落としてサングラスの向こうの瞳を軽く見据えてやれば、素直な彼はむぐっと押し黙る。一応は長年殺し合いをしている相手なのに、よくこうも無防備な反応ができるものだ。
そんなだからほら、
「とにかくはな――っん」
こんな簡単にキスされちゃうんだよ。
所々切れた跡のある唇をこじ開け舌を絡ませれば、捕まえた白い手首がぴくりと動く。暫らくの間そのまま彼の舌を求めていれば、次第に彼もそれに応えるようになり、いつしか互いが互いを求め合うようになる。
「んふぁっ、ん……ふっ、はぁ…ぁ、い…ざ…んっ」
顔の角度を変えるたびに漏れる吐息。激しく舌を動かすたびに鳴る水音。それから、ぽたりぽたりと、水浸しになった身体から水滴が落ちる音。どちらの唾液なのか、はたまた俺が掛けてやった水なのか分からない液体が口の端から零れ、顎を伝い、首を伝い、鎖骨を伝い、服の中へと入ってくる。
それらはすべて、これからの行為の為に今必要なものなのだろう。だが俺はそれに敢えて興味をもたない。
彼を窓に押さえ付けていた手を離し、水分を含みくたくたになった蝶ネクタイとベストを脱がせる。いつものクセでシャツまで脱がせようとして、ああ今日は濡れ鼠プレイだったと気が付き手を止めた。
代わりに彼の頬に手を添え、唇を離した。
「んはぁっ……はっ、はあ…はぁ」
「シズちゃん寒い?」
「…寒くは、ねえ……はぁ、でも…服が張りついて、…気持ちわりぃ」
「でも雨に濡れるのは嫌いじゃないんでしょ?」
さっきこの質問に対する答えをもらっていなかった事を思い出し、今度こそ解答を聞くためにもう一度訊ねる。答えは大体予想がつくけど、彼の口から答えを聞かなければ新たな質問ができないから。
だけど行為は進めさせてもらうよ。
「嫌いじゃない…だけで、好きなわけ…じゃねえっひぅ!」
「でも嫌いじゃないんでしょ。ならなんで俺が水掛けた事を怒ったの?」
まだ息が整わず上下する身体に冷たい服の上から触れ、白地にうっすら透ける薄紅色を指で弄る。濡れた布の感触がいいのか、窓を背にした状況に興奮しているのか、小さな突起はすぐに硬くなった。
「っあ、ん、ッ…何、言ってんっだ…く、っん…人に、いきなり水…ぶっかけ、られたらっ、怒るだろ…あっ、ふつぅっ」
「雨だっていきなり水浸しになるよ?どっちも結果は変わらない。同じ事じゃない」
「…同じ…じゃねえ、はっん、過程が…ぁっ…ちがうっ」
「過程、ね。過程ってそんなに大事なのかな?」
「ああっ!」
スラックス越しに形を取り戻しつつあるモノを握ってやると、彼は一際高い声を上げて首を逸した。さらにぐにぐにと揉むようにして握り続ければ、膝が少しずつ少しずつ内側に向いてくる。
「シズちゃんは自分のモノがこうやって勃った事に対して、その過程を気にするの?」
「気にっ…する、んぁっ!」
「どんなふうに?」
「臨也っだから、…はあっ、嫌…じゃねえ」
「――――え」
「ほ、かの…奴っ、だったら…ッ、ぶっ飛ばしてる…そういうっ、事だろ!」
ガッと顎を掴まれ、激痛を感じるのと唇に冷たさを感じるのがほぼ同時だった。俺が事態を理解するのと彼が俺から離れていくのもほぼ同時で、彼がニイッと片側の口角を上げたのと俺が眉尻を下げたのは、俺の動きのほうが少しだけ遅かった。
ああ――
「馬鹿だね、シズちゃん」
本当に馬鹿だよ。
俺は過程なんか気にしないよ。
俺は結果しか求めないよ。
だって過程さえなければ、きみが辛い思いをしなくて済むじゃない。
誰が壊したかなんて過程を無くしちゃえば、何が壊れたかという結果しかなければ、きみがすべてに怯える必要なんてなくなるのに。
なのにどうして、きみはその道を選ばないの?
「……やめた」
「え?」
「なんちゃって青姦はやーめた!」
「おわっ!」
これでもかというくらい力一杯彼の腕を引き、俺はそのずぶ濡れになった身体を抱き寄せた。何度となく独りで見えない涙を流してびしょびしょになった身体は、俺みたいな人間には温かすぎた。
「臨也?」
「ちょっと待ってね。カーテン閉めるから」
肩越しに素早く片手でカーテンを閉め、今度はなるべく優しく窓へ背を付けさせる。急に俺の態度が変わったのがそんなに不思議なのか、彼は目を丸めてきょとんとしていた。
「なんちゃって羞恥プレイに変更した。はい回れ右ー」
「はあっ!?ちょ、回れ右!?」
「こんな安アパートの窓で駅弁は危ないもん。だからバックでやりまーす」
「おまっ!そういう事を普通に、っつうか雰囲気考えろよ!」
「ああ、そうだったね。シズちゃんは過程を気にするんだもんね」
雰囲気なんてまったくどこの乙女だよ。ま、可愛いからいいんだけど。
でもごめんね。やっぱり俺は、俺の考えを変えられない。
きみが傷つく道を選ぶならなおさらできない。
せめて、俺の中でだけででもきみの傷つく場所を無くしたいから。
それが独り善がりな自己満足なのは分かってる。でも、俺がきみを幸せにしてあげられる方法が、これしか見つけられないんだ。
「ねえシズちゃん。後ろ向いて」
流れる水より落ちた水
(ごめんね。臆病で)
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シズちゃん家は畳で敷き布団希望。
2010.6.27