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植生

「もうすこし、」
もうすこし、とあなたが言う時、それは僕にとってはあまり"もうすこし"の分類の中に当てはまらない。モニターに向かってなにやら一心に打ち込んでいる背中を見つめながら、あと何時間ほど待たされるのかを考えていた。
――イデア・シュラウドは、紛れも無く"天才"だ。天才だからこそ、今この瞬間も絶え間なく何かを創造し、何かに没頭している。そしてその結果の多くは、大衆に評価され称賛を受け、そして消費されていく。彼の顔も知らぬ誰かからイデアさんに絶え間なく押し付けられる憧憬、礼賛。その全て。少し前の話になるし、――今はそうではないとは口が裂けても言えないが、僕はその全てが欲しかった。憧憬や賛美や称賛、それに付随するもの。昔の僕は、彼に嫉妬していたのだ。
――手持ち無沙汰になり、端末を取り出す。21時すこしすぎ。まだかかるなら出直すのも手だろう。僕がいては、彼も気が散るだろうから。今まで腰掛けていたイデアさんのベッドから立ち上がる。めくれてしまったブレザーを正し、一つ息を吐いた。
「もう少しかかりますか?出直しますが」
「いやー……、……うん、どっち、でも、」
イデアさんがちらりとこちらを見る。モニターの光に照らされて、クロムイエローの瞳がちらちらと白色に瞬いた。なにか、すこし期待している表情。――求るのならば、きちんと伝えればいいのに。本当はどっちでもよく無いくせに。そう思わないでもない。思わないでもないが。
「――ああ、この参考書まだ読んでいない。このあいだ読んだものの応用編ですね、新刊ですか?良ければ読んでいても?」
そう、彼にとって都合のいい選択肢を提示してやる。ほんのすこし、安堵の色が頬に滲んだ。ああ、とか、うん、とか彼は答えたこと思う。そこら辺に放られていた、新品だろう参考書を手に取り再びベッドに腰を下ろす。
――こういうのは、嫌いではない。面倒だ、と思う日もあれど、テストの最後の難題を解いた時のように、すっきりする。"天才"の思考回路を読みといて、彼に適した解答をする。彼と"付き合う"ようになってから、それが僕のささやかな楽しみであった。
僕から見て、彼は自由ではないと思う。天才であるが故に、こうであれ、と押し付けられるものは多い。彼自身、頑固な質であるからそれを受け入れる事はあまり無いのだけれど、それが他人との軋轢を産む。その軋轢に、人並みに苦しむ。――要は言い方、断り方だ、と僕は思うのだけれど。コミュニケーション能力皆無の彼に、それを求めるのは酷だろう。
「――あ、アズール氏、」
「なんですか?」
参考書を広げながら、中身をよく読みもせず捲りながら思考の海に没頭していたら声を掛けられて、そちらに顔を上げる。イデアさんが少し困った顔をして、その形のいい眉毛を八の字に曲げている。なんだ、どうした、何か不都合があったのだろうか。
「た、たぶん、その、あと、1時間くらい、かかるんだけど」
「はい」
「ま……、待ってて、……くれる……?」
おずおずと言葉に出されたその"柔らかい言葉"を、僕は噛み締めることなくはい、とか、ああ、とか答えたような気がする。
――こういう、日常の小さな出来事で僕に優越感の種を植え付けるのはやめてほしい。さよならだけが人生であるというのに。


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