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早くおとなになりたいな

一番を決めろ、と目の前の大人が話すのを他人事のように聞いていた。煌びやかなパーティの灯りと喧騒、もやもやした熱気を縫って、イデアの視線は遠く、人垣を超えた外へ移る。窓の向こう、何処までも暗い空の中にぽっかり浮かぶ、白い満月に。
アズールは気のない様子のイデアのつま先をゲストに気づかれぬよう、強く踏みしめた。ィッっとかなんとか、声にならない声をあげてイデアは慌てて足を上げる。片手に持っていた背の高いカクテルグラスが――勿論ノンアルコールのチャイナブルー風モクテルだが――揺れて、危うく久しぶりにテイラーで仕立てた一張羅に重大な欠陥を齎す所であった。
イデアは横に立つアズールを睨み、アズールもまたイデアを見やる。その視線が絡み合うと、アズールはにたりと瞳を細めて笑い、くそ適わないなと悟ったイデアが先にゲストの方へ視線を戻した。
どこかで見たような顔、典型的な成金の見下した視線にイデアはうんざりとした気持ちでため息をつく。小太りの中年男の身なりはそれなりに清潔感があるのに、何処となく薄汚いようなそんな気持ちにさせられるのは何故だろう。シャンデリアの灯りに反射する金髪は、柔らかく細く、かつ固めのワックスで丁寧に後ろへなでつけられているし、エジプシャンブルーの瞳は切れ長でさぞや若い頃は持て囃されたのだろうな、と思わせるのに。――立ち居振る舞いのせいだろうか、と考える。グレンチェックのパーティスーツをさっぱりと着こなしたアズールと、先からあくまで対等に話しているのに、何処か彼に対して見下したような言葉尻が見え隠れするからだろうか。
イデアはそう考え、なんだか何もかも考えるのが面倒くさくなり、アズールにバレないようにグラスを持っていない方の指先で緩く結ばれた自身の三つ編みを弄んだ。
「それで、アズールくんはいつ頃“うち”に来れるのかな」
テノールの声色が、問いかける。イデアは少し考えたが、そう間をおかずとも意図はすぐ読めた。アズールをちらりと見ると笑みを崩さず、 なんと答えるべきか暫し思案しているのだろう。唇を結んだまま、黙っている。イデアは彼がなんと返答するのか読めず、ただ黙したままアズールの返答を待った。
「――ああ、それはそれはたいへん勿体ないお誘いですね。 レイモンくんと"お話"して前向きに検討させて頂きますよ」
明るい声でアズールが言い放った言葉に、イデアはよくやるもんだ、と思う。
生家のハロウィンパーティー、そのくだらない催しに是非連れていけと強請られたときはどうすべきか迷ったが別段心配するようなこともなかったな。どうせ自分は参加せねばならないのだ。そうであれば、少しは“楽しい” ほうがましだろう。
やがて、アズールの返答を受けて、ははは、と男が大きな笑いをフロア中に響かせる。やがて笑みを収めると、アズールの頭から爪先までを値踏みするように視線を流す。
「前向きだなんて、そんな悠長なこと言っていられる立場かね。君は。海から上がってきたばかりで陸の常識はまだまだ勉強不足なのではないかい、イデアくんぜひ彼に教えて差し上げたまえ」
突然話をふられて、驚いたということもある。アズールに向かって無遠慮に投げかけられた言葉にいらだったという気持ちもある。イデアの胸の内に、沸騰するような苛立ちが湧いて出た。隣に視線を滑らせると、 アズールが笑っている。笑っているが――目は笑っていない。その不均衡な笑顔を見ていると、どうしても胸中がずくずくと膿み、気がつけば自然と唇が開いていた。
「お言葉っすけど、あんたの息子――いやあんたか。まあ、どっちでもいいや。 とにかくあんたがしたこと、こっちはいつ公表したっていいんだけど」
嘲笑うように、口角を上げてヒヒ、と野卑な笑いを付け足しす。男の笑顔が凍り付いたのを見て、イデアは満足気に瞳を眇めた。
「証拠がないって?残念、 ぜーんぶオルトがばっちり記録してるよ。 適当にあちこちの掲示板に流してもいいよ。動画サイトにアップしてもいいし、そっちの社員全員の個人メールに添付して流したっていい。そしたら社会的に終わっちゃうよね、 ヒヒッ、 どうすんの?」
悠長なこと言ってられないのはそっちじゃないの、と言いかけたその瞬間。ひくひくと頬を引きつらせる男に勝利を確信した、その時であったようにも思う。
気が付けば、イデアは腕を引かれて、人波をかき分け、どこかへ連れていかれる最中だった。 先まで目の前にいた男がぐんぐん遠ざかっていく。 振り向くとなんとも言えない表情をしたアズールが自分の腕を引き波に逆らいながら歩いていくのが見えた。





「なんで」
なんで止めたの、と言えずにイデアは静かに沈黙する。
パーティの喧騒の隙間、誰もいない薄暗いベランダに立つと、潮騒と閉じた窓から漏れてくる僅かな喧騒だけが二人の間に響く。ベランダの手すりに腕をかけて、アズールはじっとイデアを睨んでいた。その瞳の、 銀に少し淡い紫を溶かして朝焼けの海に流したような色は月光を反射して緩く光る。その色合いが、イデアはどうにも好きでその瞳で見つめられると多弁な唇は貝の様に閉じてしまって開きやしない。銀の髪が潮風に煽られてたなびき、 ベランダの向こう側へ光の筋を残していくように見えた。睨み上げ、挑むようなその視線を受けて、イデアは少しだけ、この先が恐ろしく思える。
イデアにとって、アズールは憧憬と嫉妬と愛情と――、美しくも暖かくも無い、そんな色々な感情をごちゃまぜに煮詰めたものを共有する、いわば共犯者だった。自分で彼を煽るのは構わないし、なんならにやついた笑みが漏れるほどであるが人に彼を謗られるのは酷く苛立ち、許せなくなる。――などという、複雑な想いを抱えながら、まあまあその想いと上手くやりつつ、ここまで共にいた。先程は、その想いが強く刺激され傷んだ。
アズールも内心苛立っていたには違いないのに、なぜ自分はこうして叱られているのだろう。胸の内が萎えていくのを感じる。母親に叱られてもここまで項垂れないだろう。
アズールはじっと、月光に反射し暗闇の中にぼや、と光をともすイデアの青い炎を見つめ、やがて唇を開いた。
「ザカライアス家が、シュラウド家に出資しているのはあなたももちろんご存知でしょうが」
アズールの詰問するような口調に瞳を伏せる。
それは当然、イデアも知っている事実だった。あの男が、とんでもない金持ちで少々危ない事業に手をだしていて、少し前にアズールを狙い、学園に「よくない男たち」を派遣したということまできちんと記憶していて、あのように駆け引き――にもならないような事を話したのだ。 勝てる算段があった。だってこちらはしっかりとした証拠を握っているのだから。
「よーく知ってますぞ〜。だって拙者がそうさせたんだし」
揶揄するように返し、イデアはアズールに笑みを向ける。
ザカライアスがシュラウド家に出資するよう仕向けたのは、イデアが意図して行ったことだ。詫びなら、彼の息子から散々もらったし、今さらロ先だけの詫びなんぞいらないしなんの足しにもならない。しかし、何も報復しないのも痛に障る。――であるので、落ち着いた後オルトが記録したデータを公表しないのと引き換えに“恒久的にマドルを支払うよう”強請った。正しいのは、そのような記述であろう。先に罪を犯したのはあちらで、此方はなんらおかしなことなどしていない。なぜなら、“あちらが自発的に出資を申し出た”のだから。
アズールがぐぐぐ、と眉根を寄せて瞳を伏せる。眉間に指先を持っていき、 あきれた、とでも言いたげにため息をついた。
「わがままが過ぎます、マドルまで強請って更に別口で脅すなんて。危険すぎるし、それ以上は僕たち学生では手におえない」
「……、わがままでサーセーン、でもいいじゃん相手が悪いんだし。それに、」
不都合があっても拙者が被害を被るだけでアズール氏には関係ないでしょ、と話そうとして。どうしてそこまでして、言い返したかったのかが分からず、沈黙した。あの場で適当にいなさず、言い返すことで己が被る被害を考えれば、黙っている方に利があるだろうし、論理的な都合もあっている。あそこでむきになってなんやかやと言い返すなど、合理的ではない。――それに気付いてしまってからは、顔がやたらと熱くなるのを感じた。血が立ち上ってくるような、羞恥に近いけれどそれとは違う感情だ。アズールはただただ、そんな自分を早朝の湖のように静かな瞳で見つめていた。今すぐこの場から、逃げ出したいような気分になり、視線を右往左往させているうちにぐい、と距離を詰められる。
「イデアさん」
酷く近い距離から静かな声が降ってくる。イデアはアズールの先を継ぐ言葉にとてもつない恐怖を感じていた。何か確信的なことを言われてしまう、そんな気がして。胸が詰まる。視界が狭まり、立っていられない程に。――思わず瞳を伏せる。彼の顔が見られやしない。全て見透かされそうで。
「正しさが人を殺すこともあるんですよ、一そしてその“人”はあなたかもしれない」
そんなこと分かってる、わかってるさ。そういいたかったのに、喉がつまり何も言葉が出てこない。君が何を言いたいのかも。
ああ、このままでは自分の心の中で、アズールがどんな存在なのか自覚してしまう。いやだ、危ない。 この気持ちは、 消してしまわなければ。忘れなければ。息を大きく吐き、何事か茶化した台詞を吐こうとしたその瞬間だった。
「――でも嬉しかった、ありがとうございます」
――アズールの声が、静かに耳朶を打った。
いやだいやだ、消えてしまえ。心の中で大きな声が木霊する。子供みたいに駄々をこねる声。
――彼のそんなうつくしい言葉のひとつで、やたら大きく高鳴る胸ごと、 全部全部消えてしまったらいいのに。答えはもう出ている気がする。認めたくなんてない。僕達はただの共犯者で、それ以上でも以下でもない。だってだって、そうしないと無理だ。さようならしないといけない未来が耐えられなくなってしまう。
イデアは思わず胸を抑えた。この胸を狭める感情ごと全て葬ってしまうよう願い、しかしアズールのその瞳を見られずにただただ、 黙っていることしか出来ないまま。


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