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きみの唇の色


「…ん、ぅ、……ッは……」
――息継ぎというのはそもそもそう得意ではないというのに、このままでは溺れそうだ。甘受する唇の甘さは段々と増してきて、胸の内がどくどくと鳴り続けている。暗い部屋、電子機器の静かな起動音の中に僕の鼓動ばかりが響いているような気がする。実際には、体内で生み出された音など微々たるもので、誰に聴こえるわけでもないのに。唇と唇の隙間から、ぴちゃ、だとか、くちゅ、だとかなんともいえないいやらしい水音とお互いの呼吸音が漏れる。
「はぁ……っ、」
「ん、……んんん……っ」
イデアさんが大きく息継ぎをすると、生暖かい舌が口内に侵入する。たぶん、おそらく、この温度こそが今の彼の全てで、逃げられないように掴まれた両手も壁に押し付けられた背中も、"これ"のための行為だったのだと思うと体中が痺れる。とんでもないことになってしまっている、ずれた眼鏡を治す暇もなくどんどん奥へ侵入してくる舌に必死に抗おうとして――、そのあまりの難しさに大人しく口内を明け渡す。彼の少し長い舌が僕の舌をぐるりと舐めて、口内から外へと導かれるように舌を追う。みっともなくぽっかり空いた口から舌を突き出すと、間髪入れず、ぢゅ、と強く唇で吸われた。
「……ン、ぁ……っ、は、ぁ……ん、」
「いい子だね…」
合間に囁かれたら、もうそれだけで息も継げない。また唇が重なった。今度は口内に彼の舌が侵入し、歯列から喉奥からなにから全てを静かに蹂躙していく。口の端からたらりと唾液がこぼれる感覚がした。思わず瞳を開くと、視界がぼやける。おそらく、涙が膜を張っているのだろう。ちゅう、と何度も呼吸ごと唇を奪われてどうしようもない気持ちになった。どうにかされてしまいたくなるような。はやく次に進んで欲しいと懇願したくなるような。――快楽の波がどろどろと押し寄せて、思考が溶かされる。はやく、はやく。唇以外も、繋いで欲し、い。ちゅう、と唇が離れて、その間を唾液の橋がつう、と伝うのを見て陶然とする。
はぁ、と呼吸を整えている。イデアさんを見た。ぼやけた視界の中に、ぎらついたクロムイエローが光る。嗚呼、これから僕はこの人に抱かれるんだな。そう思うと、背中がぞくり、として。――いや、待て。
「イデアさん」
ある考えが唐突に浮かび、思考が平素に無理やり引き戻された。詰問するような口調で名前を呼ばれたことに驚いたのだろう、目の前の男は瞳を丸くさせて2、3度ぱちぱち瞬いた。掠れたダークブルーのリップは、僕に移ってしまっているだろうな。そう思えど――、それよりも。
「なんでこんなに上手いんですか練習したんですかいつしたんですか誰としたおい言ってみろ」
「ひ、ヒィ!!し、してねェーーーーーーーー!!!!なんそれなんそれなにその思考の飛躍!怖すぎ!豹変!よっぴーかよ!!」
「よっぴー!?相手はよっぴーという名前なんですか!?」
「ちげぇわ!!!!詳しくはつよきす、よっぴーでググれ!まーじまじまじ落ち着いて、アズール氏、ね、ね、あの、拙者ほんとにそんな事実は一切ございません故」
振りほどいた手首を軽く振って、じっとりとした視線を送ると慌てた様子のイデアさんの顔が面白い。童貞だったはずだこの男は。つい最近まで。だって僕で卒業したのだから。――それにしてはキスがうますぎやしないだろうか。それが第一の疑問点で、僕の"そういったムード"を吹き飛ばしてしまったひとつの要因である。いや別段、イデアさんにそういった相手がいるのは構わないのだ。さみしさとさみしさを埋め合うだけの関係で、恋人でなしに相手を縛るなど烏滸がましい――とは思いながら構わなくはない。本当は。でもとりあえずひとまずは、構わない、ということにしておかなければこの関係は壊れてしまうだろうから構わないということにしておくのだが。
「――相手が出来たなら、伝えるのが筋では」
「まじまじほーーんと違うんだって、」
イデアさんは困惑した顔で、――まるで飼い主に叱られた大型犬のように、可哀想なほどしょげかえりながらベッドから立ち上がり、そっと本棚の漫画をごっそり取り出した。その奥、数本の箱が並んでいるのが見える。背に美しいデザインであったり、なんだかどぎつい色彩であったり、ポップであったり――恐らくタイトルであろう。そんな様々な箱の中からひとつ、とってくるとイデアさんはこちらに向かって突き出した。
「……なんて読むんですか?e……」
「タイトルは知らんでええし絶対にググるな危険だしほんと誤解されたくないから敢えて言わない!!!!」
「はぁ」
箱の表面では、裸に生々しい傷のついた綺麗な少女たちが床に寝転んでいるイラストとどう読むのだろう。美しい書体のタイトルが踊り、――ああこれが所謂18禁ゲームというやつか、と考える。イデアさんも18歳だ。そういったものも、まあ、手に入れるだろう。――ただなんだ、この表紙から感じさせる不穏さは。
「あなたそういう……」
「ちっっっがーーーーう!!!ちがうの!純愛ゲーなの!ちょっと最初は上級者向け耐久って感じだけど純愛なんすよ!この、真ん中の、ああダメだネタバレはあかん!」
一人でなんだか喚いている。――これとそれと、なんの関係があるのだろう。検討もつかず、僕は首を傾げた。イデアさんはそれを見止めると、恥ずかしそうに頬を染めて視線を逸らした。
「いやーあの、…………これの……ですな……主人公とヒロインのキスシーンがねちっこくて……」
「はぁ」
「参考に、した、といいますか」
はあ、としか言えなかった。アダルトゲームの?キスシーンを?真似た?――いやまあ、ありえないことでもないだろう。どう学ぶのか正直こう――理解がまだ及ばないが、そういうことなら、そういうことなのかもしれない。ああ、でも、そういうことなら。
「では、僕も一緒に学びたいのですが」
「ぜっっっっっったいダメーーーーーー!!!!」
とんでもない声で否定され、その声で心配したオルトさんを起こしてしまい、その夜はセックスどころではなく、――ただ、彼が"学んだ"というが深く深く胸に残り、なんだか柔らかい爪で生暖かい傷跡を抉られたような気持ちだけが残った。


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