小説 | ナノ

おもちゃの心臓

「ジャック、大富豪教えてよ」

そうやって切り出したのは、実のところただたんに僕が臆病で、記憶がなくて、その結果行動が言葉に追いついてきてくれなかったからに違いない。ジャックの部屋は思ったよりずうっと殺風景で、彼が彼らしく人間らしくたるものが見当たらないので(ガレージが物置代わりになってるっていうのもあるけど)それに当てられたのかもしれなかった。なんにせよ、僕はそう切り出したものの、わざわざ殴られるリスクを犯してまでこのジャックの部屋にトランプの遊びを教わりにきたわけではなかった。
わけではなかったけれど、じゃあ僕はなんでこの部屋にきたかっていうと、それに明確な理由はないのだ。たまたま遊びに来てた龍亞が遊星とクロウと大富豪(僕は勿論記憶がないので、そんなゲームの内容は知らない)で熱戦を繰り広げていたので、なんとなく二組あったうちのトランプひとつを借りて個室に引きこもっていたジャックのところにきたというだけの話だ。

「遊星にでも頼め」

面倒くさがりやの彼はベッド淵に腰掛けたまま、こちらを見もせずに答えるもんだから流石の僕だってむっとして押し殺した低い声で「ひどいやつ」と呟いた。ジャックは面倒くさがりだし、すぐ殴るし、そりゃあもう酷いヤツだけど、僕は彼のことが好きだった。なんとなく、好きだった。恋愛感情かといえば、そちら方向にカウントされるのかも知れない。(だってもし願うなら僕は彼のおもちゃになりたかった。)だからここにいる。ここにいる。いるんだけれどなあ。ひどいやつなジャックには、多分僕がここにいることも、なにもかも一生分からないと思う。

「遊星もクロウも仕事だよ」

僕は自然と息を吐くように嘘をついた。確かに僕は分かっていて嘘を吐いたわけなのだけれど、不思議と罪悪感もなんにもないのはきっと、ジャックがひどいやつだからだと思う。遊星とクロウは相変わらずガレージで龍亞と三人で大富豪になるために熱戦を繰り広げているし、もっと言うと多分二人とも暇なんだと思う。
僕は記憶を失ってから初めて、こうやって真面目な顔で嘘を吐いた。

「フン」

そこはかとなく機嫌がよかったらしい(僕にはそういう人の感情の機微はよく分からないけれども)ジャックはそれでもいつもどおり不機嫌そうに眉をしかめたまま、指先だけで自分の隣を示したので、僕はそういう彼の動作の一切合財が心底愛しくなって、慌ててジャックの隣を陣取った。

「トランプもってるだろ、貸せ」
「うん」

龍亞から借りた青い背のトランプを渡す。真ん中を無造作に輪ゴムで止められたそれをジャックの手先が器用に外していく。つるつるした、安っぽい匂いのするプラスチックのどこにでも売っているようなトランプ。それをジャックの指が恭しげにシャッフルするので、僕は大人しく隣でそれをじっと見つめていた。ジャックの指は細い。でもいつもはその細くて白い指に殴られてばかりだから、僕にはその細さがどういう細さなのかを知らない。それは、遊星なら分かるのかもしれないしクロウなら知っているのかもしれない。僕には分からない時間も、きっちり彼ら3人の間には流れていることだけを僕は知っていて、それ以上でも以下でも、僕は何も知らなかった。
僕とジャックの間にぱちぱちと並べられていくトランプをじっと見ながら、そういう類のことをとりとめもなく考えていた。

「いいか、よく聞けよ。一度しか説明せんからな」
「うん、善処する」
「二度は言わんぞ」
「わかってるってば。」

僕の答えに納得したのか、ようやくジャックは僕から視線をそらしてトランプと向き合う。ジャックの指先がハートの3を示した。

「いいか。大富豪はカード同士の数字を戦わせていくゲームみたいなもんだ」
「ふんふん」
「3が一番弱くて、上がっていって2が一番強い。」
「うん。」
「一番最初に3を出されたら、次のヤツは4かもしくはそれより上のカードを出す」

並べられたカードのをジャックが指差すので、僕はそれを目で追った。なんとなくルールは理解できた。

「2が出されたら、それでおしまいなの?」
「いや、2が出されて、それより強いカードを持っているやつがいない場合、カードを流してそいつが好きなカードを出せる。親になるってやつだな」
「ふーん、2より強いカードがあるんだ?」

ジャックは少し考えた風になって、トランプの束の中をあさるとお目当てのものを見つけたようで一枚のカードをぱちりとベッドの上に置いた。

「ジョーカー、大富豪で大切なカードだ」

そう言ってジャックの白い指がジョーカーを示すもので、僕はただひたすら、「大切」だと話したジャックの言葉だけが頭の中で何度も何度もリフレインする。大切、大切なのかあ。

「ジョーカーになりたいなあ」

ジャックが大切だと、その細い指で指し示す、背の青い安っぽいプラスチックの匂いのする、どこにだって売ってる日常の一部でしかないトランプの一枚になりたい。茫洋としたままそれを声に出すと、胡乱げにゆがめられた紫色の瞳に出会ったので僕はごまかす腹積もりでそっと眉をひそめて苦笑した。

「また頭がおかしくなったのか?」
「君に言われたくないな」
「なんだと!?」

「大切だ」と、背の青い、安っぽいプラスチックの匂いのする、どこにでもあるトランプの一枚を指し示した白くて細い指を、ジャックは普段どおりやっぱり殴るために固く丸めた。僕はいつだってそういう役目で、遊星にもクロウにもなれやしない。その白くて細い指先が僕を指し示すことはない。暴力反対!とかなんとかいっていつもみたいにやりすごすと、ジャックは少し憤慨したまま腕を組んでそっぽを向いてしまった。子供みたいな背中。僕は、君のそういうもののたくさんが、やっぱりいとおしいと思う。

「ご、ごめんよ」
「説明もちゃんと聞かずわけのわからんこと考えてるやつに、きいてやる口は無い」
「ごめんってば」

ねえ、ごめん、ごめんね、ジャック。僕に彼の白い手が向けられたとき、僕は焦って困惑してそれでも幸福に思いながらその魔法の言葉ばかり口にするのだ。本当はもっともっと、別の言葉が口にしたかった。
たとえば「好きだよ」とか「愛してる」とか、そういう温かくてやわくて、幸福な言葉の類を僕は一度でいいからこのジャックという男にさしむけて、そしてそっくりそのまま(嘘でもいいから)返してほしかったのである。

(こどもみたいだけどさあ。)

「ごめんね」の言葉なんか、なんにもジャックに詰みあがってくれないんだよ。
魔法の言葉が届いて、ジャックがジョーカーよりスペードの3が強いって教えてくれても、僕はやっぱりジョーカーになりたかった。僕は君の白い指で、大切だとさししめされていたかった。

僕は君のジョーカーになりたい。

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