君は僕の光の子 1日目 A
(1)
父は、とても物静かな人間だ。
必要以上を語らず、過剰なスキンシップも求めない。
どんなトラブルに直面しても、眉一つ動かさず、顔色一つ変えず、いつもの無表情のまま、すいっとその神がかった技巧で回避する。
実際、航空業界において父は決して比喩ではなく神様みたいな存在で、同時にその冷静さも音に聞こえていた。
――思うに、彼は完璧すぎるのだ。
ルナの様に仕事で疲れた素振りも全く見せないし、いつだって、何をしていたってサラリとこなしてしまう。
つけ入る隙が無い。
大丈夫? と尋ねることも、何かを手伝うことも出来ないのだから。
嫌いなものも、好きなものも知らない。
喜び。
怒り。
哀しみ。
楽しみ。
全てを上手に、隠してしまう。
趣味も何も、あったもんじゃない。
そんな相手と楽しく会話をしようだなんて、土台無理な話なのだ。
ましてやルイは、同年代と比べれば大人びていても、まだほんの八歳である。
それならばそれでと慣れようにも、相手は一年のほとんどを宇宙で過ごしているような人だ。
家に帰って来ることはおろか、通信可能地帯にいることすら少ない。
人類未開拓の領域を、どんどん進んで行くのだから。
この一年間でルイと父が何らかの形で顔を合わせたのを指折り数えてみれば、片手で済んでしまった。
まだ幼馴染の父親たちとの方が、比較的近くに住んでいる分、会う頻度は高いだろう。
母とは比べるべくもないほどに薄い、親子としての縁。
例え帰って来ていても滅多に喋ることのない父は、ルイにとってほとんど他人と言っても良かった。
――それでも、まだ母やチャコがいるから、二週間くらい何とかなると信じていたのに……
あれは、昨晩のことだ。
チャコと向かい合って摂った夕食を終え、お片付けのお手伝いをしていたところに、仕事から帰ってきたばかりの母はごめん、と手を合わせた。
「急に、チャコが昔バックアップしたデータが必要になったの。でね、それの復旧と合わせて、ちょっと手伝って欲しい件も出来たから……」
緊急の仕事の報せだった。
全てを終えるのは、早く見積もっても今日から一週間後だという。
いつもは父がいない分、ルイに寂しい思いはさせまいとプライベートを優先する母だが、今度ばかりはそうもいかないらしい。
チャコと二人そろって、地球に泊まり込みの勤務である。
何というタイミングだろう。
母は人類のかつての母星で、惑星開拓技師をしている。
ルイが産まれる前までは、チャコもそのサポートロボットとして地球で働いていたことがあるのも知っている。
でも、どうしてその緊急事態がよりによって今なのだ。
ルイは決して大袈裟ではなく、絶望した。
このままでは母もチャコもいないまま、たった一人で父に会いに行かなければならなくなる。
そうなったら、あの沈黙の海に溺れたときに、一体誰が助けてくれるというのか。
ルイは即座に、母について行くと申し出た。
ちゃんとおとなしくしているから、地球で一週間三人で過ごして、三人で父のところに行こうと、必死になって訴えた。
しかしそれがやすやすと通れば苦労はしない。
父もルイが一人だけで来ること自体には、了承したという。
「……はぁ」
一昨日から、何度目とも知れぬため息がもれる。
肩の筋肉がガチガチに固まってしまいそうだった。
宇宙広しといえど、十人といないだろう。
生き別れた訳でもない実の父親と会うことに、ここまで緊張する娘なんて。
しかし、めでたくもなんともないが、まぎれようもなくその中の一人は自分自身なのだ。
(2)
「そろそろ時間ね」
母が腕時計を見つめながらつぶやく。
「搭乗ゲートに行かないと」
ルイはうつむいた。
チャコがこちらを見上げているが、気づかないふりをする。
「ルイ……」
母の優しい声に、一瞬泣くかと思った。
けれど、涙は出てこない。
だって、悲しい訳ではないのだ。
ただ、不安なだけ。
見知らぬ場所で迷子になってしまった時のそれと似ていると思う。
母が足を折り、屈む気配がする。
ルイは目線は下を向いたまま、叱咤激励でもされるのかな、と思った。
だって、ほんとは薄々勘づいていたのだ。
多分これは、ルイと父の仲を憂いた母が仕組んだことだとなのだと。
確証はなかったが、今までの母のお仕事のことを思えば、この一週間をピンポイントに狙ったそれはあまりに不自然すぎる。
母が泊まり込みの仕事を引き受けるのも、チャコが母と共に現場に復帰するのも、ルイが生まれてからは初めてのことなのだ。
一晩経って冷静に考えてみて、怪しまない方がどうかしている。
母の気持ちを思えば、口に出すことなんてとても出来やしないけれど。
けれども予想に反し、母は口を開くよりもまずその手を伸ばしてきた。
「ね、こっち向いて……」
暖かな体温を、頬に感じる。
その両手は、ルイの顔を包み込んでいた。
てっきり、大丈夫よ、とか、お父さんと仲良くね、とか、そんな言葉をかけられるのだと思っていたから、それはあまりに意外で。
ルイははっと、顔を上げた。
母は、優しい、ルイが大好きな微笑みを、そっとそこに浮かべていた。
「ルイが、お父さんのところに無事にたどり着けますように……」
それは、彼女が宇宙に出る時の口癖だった。
“無事にたどり着けますように”
毎朝の通勤で地球に行く時ですら、時折聞いたことがある。
以前その理由を尋ねれば、宇宙ではろくなことが起きないから、と笑っていた。
それを聞いて、ルイはなるほど、とうなずいた覚えがある。
母の母、会ったこともないルイの祖母は、宇宙病で亡くなった。
やっぱり顔しか知らない祖父の最後を母が見届けたのも、宇宙だという。
修学旅行行きの母たちを乗せたシャトルが遭難したというのも、それなりに有名な話だ。
最も、後者に関してはそう悪いことばかりでもなかったらしいけれど。
ルイはたまらなくなって、母の胸に飛び込んだ。
母もまた、ぎゅっとルイを抱きしめる。
心配してくれているのだ。
嫌な思い出が多い宇宙へ一人送り出す娘のことを、母は、確かに。
「絶対、着いたら連絡入れてね」
さっきまでほとんど聞き流していた言葉が、やけに重かった。
「うん……」
「行ってらっしゃい、ルイ」
「気ぃつけてなぁ」
母とチャコに手を振り返し、ルイは搭乗ゲートに乗った。
母の祈るような瞳が最後に見えて、きゅっとまた泣き出したくなる。
後ろ髪をひかれた。
それでも、やっぱり泣くわけにはいかない。
まだ始まったばかり。
ここから先は、一人きりなのだ。
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