君は僕の光の子 1日目 F
(1)
空港から、車で走ること十分程度。
まだあまり整備されていない道を進み、父が車を停めたのは、月の家とそう大差ない広さの一軒家の前だった。
車内から、その家を眺める。
バーベキューパーティーが開ける程度には広い庭。
白壁二階建ての、三角屋根。
よくドラマで見る地球時代の建物に似ている。
そう思った。
ルイは首を傾げた。
てっきり、この二週間はホテルかどこかで過ごすのだと思っていたら……。
少し意外だ。
わざわざ家を一つ買ったわけでもあるまいし。
どうやってこんなところを手に入れたんだろう。
そう思って、けれどすぐに、ここにはホテル自体が少ないのだ、と考え直した。
何しろ一般開放は既に成されているとはいえ、まだまだ開発途中のコロニー。
空港にいた人の多さを見るに、ろくに部屋だって空いていないだろう。
この家は、多分社宅みたいな物なのだ。
カオルが所属する組織が用意した、休暇用の家。
そう考えれば、納得いった。
ルイはシートベルトを外し、車から飛び降りた。
IDカードをスキャンし、家の鍵が開いたことを見るに、既にルイのそれは登録されていたらしい。
真っ先にリビングに駆け込んで、電話のスイッチを入れる。
もちろん、その相手は決まっていた。
向こうが電話に出るまでの間、ルイはドキドキと胸を高鳴らせていた。
次いで画面いっぱいに広がるその姿に、笑顔があふれる。
母――ルナもまた、ホッとしたような表情を見せた。
「今こっちに着いたよ」
『そう。早かったわね?』
「うん。フライトがすごく順調に進んだみたい」
『そりゃ、良かった』
母の膝の上で、チャコも喜んでいた。
えへへ、とルイはまた笑う。
母は一度ルイから視線を外し、少し首を傾げた。
『お父さんはどうしたの?』
「携帯で夕ご飯を頼んでる」
『なんや、デリバリーか? 自分で作ればええのに』
チャコの言葉に、ルイはええ、と驚いた。
「お父さん、ご飯作れるの?」
『そりゃ、作れるで。手先が器用やさかい、ひょっとしたらルナよりうまいんちゃうか?』
『……否定できない自分が悲しい』
「そうなんだ……」
でも、作っている姿なんて見たことがない。
料理どころか、ルイが思い出せる父の姿と言えば、静かに本を読んでいるとか、母やおばさん、おじさんたちの漫才のような会話を一歩引いて眺めているとか、そんなものばかり。
とにかくじっとしていて、ご飯だっていつも母が作っていた。
母は、うーんとうなった。
『休日くらいはゆっくりして欲しくて、料理だけは私がずっと作っていたから……。
そっか、ルイはあんまりカオルの手料理を食べたこと無かったわね』
『なんでや。たまに包丁とか握ってたやん』
『それは、私の料理を手伝ってもらっていたの。一からの手作りは、ルイが本当に小さな時だけだったと思うわ』
それに、ルイはまた驚きを見せる。
「……そんなことがあったの?」
『離乳食だけど。……離乳食って、わかる?』
ルイはうなずいた。
「授業でならった。赤ちゃんが食べるご飯だよね?」
『そうよ』
母が微笑む。
『あの時のカオルはおもしろかったなぁ……』
『ああ、思い出したわ。スプーンを口元に持っていっても、あんたがぐずって“いやいや”するから、途方に暮れてやなぁ』
「――え」
「……余計なことは言わなくていい」
ルイはその声にあわてて振り返った。
気配なんて、全然なかったのに。
背後に、父がいた。
腕を組んで、ぎろりと、底冷えするような目でチャコを睨む。
しかしチャコは慣れきっているのか、平然としていた。
『いくら睨んだかて、ちーとも怖ないで。あんたとうちは今、何光年離れてると思てんの』
「…………」
小さな舌打ちが聞こえる。
父がこういう表情を見せるのは、母やチャコを含め、昔なじみの面々の前だけだ。
ルイはちちを見上げていた目線をそっと下げ、母に向かって無理に笑って見せた。
「私、喉かわいたから……」
そう言って、そっと父の横を通り抜ける。
そのまま小走りで、冷蔵庫へ向かった。
何となく、邪魔をしてはいけない気がした。
ただでさえ、滅多に会えない両親だ。
電話越しとはいえ、間に入ることはしたくない。
それは、何も今回だけに限った話じゃない。
父の休暇中はいつもそうだった。
二人の仲の良い姿を遠巻きに見つめるか、部屋にこもっているか。
だいたいは、そのどちらか。
間に入っておしゃべりなんて、出来ていたらそもそもこんな状況にはなっていないだろう。
気を使いすぎと言われることもあった。
確かに、その通りだと思わないでもない。
最も、それは単に話しかけていく勇気が持てないからというのもあるのだが。
これからの一週間を考えれば、それではいけないことはわかっている。
でも、人間そう簡単に変われるのなら苦労はしない。
ルイは、ふう、と息をついた。
(2)
『逃げられちゃったね』
ルナは苦笑しながら息をついた。
カオルは何も言わないし、表情も変えなかったが、実はけっこうなショックを受けたのは多分、彼女たちにはバレバレだろう。
『前途多難やのぉー』
「…………」
『父親としては、ハワードの足元にも及ばんなぁ』
『チャコ!』
カオルはため息をついた。
確かに、何においてもダメなハワードだが、親としてのそれにはこちらが舌を巻く物がある。
子供が鬱陶しがるほどの溺愛ぶりを臆面もなく見せるのだから。
「……どうすればいい」
しかし、愛のあふれる家庭で育ったとは少し言い難いカオルだから、こんな時にどうすればいいのかがわからない。
抱き上げればいいのか。
笑えばいいのか。
どんな言葉をかけてやればいい?
ルイが、まだもっと小さな頃からそうだった。
泣きわめく彼女を前に、おろおろすることしか出来ない。
慣れようにも、それが出来るだけの時間を共に過ごせなかった。
初心者未満なのだ。
とても情けないことに。
ルナは、慈愛さえ感じさせる微笑みを見せた。
『明日でもいいから、まずはご飯を作ってあげよう?』
(3)
ルイはリュックを部屋のベッドの上に乗せた。
チャックを開ければ、昔母が縫ったという刺繍がのぞく。
母がこれを完成させた時、このリュックは今は亡き祖父の物だった。
母と比べれば、ルイはきっと恵まれている。
両親は健在だし、今まで苦労といった苦労をルイは負ったことがない。
母をかわいそうとは言わない。
が、それでもどちらが良いかと聞かれれば、そんなのは決まっている。
ルイは、そっとリュックから青い包装紙に包まれた“それ”を手に取った。
同時に、空港でのことも思い出す。
夢でも何でもない。
確かに父はあそこに来てくれたし、ちゃんと、気づいてくれた。
「……だいじょうぶ」
小さく呟いて、ルイは砂時計の入った包みを胸に抱いた。
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