お茶をともに……
(1)
広い邸宅だった。
何枚も瓦が重ねられた低い屋根に、白い土壁。
今となってはもうすっかり珍しくなってしまった、完全木造建築。
その静かで荘厳とした佇まいは、何も知らずとも自然に人を萎縮させる。
昔から薫は、ここが嫌いだった。
閉鎖的で、体面ばかりを重んじ、がんじがらめになった連中を見るたびに、馬鹿だと思った。
だから、こんな所からはさっさと出て行きたくって……
これからは航空関連主軸の事業展開が必要で、その為の基礎的な知識は叩き込んでおくべきだとの建前を作り、あの訓練学校に入った。
あそこを卒業しさえすれば、子供の内からパイロットの資格が手に入る。
そうしたら、家を出ていくことも可能だと思った。
向こうも向こうで、あの宇宙一の難関校に入れさえすれば、例え卒業しなくたっていい箔付けになると考えたのだろう。
ほんの数分、話し合っただけで、その提案は可決された。
結果はあの通りだけど。
薫は灰色の着物に袖を通し、手間座の畳の上に座した。
そうして、ふっと隣の庭を眺める。
何もかもが嫌いだったこの屋敷の中で、唯一ここから覗く風景だけは、昔からどことなく惹かれるものがあった。
円を描く様に敷き詰められた白い砂利。
いっさいの無駄をはぶいて植えられた木々。
橋のかけられた池で泳ぐ、色とりどりの鯉――
今やほとんど失われつつある、地球時代の極東文化が色濃く残るこの屋敷の中でも、ここは別格だ。
ずっとずっと昔から、変わることのないものが居座り続けている。
薫が心から嫌いだと思った、伝統だ。
気軽に出入り出来るのも、一族の中ではただ一人だけ。
薫は、客座に鎮座する着物姿の父を見つめた。
それなりに年は取ったが、内側からあふれでるような威圧感は変わらない。
昔のように、忌々しくまでは思わなかったが。
この茶室には、父と薫、それ意外の人間はいない。
ここには使用人から分家連中まで、ざっと二十人くらいが住んでするが、全て人払いをしてあった。
一族の当主である父直々の命令であるから、破る者などまさかいるまい。
邸宅の端、離れの茶室で、薫は父と二人きりだった。
(2)
縁側に吊るした風鈴が、チリンと鳴る。
ここから見える庭は、父の自慢だった。
一族のルーツである日本列島が海に沈む前に、この茶室ごとどこかの離宮から移植したものらしい。
芸術などにはとことん疎い薫だが、それでも確かに、ここの風景が他の庭と一線を画するものだということはわかる。
とてつもない“静寂”がまずあって、それを引き立てるように石が、木が、池が並べられているのだ。
薫は無言のまま茶筅をたてた。
シャクシャクと、独特の小さな音を辺りに響かせ、茶入の中に、緑の泡を作る。
幼い頃に叩き込まれた作法は、今でもしっかりとこの身の内に生きている。
頃合いか、と思ったところで、茶筅をゆっくりと一回しした。
「……まだまだだな」
けれど差し出した茶を見て、父はそう言った。
それに、薫の口元も緩む。
「貴方に比べれば……」
「年期が違う」
「はい」
そして多分、もう一生越えることはない。
これが生涯最後のお手前。
薫は今日、親子の縁を切られに来たのだ。
(3)
床の間に目をやる。
母が生けたのであろう。
白い水仙を基調に、花が一群れ。
しかしこの茶室に合うよう、飾られたその“華”は最低限のものだった。
主張しすぎず、しかし、無視も出来ず。
相変わらず、見事なものだ。
母は華道の師範でもあった。
それも、当代最高の。
父がここに何かを“足す”行為を許すのは、一重に母の才覚あってこそだろう。
全体的に母似であると自覚している薫だったが、しかし、そっちの才の方は受け継がなかったらしい。
昔、普通ならばまだ物心もつく前に、母を真似てここで花を生けてみたら、父にこっぴどく叱られた覚えがある。
その時の父は、とても大きかった。
「お前の仲間たちは皆、息災か?」
ふと、父が口を開く。
あの頃はまさか父とこうして向き合うことが叶うなど、考えたこともなかった。
「皆、つつがなく」
「……ルナさんはどうだ」
「元気です」
ふ、と彼女を思い浮かべれば、自然と表情がゆるむ。
昨日見た彼女は、目立ち始めたお腹を抱えて職務に励んでいた。
その報せを受けてから、それが初めてみる彼女の姿だったから、正直少し驚いた。
でも本当に、良かったと思う。
父もまた、珍しく目元を和らげた。
「何よりだ」
そうしてチラリと、薫の左手に視線を落とす。
正確には、そこに光るものに。
「……結局、私はお前に何もしてやれんかったな」
「…………」
薫は何も言わない。
家族でどこかに旅行に出かけたとか、クリスマスにパーティーを開くとか、そんな思い出は皆無だった。
家にいる間はほとんど一人きり。
親子関係なんて無に等しい。
この庭と違うのは、そこに美しさすらもないことか。
たまに見かける父と会話を交わす時は、いつだって上座と下座に分かれ……。
その会話だって、近況報告とか、一族が一同に会する時以外にあったろうか。
何かをして叱られるのも、思えばあの一回きりだったような気がする。
必要がなければ、顔さえあわさなかったから。
その全てを変えたのも、やはりあの重力嵐。
「あの時の分家連中のやかましさと言えばなかったな……」
父も、同じことを思ったのだろう。
そう言った。
「それまでのお前が次期当主として申し分がなかっただけに、奴らの目には絶好の機会と映ったのだろう。最も、生還後の変わり身の早さには笑うしかなかったが……」
「その節はいらぬご苦労をおかけしました」
「構わん」
父がまた一口、茶を流し込む。
一抹の寂しさを感じた。
これを飲み干せば本題だと、わかっていたからだろうか。
その事実に微笑んで、薫はそっと瞳を伏せた。
(4)
「薫、お前を勘当する」
落とされた言葉はとても静かで、鉛の様に重く沈む。
「ひとたび屋敷から離れたら、二度とその敷居をまたぐことは許さん」
薫は無言のまま、そっと頭を下げた。
薫の生家は、いわゆる純血主義を貫く一族だった。
『自国の血しか混ぜることを許さない』
国という概念が曖昧なコロニー社会で、だからこそ、いわゆる“上流階級”には一部そんな頑なな思想がある。
薫の生家では、特にそれが顕著であった。
父も母も親戚も、果てには使用人の一人一人に至るまで、皆一様に黒い髪と黒い瞳である。
薫自身も、この家から逃れることを諦めたときからは当然のように、そんな相手との婚姻を結ぶのだろうと思っていた。
しかし周囲の期待に反し、薫が生涯の伴侶に選んだ相手は、ルナだった。
髪は夕日色で、瞳は青。
どちらも黒にはほど遠い。
この家からすれば、実に“けしからんこと”だ。
それでも両親は認めてくれていた。
ルナのその性格を好いていてくれた。
初めてのことに頼る人間の少ないルナに、あれこれと教え手伝ったのは母だと聞く。
黙っちゃいないのは、血を重んじる他の連中だ。
伝統だとか権威とか、そんなものばかりを口にする。
そして当主としての父自身も、純血主義自体を変えるつもりはなかった。
だから、父は一族の系譜から薫の名を消したのだ。
他の黒髪を押しつけたりはせずに、しがらみも何もない、ただの個人と成り下がり、望む相手と好きに生きろと。
「これがきっと、今の私が親としてお前にしてやれる、精一杯だ」
薫は、最後にもう一度庭を眺めた。
名を捨てることに未練はなかったが、ここはもう見納めなのだと思うと、少しだけ寂しい。
二度と父と“ここで”茶を飲むことはないのだと、突きつけられる。
「子供が生まれたら、顔でものぞきに来てください。市販の緑茶ならお出しします」
そう言って、薫はまた口元をゆるめた。
薫が屋敷の敷地内に入ることはもう無い。
縁を切られたから。
しかし、両親がこちらに来ることをとがめる者は、誰もいない。
父は薫に二度と屋敷の敷居をまたぐなと言っただけで、二度とその顔を見せるなとは言っていないのだから。
父は、ふっと微笑んだ。
「楽しみにしておこう」
それはきっと、そう遠くない未来の話。
あとがきと補足
と言うわけで、妄想炸裂父息子ものでした。
とりあえず、私のコロニーに対する想像をまとめます。
私がこんがらないためにも!
・宇宙“連邦”ってことで、一応国家は存在している。ただし国の概念はすごく曖昧で、コロニーの行き来にパスポートはいらない、通貨、言語も統一。ほとんどの人は意識すらしてないと思われる。都道府県的な感覚。
・ジャパンコロニー、TOKYO = A2 とかもきっとある。
・LOCA は首都。カオルの家は、本家はジャパンコロニーにある。彼が LOCA にいたのは社会勉強のため。……か、屋敷にいたくなかったから。
・でもそういう国の概念が曖昧になれば、やっぱり上の人間は生まれにこだわる様になるハズ。てなことで、純血主義なるものが(主に私の脳内で)誕生。
・実はヴィスコンティーも純血主義だったりする。だからハワードとの結婚には反対、と。
・ただしこっちは何とかして認めさせます。
……こんな感じかな。
まあ、カオルはルイに会う前から暗い奴だったので、てっきり孤児かなんかだと思ってたんですよ。
なのに最終回にあっさり両親登場。
今までは大して気にしてなかったんですけど、改めてこう、何でだ、と考え始めた結論がこれです。
いわゆる旧家生まれで、厳しくしつけられたんだな、と。
あんだけルイを拒絶してたのは、人を信じられない人間に成ってしまった自分を、どこかでみじめに思ってたからじゃないですかね。
全部妄想ですけどね!
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