ほていあおい


アルスラーン率いるパルス軍、それとラジェンドラ率いるシンドゥラ軍は、シンドゥラの首都ウライユールに向け進軍を始めた。冬のこの時期、水嵩が減っているとはいえカーヴェリーの大河を渡るのは、アルスラーンや多くの兵にとって未知の体験である。皆一様に緊張した面持ちだった。

将であるアルスラーンとラジェンドラ及び偵察隊は軍の先頭に立ち、既に大河を渡り終えている。サルシャーンは出立前の約束通りパルス軍の後方支援に回り、彼らの渡河を見届けようとしていた。

後に続くシンドゥラ軍は、既に一度この大河を経験していたため、兵糧を手際良くいかだに乗せて、次々と水中に入って行く。バートンに跨っているサルシャーンは濡れずに済んでいるが、水位は大の大人でも胸元まで浸かってしまうほどだ。既にパルス兵たちは、慣れぬ水中の移動に疲労の色を見せていた。と、最後のパルス兵が突然平衡を崩し、水に沈んでいく。馬上で指揮を取っていたサルシャーンは、堪らずに馬を降りた。

冬の水は、当たり前だが冷たい。突き刺すような痛みを全身に覚えつつ、サルシャーンは溺れかけた兵の元へ小さな体で泳いで向かう。少し先を行く兵たちも異変に気づき戻ってきた。深く息を吸い込んで潜ると、サルシャーンはすぐに溺れかけた兵を他の者たちと力を合わせ、引き上げる。同時に馬の手綱も見つけ、無事に水面から顔を出させることにも成功した。

「も、申し訳ありません!」
「良い。岸まではまだある。気をつけて行け。」
「はい!」

パルス軍は誰一人溺れずに渡りきれそうだ。そんな安堵に身体の力を抜いた途端、サルシャーンの体は襲う激痛と悪寒にふらりと傾いた。

まずい、バートン!

どうにか愛馬を支えにしようにも、手は届かなかった。このままでは、兵を救ったばかりなのに自分が溺れてしまう。どうにかして沈まないよう耐えていると、ぐっと腕を誰かの肩に回され、水面から持ち上げられた。

「………。」

顔を上げた先で、瑪瑙色の瞳とぶつかる。

「あ…………。」
「…………。」
「…すまぬ、馬のもとまで運んではもらえぬか。」
「ああ。」

支えてくれたのは、シンドゥラ人だった。立ち往生しているサルシャーンを見兼ねて手を貸してくれたのだろう。意外なことに呆けていたが、パルス語が伝わるかだめ元で頼んでみると、それは杞憂だったようでしっかり返事があった。

他のシンドゥラ兵に比べ些か若い彼は、雑兵などではなく、剣を扱えるようだ。触れる体の厚さがそれを物語っている。無骨そうな男は何も言わず、サルシャーンを言う通りバートンのそばまで運んでくれた。

「乗れるのか。」

馬の下まで来ると短く問う。サルシャーンは曖昧に頷き、鞍に手を掛けた。しかしどうにも力が入らない。何度か手を滑らせている様子にシンドゥラ人がため息を吐く。それからサルシャーンが力を入れる時を見計らって、両脇に手を入れ、幼児を持ち上げるかのように馬に跨らせてやった。

驚いて声を漏らしたサルシャーンが無事に手綱を掴んだのを確認すると、シンドゥラ人はすぐに背を向けようとする。

「そなた、名は…!」
「名乗るほどのものではない。」

呼び止めても、冷たくあしらわれてしまった。パルス語は流暢だったが、決して友好的ではないようだ。サルシャーンも深く問い詰めることはせず、手綱を引いて大河を進み出す。痛む傷口を服の上から押さえ、手のひらを見れば、じわりと血が滲んできていた。

…足を引っ張らないようにせねば。

体に鞭を打ち前を見据える背に、瑪瑙の目はまだ向けられている。しかしサルシャーンがそれに気付くことはなかった。



*



渡河の最中、ラジェンドラ軍を狙ったガーデーヴィ軍が差し向けられ、川岸は乱戦状態となった。後方にいたサルシャーンらも巻き込まれたものの、ダリューンの活躍により大事には至らなかった。シンドゥラの地での初戦は、ナルサスの策なしにパルス兵の力で押し切った形で勝利を収めたのである。


昼食をとっていると、ナルサスが徐ろに、この辺に清らかな泉はないか?と尋ねた。ラジェンドラはてっきり兵馬の飲用かと思ったが、どうやらそうではないらしい。

じきに、年が明けるのだ。

パルス式の新年の行事では、国王が新たな年の最初の太陽が昇る前に武装姿で泉へ赴き、兜に水を汲む。それから陣営に戻り、将兵の代表から国王の血を象徴する一杯の葡萄酒を献上される。兜に湛えた水に葡萄酒を混ぜ、そうして作られた液体は「生命の水」と呼ばれた。その三分の一を天上の神々に捧げるため天に投げうち、三分の一を大地のもたらしてくれた昨年の収穫に感謝し、新たな一年の豊穣を祈って大地に捧ぐ。残った三分の一は国王が飲み干し、神々と大地への忠誠を表すと共に、神々と大地との永い生命を分ち与えられるよう望むのである。

将兵の代表はアルスラーンがその場でバフマンを指名した。ラジェンドラは一連の行事の流れを興味深そうに聞いていたが、果たして本当にそう思っていたかどうかは定かではない。しかしパルス式に新年の行事を行うことには異論はないようで、すぐに手近にいたシンドゥラ人に泉の案内をするよう指示した。

案内を任されたシンドゥラ人はラジェンドラのもとに跪くと、すぐに下見をしたいと言うアルスラーンを引き連れ、去っていった。彼はカーヴェリーの大河にてサルシャーンを手助けしてくれた青年であった。…目が、合ったような。サルシャーンは昼食に手を伸ばしながら、気の所為かと首を傾げた。泉の下見にはダリューンとファランギースが同行している。未だ体調の回復しないサルシャーンは、彼らに不調を悟らせないためにも大人しく言うことを聞き入れ、待機となった。


パルス歴321年。
9月まで命があれば、アルスラーンは15歳となる。
まだうら若き少年が歩むとは到底思えぬ覇道が、この先には待っている。

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