椎名 | ナノ


▼ Hey,Mr,concerto

後ろからかけられた声は、男性にしてはやや高めの、とても綺麗な声だった。


「ねえ、どうしてそんなに泣いてるの?」


もう誰もいないと思っていた映画館で、突然後ろからかけられた声に、どうしていいのか分からない。今のわたしの顔は鏡など見たくたってわかるくらい酷い顔をしているだろうし、そもそも彼の質問の内容が答えづらかったからだ。黙っていればそのうちどこかにいくかもしれない。そう思ってやり過ごそうとしたわたしの目の端にちらりと横切る群青色の何か。それがハンカチだと気づいたのは、そっと目元にそれが当てられた時だった。


「!」

「ちょっと、動くと擦れるよ」

「な、なにを、」

「あんたが年甲斐もなくビービー泣いてるからだろ」

「そ、それは、」

「そんなに感動する映画だった?」

「………、」

「…そういうことでも、ないみたいだね」


わたしの沈黙をどう受け取ったのかは知らないけれど、そう言って彼は俯いたわたしの手に、そっとそのハンカチを握らせた。慌ててそれを拒否しようとすれば、「とりあえず、その酷い顔どうにかしなよ。それじゃ帰れないだろ」なんていう辛辣な言葉が返ってきてグウの音も出ない。


「初めてあった女性に酷い顔なんて、酷いんじゃないですか」

「それは悪かったね。俺の口は正直なことしか言えないもので」

「し、失礼な!」

「泣き止んだんならさっさと顔、洗ってきなよ」

「!」


彼の言葉に、初めて気づいた衝撃の事実。わたし、いつの間にか泣き止んでいる。先程までの大粒の涙が嘘のように止まっているではないか。思わず自分の指で目元を触るけれど、もうそこに水滴は残っていない。なんだ、あんなに悲しかったのに案外簡単に涙なんて止まるものなんだな、と少し自分を嘲笑いたくなったところで、ドン!という衝撃が背中を襲う。疲れきった足は映画を見ていた2時間で少しは回復したらしく、無様に転ぶことはなかったけれど、それでもよろめくには十二分の力だった。


「あ、あぶなっ…!」

「早く行けっていってるのが聞こえないの?あんたのその耳は飾り?もうここ閉館するから早くしなよ、のろま」

「あ、あなたねえ…!!」

「何?何かいいたいならどうぞ。まあその間に時間が来てここが閉館してその不細工な顔で電車に乗るつもりなら止めないけどね」

「うっ…」

「どうするの、行くの、行かないの」

「…〜〜、い、いってきます!」

「最初からそういえばいいんだよ」


なんて偉そうに腕を組んでいる彼に背を向け、よろよろとした足取りでどうにかこうにかトイレへ向かう。蛇口をひねり水を出しながら前を向けば、そこにいたのはお化けもびっくりなほど疲れきった顔をした自分の姿だった。しかも泣いたことによってマスカラだかアイラインだか、とにかく塗りたくっていたものが全て重力に従って落ちてきている。とんでもない状態だ。酷い顔だの不細工だのと宣われたことは腹が立つけれど、確かにそう言われてもしかたない顔をしている。

ふと右手に視線を落とせば、いつの間にやら握り締めていた群青色のハンカチ。そこにはいくつもの黒いシミができてしまっていた。きっと彼がわたしの目元に押し付けたときに出来たシミだ。ただでさえ落ちにくいウォータープルーフの化粧品。きっともうこのハンカチはだめだ。決してわたしのせいではないだろうけれど、罪悪感がないわけではない。あんなことを言われたけれど、彼はわたしを気遣ってくれたのだろう…と思いたい。

どうにかこうにか手持ちの化粧品で顔を整え、ゆっくりとトイレのドアを押し開ける。そしてそのまま重い足を引きずりながら映画館を後にすれば、ガードレールに緩く腰掛ける姿が見えて、ゆっくりと近づいた。


「なんだ、まともに見える顔にはなったじゃないか」


ふわふわの触り心地の良さそうな髪の毛に、驚く程整った顔。身長はお世辞にも高いとは言えないけれど、スタイルは悪くない。わたしが今まで見てきた中で、1,2を争うイケメンだ。そんなイケメンにあんな姿を晒していたなんて考えるだけで、穴があったら埋まってしまいたい。きっとわたしでなくても女の子ならば誰しもが思うはずだ。

けれど、目の前の彼はそんなわたしの考えなど関係ないと言わんばかりに、わたしに背を向けて歩き出してしまう。わたしの手の中に残るのは、群青色のそれ。


「――ま、待って」


慌てて追いかけようとして足がもつれる。それでもどうにか声だけはかけられた。わたしの目の前で、確かに止まった彼の歩み。ゆっくりと静かに振り返った彼の表情が、街頭に照らされる。わたしには、彼に言わなければならない言葉が2つ、あった。


「あ、ありがとうございました。ハンカチ、ダメにしてしまってごめんなさい」

「別に、安物だから構わないよ」

「え、っと、それから」

「何?」


次の瞬間、わたしは新たな事実を知る。


「え、駅は、どっちですか」

「―――は?」


どうやらイケメンはどんなに呆れた顔をしたところで、イケメンでしかないらしい。



(16.03.17 虹子)
生きてます、生きてます!!!遅くなってすみません;;

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