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凪が掬う心の行方(影浦 雅人)



少し仕事が早く片付いた日の事だった。
ヒカルは三門市街地へ足を伸ばし、久しぶりにデパートへと足を向けていた。
目指すは地下階の惣菜コーナー。少しだけ豪華な食材を買う贅沢は彼女にとってたまの自分へのご褒美だった。


「あ、」
「?…あら、」


良い匂いに満たされた飲食街を通り抜けようとした時だった。暖簾を潜って出て来た青年と目が合う。先に声を上げたのは青年の方。彼女は自然とその声に引かれて視線を向けた。


「今、帰りっすか?」
「ええ。こんばんは、影浦くん。」


彼女が微笑むと、影浦は少し視線を逸らし会釈した。
エプロンを腰に巻き、慣れた様子で店の入り口を整える彼を見て、そう言えば彼は実家がお店をしていると以前、誰かから聞いた事を思い出した。

(そうか…お好み焼き屋さんだったのね。)

もう何年も足を運んでないな。薄く煙る匂いに空腹が刺激される。わいわいと響く声に彼女は自然と顔が綻んだ。
懐かしく、温かい空間。彼の家が居心地の良さそうな場所で安心した。


「お店、賑やかだね。…頑張ってね。じゃあまた本部で。」
「、!」


挨拶もそこそこ。歩き出そうとして、不意に手首を掴まれた。咄嗟のことに彼女は少しだけよろめく。驚いて影浦を見上げると、彼自身も咄嗟の事だったのか金の目を丸くしていてお互い見つめ合ったまま僅かに固まった。


「か、影浦くん?」
「…あ、すいません。…良かったら、飯まだなら食ってかないかなと思ったんすけど。」


握られた手がそっと離される。外気が思ったより冷たくて、彼の体温の高さがよく分かった。突然の誘いに少し戸惑うがたまにはこんな予定変更も悪くないかもしれない。ヒカルは返事を待つ影浦に微笑むと「じゃあ…、今日はお言葉に甘えて。」と頭を下げた。

***

注文したお好み焼きをカウンターで食べながら、ヒカルは影浦を静かに目で追った。ボーダーではその苛烈な性格から付き合う人間が限られているという彼だが、こうして家業の手伝いをしている姿はとても頼もしい好青年に見えた。


「あんたみたいな上品なお嬢さんが雅人の先輩とはねえ。ゆっくりしていって下さいよ。」
「いえ。私は先輩という訳では…。影浦くん、優秀な人ですから仲間として私も学ばせて貰っています。」


いただきます、そう呟いて箸を運ぶヒカルを影浦は目の端で追っていた。
あまり話す機会はなかったが、最近、空閑遊真とよくセットで見かける機会が増えた彼女。近くで一目見て、とても落ち着いた性格だと分かった。お世辞にも良い話を聞かないであろう自分を見て、ヒカルは初めから他の隊員と別け隔てなく接して来た。

(こんにちは、影浦さん。)

まるでそこだけが凪いだような声だった。澄んだ瞳が、僅かに虹色に光って見えた気がした。空閑に似て、彼女もまた副作用で感情の読みにくい稀有な人間。他人を、まして女性を好ましいと感じたのは久しぶりの事だった。
忍田直属の部下で本部の対策室からあまり出ない彼女と話す機会は早々訪れず、時折、オペレーターからの噂で迅が狙っているだとか、太刀川の家庭教師をしているだとか良からぬ話ばかりを遠巻きに聞いていた。

父親の向かいに座り談笑する姿を見つめていると、近付いてきた兄に肘で付かれた。


「あれは絶対、彼氏いるぞ。てか、お前にはちょっと大人過ぎね?」
「っせぇな。んな人じゃねーっつの。」


まだ。自分はまだ告白なんて出来る距離に居ない。彼女の口にした、仲間という言葉が上等過ぎる位置関係だ。それ以上でもそれ以下でもない、友人とすら呼べないだろう。

ヒカルは影浦の視線に気付き、目を細めた。彼が好ましく思っている他意の無い笑顔で。影浦はマスクをしていて良かったと心底思った。きっと今、酷い顔だ。彼女に対しては恋い焦がれている、なんて気持ちじゃ絶対なかった筈なのに。彼は浮かれている自分をはっきりと自覚した。


「影浦くん、ありがとう。誰かとゆっくり話しながら食事したの、凄く久しぶり。」


こちらに向けてくる目はまた、あの時と同じ。波のない水面のように静かで優しく。…気のせいか、少しだけ寂しそうに見えて。影浦は努めて平静に頷いた。


「うちで良いなら、またいつでも。店にはボーダー隊員もよく来るし…。」


……今度は、俺がアンタの食べる分焼きたいし。
空になった皿と血色の良くなったヒカルの頬を見て、影浦は自分だけが満足したのではない事を安堵した。

***

「送らなくて平気すか?」
「勿論。心配してくれてありがとう。気をつけて帰るわね。」


マフラーを巻いて、会計を済ませた彼女を入り口で見送る。そのまま遠のいて行く彼女の背中を少し見つめて、影浦は店内に戻った。

(連絡先…、いや、コンプラきっちりしてそうだし、教えてくれねえだろうな。)

食事代は今回は自分が誘ったから要らないと言ったのに、譲らなかった。案外、頑固でそこは意外な一面だった。

空閑にそれとなく聞いてみて、また直接誘ってみるか。

迷惑にならないよう、少しずつ、彼女に近付けたら。一歩引いたところから始めようとしていた影浦が、迅のストレートな彼女への求愛を目の当たりにするのは少し先の事だった。

ーーーーーーーーー
影浦くんは感情の副作用がある分、気に入った人の事は相手の立場を考えて行動するイメージ。
ゆずるの気持ちを考慮するシーン、凄く好きです。

2022.03.05

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