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Kiss me Good bye02


閑古鳥が鳴きそうな静かな昼下がり。

その日、掃除を終えてカウンターで紅茶を啜りながらヒカルはぼんやりと本を読んでいた。
昼間は夜が嘘のように皆出払っていて店内には誰もいない。
中央の地下牢から逃げ出した後、グリードはダブリスの酒場デビルズネストを根城にした。夜は多く人が集まり騒がしい場所だが、今はcloseの札をドアノブに引っ掛けているためとても静かだ。戸口からは通りから聞こえてくる微かな話し声が自然と耳に入り、眠気を誘う。

そのままうとうとと体が傾きかけた時、不意にそれを支える手が伸ばされた。


「…零しますよ。」


低いが、よく通る男性の声。耳元で聞こえたその声に落ちかけていた意識がハッと覚醒する。見知ってはいるが此処へ来て始めて話すひとだ。見ると、カップを握ったまま上体が崩れかけており中の水面が揺れていた。

あのまま寝入っていたら本を汚していたかもしれない。
ヒカルはホッと安堵すると、そっとカップを置いて取っ手から手を離した。


「……あ…ありがとうございます。」
「いえ。」


礼を述べると声の主は短くそう応えるが、背後から肩に触れている手は一向に離れる気配を見せない。
不審に思いヒカルが恐る恐る振り返ると、当の彼の視線は彼女ではなく少しずれた位置に向いていた。


「……へえ。本、お好きなんですか。」
「は……」


呟かれた声にヒカルは自然と視線を落とす。
開きっぱなしの紙面。
無意識に頬が引き攣り、彼女は慌ててそれを閉じた。


「…っ…」
「?…どうしました?」
「い、いえ。つまらない内容ですから…貴方が読む類の本じゃないですよ。」


ほら、とヒカルは背表紙を見せてからさっとそれを仕舞い込む。
年頃の女が読みそうな恋愛小説らしき題名。
しかし彼はそれと彼女とを見比べて薄く目を細めた。


「……そうですか。それは残念です。」


ゆっくりと離れて行く手の感触にヒカルは僅かに強張った緊張を解く。そうして改めて彼の方を向くと、男は口端を少しばかり持ち上げ彼女の隣に腰を降ろした。


「…貴女、お名前は?他の人達と毛色が違いますよね。」
「毛色…」
「ああ、失礼。物を尋ねる時は自分から名乗るべきでしたね…」
「…知ってます。キンブリーさん、でしょう?」


首を傾げてそう言うと、男は2、3度瞬き…満足げに笑みを浮かべる。何故だろうか。
確かに紳士的な口調と態度であるのに、ヒカルは刹那その表情に戦慄を覚えた。これまでで培った勘が彼は危険だと告げている。名乗りたくない。率直に思った。


「キンブリーで構いませんよ。」


相変わらず、男は人の良い笑顔で彼女に手を出し次の言葉を促してくる。選択肢は、なかった。


「…私はヒカルといいます。」
「そうですか。…では、よろしく。ヒカル。」


差し出された右手をヒカルはぎごちなく握り返す。ちらりと見えた掌に深く彫られた錬成陣。あまり関わりたくない類いの人種だったが、彼もグリードが連れてきた人間だ。揉め事は起こさないよう気を付けようと彼女は誓った。

軍人なんて、もう見たくもなかったが。
―――――――――――
過去log。

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