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23生命気流への回帰


――――…静かだ。
一片の光も無い、ひたすらに暗い闇の中でヒスイリアはぼんやりと思った。
誰もいない。音もない。

どの位、時間が経ったかもわからない。

光の洪水に、視界を奪われた後。
その後は何もない……ただ黒一色となった。

嗚呼、死ぬのだ。
暗闇に堕ちてそう覚悟したが、意識はまだ続いている。
波に揺られているような、覚束ない感覚。
上か、下か、右か、左かも分からない無の空間。彼女はそこで、ライフストリームの奔流に共に呑まれた青い瞳の青年に想いを馳せた。

(………クラウド………。)

彼もまた、この深い闇の中にきっと独りきり。
まだ生きていれば、の話だが。
その時、どこからかさざめくような声が聞こえた気がした。


「……?……………だ、れ…?」


彼女の漏らした問いに応答はない。
しかし、ヒスイリアはその僅かな変化で朦朧としていた意識を取り戻した。闇で視えない身体を動かし、彼女は黙って周りを見遣る。


「クラウド…?……セフィロス…なの…?」


掠れた声で呟くが、辺りは変わらず静寂だ。

気のせい…か――――…いや、違う。
違う、これは。

やがて彼女は見えぬ道を歩き出す。
随分、時間が経っているのだろう…口を開こうとするがカラカラに渇いてうまく音が出ない。


「…、誰か…っ。誰か、いるんでしょう…!?
応えて……!」


声を振り絞った―――その時だった。
突然、闇がガラスのように砕け散り、明るい光が彼女の体を呑み込んだ。
閉ざされていた視界が一気に淡い緑へ拓かれる。

(ああ……まだライフストリームの中にいる。)

縦横無尽に転がりながら、ヒスイリアはただそれだけを理解した。流される。たゆたう脈動のまま身を任せ…流れのままに彼女は碧い海を漂った。

(…綺麗…。)

どこまでも続く光の洪水はただ純粋に美しかった。
柔らかい光を放ち、無限に広がる生命気流。
肌に触れているそれはとても暖かく、優しく…心地良かった。
胎児が母親のお腹の中でいるのはこんな感じなのかもしれない。眠りを誘う静けさと温もりにゆるゆると瞼が重くなる。
次第に考える事も億劫になり、襲い来る睡魔にヒスイリアが意識を手放しかけた時。

“…、…め…よ……。眠って…は………だ………”

また、どこからか…途切れ途切れに声が耳に響いた。

瞳を閉じたまま、ヒスイリアは夢現に声の主の記憶を辿る。遠くから聴こえた…どこか懐かしい音色。
その声は聞き覚えのある“誰か”の声によく似ていた。とても綺麗で透明な優しいソプラノ。…けれど、そんなはずはない。
彼女がこんな所にいるはずはないのだから……
浮かんだ顔をかき消すよう、ヒスイリアは首を振った。

しかし――――――――。


「ヒスイリア。」


今度は本当にすぐ側からその声はヒスイリアの耳にはっきりと届いた。
霧が晴れるように意識が覚醒へと導かれる。ゆっくりと…翡翠の瞳を開くと、ヒスイリアは目の前に立つ人物を一瞥した。


「…………。」


ピンクのワンピースが風に靡くよう揺れている。
ツインテールで纏められた淡い栗色の髪の毛を靡かせて、彼女はあの日、木漏れ日の下で出会った時のようそこに立っていた。
柔らかく手が伸びてきて、そっと彼女の頬に触れる。


「……久しぶりね?ソルジャーさん。」


そうして…女性は以前と変わらぬ笑みをヒスイリアに零した。
不思議な、感覚だった。その頬笑みを見ただけで、それだけで泣きたくなる程安心した。

懐かしい。
体が、心が………嘘のように、軽くなる。
久しぶりに呼吸をしたような気分。
硬く絡まった鎖が解かれていくように、手足に感覚が戻ってきた。


「…………エ、ア…リス…………」


たまらない安堵の吐息と共に、その名前を口にする。そうして無意識に彼女の方へと手を伸ばした、刹那。自らの躯にヒスイリアは一瞬、目を見開いた。

ゆっくりと持ち上げた自身の手。それは半分程、ライフストリームに溶け、既に同化を始めていた。
驚きと困惑で、体が強張る。それを包み込むよう…エアリスは優しく彼女の掌を握りしめた。


「…落ち着いて。まだ…間に合う。」


子供を諭すようにそう言って、彼女は触れた手を静かに自らの方へ引き寄せた。そのままエアリスは真綿で包むようにヒスイリアを抱きしめる。


「……頑張ったね、ヒスイリア。ちょっと…一人で頑張りすぎちゃったね。」


柔らかいその声と共に様々なものが、流れ込んでくる。
知識。経験。時を遡り様々な人々との出会いと別れがヒスイリアの脳裏に浮かぶ。

嬉しかった事。哀しかった事。
心に染み入るたくさんの記憶の欠片。
彼女は走馬灯のように過るその想い出達をあるがままに受け入れた。

やがて―――多くに埋もれたその中で。暗く古い扉が彼女の目の前に現れる。それは鍵を掛けたまま封印していた遠い昔の物語。
決して開けようとして来なかった始まりの記憶。


「……、ぃ…や………!」


彼女はそれに全身を強張らせ、指が食い込む程強くエアリスの体にしがみついた。不意に荒く不規則になる呼吸。悲鳴にも似た嗚咽を漏らし、ヒスイリアは扉を視界に入れる事さえ拒絶した。

嫌、だ…。嫌だ。嫌だ、怖い、恐い、嫌だ…
これは見たくない。
これは――――思い出したくない。


「……エ…ア、………」
「……大丈夫。私も一緒だから。この手を…離しはしないから。」


ガタガタと震えるヒスイリアの背中を、エアリスは彼女が落ち着くまで擦り続けた。
与えられる温もりに、ヒスイリアは徐々に力を抜いていく。そして。


「――――――ほん、と…?……いっしょ?………これで……怖い事、終わる……?」


暫く時間を経て空間に響いたのは、随分幼い声だった。たどたどしく顔を上げるヒスイリア。

瞬間…―――見る間に縮んでいく、容姿。
変化する、髪の色。
そこには淡い栗色の髪をした少女が、エアリスの腕の中に居た。

音を立てて、閉ざされた扉が開く。
エアリスは腕の中で震える小さな命を安心させるよう微笑んで、中へ足を踏み入れた。


「…さあ、行こう。そして、帰ろう…?」


貴女を待つ人がいる場所へ――――。

***

「…ティファ。ちっと何か喰ってきたらどうだ。」
「……うん。ありがとう、バレット。」


飛空艇、ハイウインドの甲板。そのデッキで赤く染まる空を食い入るように見つめるティファにバレットはたまらず声を掛けた。返事は相変わらず脱け殻だったが。

メテオが発動され―――二週間が過ぎた。
大空洞で囚われた神羅から逃れられたのは運が良かったものの、世界には暗い影が落ち混沌としていた。
北のクレーター痕から出てきたウェポンは今、世界各地で暴れている。神羅がその圧倒的な軍事力で戦ってはいるが、結果が良い方向に出ているとは言い難かった。


「………メテオが迫ってきて、ウェポンが暴れていて。そんな時、何をすればいいのかなんて私には分からない……」


美しい空に不釣り合いに浮かぶメテオを見つめながら、ティファは拳を振るわせる。そのあまりに辛そうな横顔にバレットはそれ以上、掛ける言葉が見つからなかった。


「…ねえ。あの娘なら……こんな時、どうするかな。」
「あの子?」

「……ヒスイリア。」


大空洞で離れる直前、ほんの少しだけ微笑んだ貌が瞼の奥に鮮明に浮かぶ。クラウドを止めようとして、…レノを守ろうとして消えた彼女。
ソルジャーである彼女自身もジェノバ細胞に侵され、苦しかっただろうに。


『アイツに―――伝えて。………ありがとう、って。』


最期に目にしたその姿は揺るぐ事なく、強かった。


「……私、いつからこんな弱くなったんだろう。…がっかり、だよね。」


髪を掻き上げ、ティファは苦しげに顔を伏せる。
彼女の脳裏を過るのは、幼馴染みの彼の顔。 色褪せる事のない青の瞳。 そればかりだった。

クラウド―――――貴方に会いたい。
貴方の声、聞きたいよ。

ねえ………クラウド。
大丈夫だよ、ティファ…って、言って。

そうしたら、また頑張れるから……

届かない想いに押しつぶされそうな胸を、ティファは祈るようにそっと押さえた。
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2006.10.04
一部改定。

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